少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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咲子の誘い

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 まぶたを開くと、東向きの窓からはすでに日射しが射し込んでいた。生まれたてではないらしく、光量はある程度強い。
 掛け布団は真一の体の上ではなく、敷き布団の外に放り出されている。生え際にうっすらとかいている汗を指先で拭い、全身を使って伸びをする。

 食欲そそる匂いが漂っている。のっそりと上体を起こすと、エプロン姿の南那が台所にいるのが見えた。真一が目覚めていたことにはすでに気がついていたらしく、落ち着き払った挙動で肩越しに振り返り、

「真一さん、おはようございます。食事の準備はもうすぐ整うので、ゆっくりと顔を洗ってきてください」

 思いやられているという実感。昨夜に裸で真一に迫り、拒まれた一件を引きずっていないらしいこと。どちらも彼にはうれしくて、満面の笑みで「分かった」と返して着替えはじめる。

「朝から和食も久しぶりだな。めちゃくちゃテンション上がる」
「そうですか? わたしは洋食のほうが上がる気がしますが」
「隣の芝生はなんとやらってやつだろうね。普段は市販のパンを腹に入れて終わりだから、朝からいろいろなおかずを食べられるって、むちゃくちゃうれしいよ。味噌汁なんて、すぐにできるものじゃないでしょ。ジャガイモを剥くのとか、けっこう面倒くさいよね」

 真一は音を立てて味噌汁をすする。タマネギの甘さには驚いたし、その甘さが溶け出した汁はため息がこぼれるほど味わい深い。大きめにカットされたほくほくのジャガイモを、熱さに手こずりながら食するのも楽しい。
 味噌汁だけではない。甘めの味つけの卵焼きも。あっさりとした塩味の焼き鮭も。昨晩も食卓に上った、作り置きの大豆の煮つけでさえも。どれもが美味しく、なおかち味以上の満足感をもたらしてくれる。

 誰かと食事を共にしているからこその喜びなのだと、食事も終盤に差しかかったころに真一は気がついた。


 * * *


 家の中でだらだらと過ごすのは楽でいいが、贅沢な悩みというべきか、だんだん退屈になってきた。
 南那は真一が話しかけると相手をしてくれるが、自分からは話を切り出さない。いつ見ても顔つきは一定以上の集中力を保っていて、同一作業のくり返しが苦ではないらしい。彼としては仕事の邪魔をするのは悪いという思いがあるから、積極的に話を振るのははばかられる。無言の時間は長引き、退屈を加速させていく。

 巨大なあくびをした直後、戸がノックされた。既視感を覚える荒っぽい叩きかただ。南那が作りかけの作品を作業台に置いて腰を上げたところで、戸が開かれる音。

「沖野さん、おはようございます。もう起きていますか?」

 地区長の西島咲子の声だ。真一は南那とともに玄関まで行く。
 咲子は「小毬地区最強!」と胸につづられたTシャツにジーンズを着ている。彼の顔を一目見たとたん、表情を大きく緩めた。

「ああ、沖野さん。どうですか、昨晩は。よく眠れました?」
「はい、快眠でした。旅をしているときは粗末な寝床で眠ることが多いので、恵まれすぎていて怖いくらいですよ」
「そうですか。それはなにより」
「地区長はどうして南那ちゃんの家まで? 私の様子を見に来るのだけが目的とは思えないのですが」
「鋭いですね。沖野さんに小毬を案内しようと思って来たんです」
「案内ですか。それはありがたいですが、咲子さんはお忙しくはないのですか? 見て回るなら一人でもできますし、時間に余裕がないのであれば無理には……」
「いや、暇ですよ。こんな小さな地区だから、解決しなければならない問題なんてめったに起きないし」

 まあそうだろうな、と思ったが、口には出さない。

「それでは、お言葉に甘えようかな」
 そう答えて、咲子に続いて家を出る。
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