少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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青年の家

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 到着した現場は更地だった。建造物が建っていた痕跡すらもない。敷地を囲っていたフェンスの一部だろうか、高さは踝ほど、長さは三十センチほどの、コンクリート製の壁が残存しているのみだ。

「今は燃えちゃってなにもないけど、かつてはここに自殺した青年の家があったの。ごくありふれた外観の、二階建ての木造の一軒家だったんだけど」

 わずかばかりになった塀の残骸を見つめながら、その塀が塀らしい形をしていて、住宅が健在だった当時を知る咲子は説明する。

「地区の外れのほうにあるし、今はこの有りさまだから、みんなからは忘れられる一方だけど」
「……もしかして、何者かが故意に燃やしたんですか?」
「そうです。青年が自殺して一か月も経たないころに出火して、地区の住人総出で消火したときにはすでに手遅れで。出火原因はいまだに解明されていないし、住人を疑いたくない気持ちはあるけど、十中八九放火でしょうね」

 真一へと向けられた顔は口元が皮肉っぽく歪んでいる。咲子は虎の話題が出てからというもの、それと似たような表情を頻繁に見せている。
 沈黙が二人を包む。風が竹の葉を揺らす音だけが断続的に真一の耳に届けられる。
 咲子は今なにを思っているのだろう? 言葉を探しているのか。よそ者の真一に、過去の重さ、あるがままの現状に浸ってほしいと願い、意図的に演出した沈黙なのか。彼女の横顔から真実を読みとることは難しい。

 フェンスの残骸への視線を戻す。わずかでも物理的な痕跡が残っているのは、忌まわしき記憶は忘れたいが、風化させたくもないという、住人たちの相反する無意識の思いが反映された結果なのかもしれない。そんな超現実的なことを思う。

「虎が青年の生まれ変わりなんて、そんなこと、あるはずがないのよ」

 咲子はひとり言のようにつぶやく。少し間を置いて真一と目を合わせ、

「だって、人間の生まれ変わりなら、虎が私たちの言葉に耳を貸さないのはなぜ? 人間の生まれ変わりなら、人語を理解し、しゃべれるはずじゃないの? そうでしょう?」

 深浅の違いはあるにせよ、この人も超現実的な解釈に囚われている一人なのかもしれない。そんな思いが過ぎり、胸が切なくなる。
 自殺した青年についていろいろ質問してみたいという気持ちは、解消されないまま真一の胸に残った。


* * *
 

「夜に――時間帯は、そうね。夕食が済んだら私の家に来てもらえます? 虎退治のこともそうだけど、その他のことについてもいろいろと話がしたいし」

 引き返す道中、真一の感覚としては唐突に、咲子はそう言った。
 承諾する理由、拒む理由、どちらも複数あったが、「必ずうかがいます」と答えた。
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