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虎
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これ以上先に進むのでも、この場に留まりつづけるのでもなく、ただちに来た道を引き返す。きっとそれが最善の選択だ。そう結論を下し、金縛りに見舞われた体を無理矢理反転させようとした。
そのとき、微かな葉擦れの音がした。真一は息を呑んだ。出所をたしかめるべく、周囲を見回そうとした彼の視界の上部を、なにかが過ぎった。
反射的に顔を上げると、巨大な物体が宙を滑空していた。
それは彼の目と鼻の先、円形の空間の中央に降り立った。着地は無音だったが、大地が揺れた。足に力が入らなくなるような感覚に襲われ、真一は尻もちをつく。飛んできたなにかは彼の前から動こうとしない。彼はそれに注目する。
虎だ。
体の大部分が黄金色で、少しばかり白色もあって、黒い縞目が縦方向に走っている。巨大な頭部を持ち、散らばった各パーツは小さく作られていて、太く鋭利な牙と爪を有している。
ライオンに比肩する、猛獣の代名詞ともいえるネコ科の動物が、真一の目と鼻の先、一メートルも離れていない場所に鎮座している――。
透き通った緑色の瞳が真一を見つめる。値踏みをするでもなく、敵意や殺意や不快感を剥き出しにするのでもなく、目に留まった珍奇な客人を好奇心の赴くままに観察している、といったような。
人食い虎だ、と思った。咲子や住人が言及した、小毬地区を襲っては住人を食い殺すという虎が、真一の目の前にいる。
事実を事実だと認めたことで急浮上したのは、しくじった、という思い。
暇だからといって、子どもじみた冒険心に突き動かされて竹林の奥深くまで行くなんて、馬鹿げていた。竹林には虎が棲息していると、事前に教えられていたのに。何回も住民を襲い、何人もの住人を食らった実績があると知っていたのに。
にっちもさっちもいかなくなったとき、真一は逃げてきた。迷わずに、ためらわずに、困難に背を向けて逃走してきた。
しかしこの状況において、その選択肢はないに等しい。相手は人間を食らう虎だ。人間の匂いを嗅ぎつけて、食い殺すために真一の前に現れたに決まっている。虎の身体能力と戦闘能力の前では、逃げきることも、戦って打ち負かすことも不可能。
殺される。食われて、死ぬ。消化されて、糞になる。生きとし生けるものは、死んでしまえば生き返らない。死んだら一巻の終わり――。
嫌だ。
死にたくない。
そのとき、微かな葉擦れの音がした。真一は息を呑んだ。出所をたしかめるべく、周囲を見回そうとした彼の視界の上部を、なにかが過ぎった。
反射的に顔を上げると、巨大な物体が宙を滑空していた。
それは彼の目と鼻の先、円形の空間の中央に降り立った。着地は無音だったが、大地が揺れた。足に力が入らなくなるような感覚に襲われ、真一は尻もちをつく。飛んできたなにかは彼の前から動こうとしない。彼はそれに注目する。
虎だ。
体の大部分が黄金色で、少しばかり白色もあって、黒い縞目が縦方向に走っている。巨大な頭部を持ち、散らばった各パーツは小さく作られていて、太く鋭利な牙と爪を有している。
ライオンに比肩する、猛獣の代名詞ともいえるネコ科の動物が、真一の目と鼻の先、一メートルも離れていない場所に鎮座している――。
透き通った緑色の瞳が真一を見つめる。値踏みをするでもなく、敵意や殺意や不快感を剥き出しにするのでもなく、目に留まった珍奇な客人を好奇心の赴くままに観察している、といったような。
人食い虎だ、と思った。咲子や住人が言及した、小毬地区を襲っては住人を食い殺すという虎が、真一の目の前にいる。
事実を事実だと認めたことで急浮上したのは、しくじった、という思い。
暇だからといって、子どもじみた冒険心に突き動かされて竹林の奥深くまで行くなんて、馬鹿げていた。竹林には虎が棲息していると、事前に教えられていたのに。何回も住民を襲い、何人もの住人を食らった実績があると知っていたのに。
にっちもさっちもいかなくなったとき、真一は逃げてきた。迷わずに、ためらわずに、困難に背を向けて逃走してきた。
しかしこの状況において、その選択肢はないに等しい。相手は人間を食らう虎だ。人間の匂いを嗅ぎつけて、食い殺すために真一の前に現れたに決まっている。虎の身体能力と戦闘能力の前では、逃げきることも、戦って打ち負かすことも不可能。
殺される。食われて、死ぬ。消化されて、糞になる。生きとし生けるものは、死んでしまえば生き返らない。死んだら一巻の終わり――。
嫌だ。
死にたくない。
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