少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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西島咲子

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 ドアノブを回すと、開いた。これという特徴のない洋風の内装で、牧歌的な山村のイメージがまた少し崩れた。

「ああ、あなたが」

 落ち着きある透明感のある声に、真一は音源に注目する。床板がきしむ小さな音が次第に拡大され、部屋の奥から女性が現れた。
 三十代だろう。耳がかろうじて隠れる程度の短い髪の毛は栗色で、癖のないストレート。白い白地のTシャツにジーンズという服装で、シャツの胸部には躍動感のある字体で「小毬地区しか勝たん!」とつづられている。表情は柔和だが、目は笑っていない。

「初めまして。私がこの小毬地区の長を務めている、西島咲子です。えっと、あなたの名前は……」
「申し遅れました。私は旅の僧侶として世間さまに奉仕させていただいている、沖野真一です。どうぞよろしく」

 内心冷や汗をかきながら頭を下げる。「旅の僧侶」という肩書はともかく、せめて偽名くらいは僧らしいものにしたかったが、咄嗟にはいいものが浮かばなかった。

「沖野真一さん、ですね。虎退治の件、じっくりと話をしたいし、聞きたいので、応接間までご案内します。……汗をたくさんかかれていますね」
「そうですね。歩くのが仕事のようなものなのですが、この季節はどうしても」
「タオルと冷たい飲みもの、持ってきます。先に応接間に案内しますね」

 応接間は蒸し暑かった。咲子がリモコンでエアコンの電源を入れ、真一は黒革のソファに腰を下ろす。彼女が応接間から出て行ったのに前後し、送風口から流れ出てきた冷たい風に、大きく息を吐く。
 室温の低下に足並みを揃えて心身のこわばりがとけていく。菅笠を脱いで輪袈裟を外し、室内を見回す。木彫りの熊の置物、陶製の皿、幽霊のように陰気な顔の和装の女性が描かれた肖像画。地区長という地位に就いているからこそ贈られた贈り物の数々、といったところか。

 咲子は五分ほどで戻ってきた。真一に真新しい純白のタオルを手渡し、飲みものをガラス製のローテーブルに置く。氷入りのウーロン茶で、二人分。

 真一はタオルで顔と首筋をぬぐう。咲子は彼からそっぽを向いて茶を飲んでいる。虎について話をしたくて、あるいは力の詳細を訊き出したくてうずうずしている、という様子ではない。
 彼は汗を吸ったタオルを菅笠の上に置き、茶を一気に八割近く飲んだ。グラスをテーブルに置いたとたんに咲子が話を振ってきた。

「楠本さんたちは竹林まで偵察に行ったと聞いています。彼らに出会ったのは竹林の中ですか?」
「出てすぐのところです。二十四番所札所に向かっていたのですが、道に迷ってしまったらしくて。竹林に入った時点で、間違っていることには薄々気がついていたのですが、抜けるまで歩いてみようと思いまして」
「なるほど。ではさっそくですが、『力』について教えていただけますか。人食い虎を退治できるそうですが」
「虎ではない猛獣に試したことがあります。場所は北海道で、ヒグマだったのですが、猟銃を使うよりもスムーズに死に至らしめましたよ。種族の違いはありますが、虎に対しても有効だと考えて差し支えないでしょう」

 咲子はくり返しうなずく。顎に人差し指と親指を軽く添えるというポーズはわざとらしいが、ガラス製の天板に落ちた眼差しは真剣そのものだ。
 こんな子ども騙しをほんとうに信じているのだろうか? 真一はだんだん怖くなってきた。本気で信じているのだとしても怖いし、信じているふりをしているのだとしてもやはり怖い。
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