少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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虎からのレスポンス

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 しゃべるのに夢中になるあまり、演技するのを忘れそうになる瞬間が、しゃべっているあいだに何度かあった。涙ぐむ一歩手前、といった目頭の熱さ。感情的になっている姿を見せることで、虎の冷たい心を動かせるのではないかと、抜け目なく計算し、期待してもいた。

 円形の空間に降り立って初めて、虎が大きく動いた。腰を上げたのだ。
 真一は「ひっ」と声を漏らし、身をすくめた。
 虎は真一に襲いかかるのではなく、再びその場に腰を下ろした。

「ごちゃごちゃと早口でまくし立てたから、半分以上は意味が分からなかったが」

 ボイスチェンジャーで変換されたような、渋みのある低音の男声。虎がしゃべったのだ。その証拠に、口こそ閉ざされたままだが、言葉に合わせてひげが小刻みに動いている。

「生きたいという気持ちは充分に伝わってきたぞ。小毬のやつらは僕と遭遇しても、喚きながら武器を振り回すだけで能がない。それと比べると、お前の反応はなかなか面白かったよ。やはりよそ者は一味違う」
「……助けてくれるんですか?」
「今朝食事にありついたばかりなんだ。野生のシカを一頭。美味なるシカ肉に免じて、お前の命は助けてやるよ」

 込み上げてくる歓喜に真一は総毛立った。「ありがとうございます!」と叫ぼうとしたが、「ただし」と制される。

「交換条件がある。明日も同じ時間にこの場所に来い。それを約束するなら、お前は生かしておいてやる。食べるためでなくてもお前を殺すことはできるが、どうする?」
「約束します。必ず明日もここに来ます」
「いい返事じゃないか。では、さっさと消えろ。ここは僕の寝床の一つだ。人間ごときが土足で上がっていい場所じゃない」

「すみません」と言って慌てて立ち上がる。少し足元がふらついたが、立てる。歩ける。

「約束を破るようだったら、住人もろとも殺すから覚悟しておけよ。ちなみに、逃げようとしても無駄だからな。僕は鼻がきくから、一度体臭を把握した者の動向は手にとるように分かる。どう振る舞うのがお前にとって最善なのか、よく考えて行動することだな」

「はい」と返事をする。虎は右前足を顔の高さに持ち上げて舐めはじめた。

 真一は脇目も振らずに通ってきた道を引き返す。遠ざかりはじめてからしばらくは走って、途中からは歩いて。
 緑の壁を抜けても、竹林を抜けても、獣臭さがついてくるような気がした。
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