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虎に語りかける
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エメラルドグリーンの瞳は真一を捉えて離さない。その瞳から、猛獣の内心は見え透かない。
相対してからとうに五秒が経ち、そろそろ十秒になろうとしているが、虎はいまだに不動だ。
すぐに殺さない理由は分からない。ただ、真一が少しでも動きを見せたとたん、猛然と飛びかかってくる気がする。だからといって、じっとしていれば大人しく去ってくれるとも思わない。
どう行動するのが正解なんだ?
考えろ。頭を使うんだ、沖野真一。どう動けば、この絶望的な状況を打開できる? 絶体絶命の危機から脱出できる?
「――虎、聞こえるか。俺の言葉が分かるか」
呼びかけた声は、震えた。少し掠れてもいる。喉はいつの間にかすっかり干上がっていて、声を発せたのが不思議なくらいだ。
発声した瞬間の緊張感はすさまじいものがあった。誇張でもなんでもなく、心臓が破裂しそうだった。
目の前にいる猛獣は身じろぎ一つせずに真一を見つめつづける。言いたいことがあるなら、言ってみろ。そう要求するかのように。
ならば、言ってやろうではないか。
「聞いたよ。あんた、人間の生まれ変わりなんだって? 名前はたしか、中後保とかいったかな。心に問題を抱えていて、住人とのあいだでトラブルが絶えなくて、それが原因で自殺した。地区長さんからそう聞いたよ」
咲子は「虎は話が通じない」という意味のことを言っていた。しかし、真一は通じると信じることにした。
理由は単純、信じる以外に救われる道はないからだ。
小毬の人食い虎には人語が通じる。ゆえに命乞いも通じる。これまで幾人もの人間を騙し、利益をせしめてきた、真一にとって最高の武器である弁舌を使って、助命を嘆願し、受け入れられる。助かる方法はそれしかない。
「その人は『精神的に不安定』っていう婉曲な表現を使っていたけど、ようするに心の病気ってことだろ。病気なんだから、悪いのは病気であって、あんたに非はない。それなのに、トラブルに巻き込まれて、自殺に追い込まれた。詳しい事情までは聞いてないけど、どうせ住人の無理解が原因なんだろ。偏見凄そうだもんな、田舎の人間って。心の病気なのに、怠けているとか、仮病だとか、そういうふうにレッテルを貼られて白い目で見られたんだろう。助けられるんじゃなくて、突き放されたんだろう。
分かるよ、俺には分かる。俺はあいにく図太い人間で、病気なんて風邪と虫歯くらいしかもらったことがないけど、『異端に対する偏見に満ちた眼差し』にはこれまで嫌というほど悩まされてきたからね。人と違っている! それ自体はなにも悪くないのに、世間のやつらは犯罪者を見るような目で見てきやがるんだ。自分たちとは違う、だからあいつには気を許せないぞってね。
そういうのって、反吐が出るよな。虫酸が走るよな。そうは思わないか?」
相対してからとうに五秒が経ち、そろそろ十秒になろうとしているが、虎はいまだに不動だ。
すぐに殺さない理由は分からない。ただ、真一が少しでも動きを見せたとたん、猛然と飛びかかってくる気がする。だからといって、じっとしていれば大人しく去ってくれるとも思わない。
どう行動するのが正解なんだ?
考えろ。頭を使うんだ、沖野真一。どう動けば、この絶望的な状況を打開できる? 絶体絶命の危機から脱出できる?
「――虎、聞こえるか。俺の言葉が分かるか」
呼びかけた声は、震えた。少し掠れてもいる。喉はいつの間にかすっかり干上がっていて、声を発せたのが不思議なくらいだ。
発声した瞬間の緊張感はすさまじいものがあった。誇張でもなんでもなく、心臓が破裂しそうだった。
目の前にいる猛獣は身じろぎ一つせずに真一を見つめつづける。言いたいことがあるなら、言ってみろ。そう要求するかのように。
ならば、言ってやろうではないか。
「聞いたよ。あんた、人間の生まれ変わりなんだって? 名前はたしか、中後保とかいったかな。心に問題を抱えていて、住人とのあいだでトラブルが絶えなくて、それが原因で自殺した。地区長さんからそう聞いたよ」
咲子は「虎は話が通じない」という意味のことを言っていた。しかし、真一は通じると信じることにした。
理由は単純、信じる以外に救われる道はないからだ。
小毬の人食い虎には人語が通じる。ゆえに命乞いも通じる。これまで幾人もの人間を騙し、利益をせしめてきた、真一にとって最高の武器である弁舌を使って、助命を嘆願し、受け入れられる。助かる方法はそれしかない。
「その人は『精神的に不安定』っていう婉曲な表現を使っていたけど、ようするに心の病気ってことだろ。病気なんだから、悪いのは病気であって、あんたに非はない。それなのに、トラブルに巻き込まれて、自殺に追い込まれた。詳しい事情までは聞いてないけど、どうせ住人の無理解が原因なんだろ。偏見凄そうだもんな、田舎の人間って。心の病気なのに、怠けているとか、仮病だとか、そういうふうにレッテルを貼られて白い目で見られたんだろう。助けられるんじゃなくて、突き放されたんだろう。
分かるよ、俺には分かる。俺はあいにく図太い人間で、病気なんて風邪と虫歯くらいしかもらったことがないけど、『異端に対する偏見に満ちた眼差し』にはこれまで嫌というほど悩まされてきたからね。人と違っている! それ自体はなにも悪くないのに、世間のやつらは犯罪者を見るような目で見てきやがるんだ。自分たちとは違う、だからあいつには気を許せないぞってね。
そういうのって、反吐が出るよな。虫酸が走るよな。そうは思わないか?」
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