秘密

阿波野治

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「香坂はなにをしていたの? 手ぶらみたいだけど」
「買い物だよ。住友さんと同じで」
「なにを買うつもりなの?」
「えっと、本。なにか一冊買うつもりだったんだけど、いいのがなくて。そろそろ新しいのが読みたかったんだけどね」
「ああ、そうなんだ。電子書籍じゃなくて紙派なんだね」
「割合は半々くらいだけどね。スマホを買い与えられる前から読んでいるから、作品によっては紙の本を買うこともあって」
「ふうん、昔から難しいのを読んでるんだ。真面目だもんね、香坂は」

 マンガを読む人間に「真面目」とは普通言わない。住友さんはどうやら、僕が文字だけの本を買おうとしていたと勘違いしたらしい。
 僕は内心冷や汗をかいた。マンガ以外の本も読むには読むけど、一年につき数冊だというのに。

「買う本は特に決めてなくて、見て回ったけどこれという本がなかったって感じ?」
「そんな感じ。こづかいを多くもらっているわけじゃないから、買うのはどうしても慎重になってしまって。こうしてぼーっとしていると、なんでもいいから一冊買っておいて、外で読めばよかったって思うよ」
「じゃあ、今は暇なんだ」
「そうだね。本を買いに行こうと思ったそもそもの動機が、暇をつぶすためだったから」

「ふうん」と、かろうじて聞きとれる声でつぶやいたのを最後に、住友さんは口をつぐんだ。
 僕は話の糸口を見つけられなくて、沈黙が漂う。嘘をついてしまったのも相俟って、少し気まずい。
 住友さんは川面を眺めている。なにか考えごとをしている横顔だ。新しい話題を探しているのか。それとも、別れを告げるタイミングをうかがっているのか。

 木曜日や金曜日のような出来事があったとはいえ、一度食事をともにしているとはいえ、単なるクラスメイト同士。時間をともにする約束を事前に交わしていたわけではなくて、偶然出会っただけ。加えて、僕は人としゃべるのが得意ではない。会話が続かないのは当たり前だ。
 この状況、どう打開すればいいのだろう? 話題はなんでもいいから、とにかく話を振ってみるべきだろうか?

「香坂」
 呼びかけられて我に返る。住友さんは僕ではなくて、川へと視線を定めている。
 彼女は顔をゆっくりとこちらを向けると、さっきまで自分が見ていた方向を指差した。

「私の家はあっちの方角。川の向こうなんだけど、香坂の家はどっち方面?」
「D町だから、あっちだよ」
 自宅がある町の名を告げて、川下を指差す。住友さんはうなずき、

「じゃあ、少しのあいだだけ同じだね。いっしょに歩かない? 橋の袂まで」
「歩くって、公園の中を?」
「わざわざ出る必要あるの?」
 住友はふっと笑った。体の芯から熱が発生して、それがあっという間に体の隅々まで行き渡ったような感覚。

「そうだね。ごめんね、変なこと言って」
「変っていうほどでもないと思うけど。やっぱり本屋に戻って本を買う、とかじゃないなら」
「今日はもう買うつもりはないよ。あ、でもちょっと待って。ペットボトルを捨ててくる」
 残りわずかな中身をその場で飲み干して、自販機の脇のゴミ箱へと走る。十メートルほどの距離を往復しただけなのに、動悸がする。
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