秘密

阿波野治

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「ちょっと変だなって思ったから、さり気なくみのりを観察してたんだけど、ずっとそんな感じだったよ。すごくシリアスって感じでもなかったから、どうなんだろう? 気のせいなのかな? とか思いながら様子見してたんだけど、やっぱり一回声をかけたほうがいい気がして」
「そう言われても、わたしはなにも……」
「もしかして、悩みがちっぽけすぎて逆に言いづらいとか? そんなこと、別に全然気にしなくていいのに」
「いや、だから」
「遠慮しすぎは逆に失礼だよ。思いきってこの場で――」
「なんでもないって言ってるでしょ!」

 腹の底から吐き出したような大声と、握り拳で机の天板を叩いた音に、教室にいる全員の動きの一切が止まった。もちろん、僕も例外ではない。
 緊迫した雰囲気を表現するさいに、ピリピリした空気、という言い回しがよく使われるけど、肌に弱い刺激を与える粒子のようなものが、ほんとうに空気中を漂っているみたいだった。

 唾を呑みこむことさえはばかられる時間は、どれくらい続いただろう。

「ごめんなさい」
 沈黙を破ったのは、沈黙を作り出した張本人だった。

「冗談のつもりで大声を出したら、思っていた以上に大きな声になっちゃった。でも別に、羽生田さんの言ったことに気を悪くしたとか、そういうことじゃないから。ごめんね」
「ううん、気にしてないよ。ちょっとびっくりしたけど」

 羽生田さんは発声こそ滑らかだけど、ほほ笑む顔はぎこちない。真後ろにいる僕からは見えないけど、住友さんはきっと、羽生田さん以上にいびつな表情になっているのだろう。友だち四人の表情から推測した限り、おそらくそうだ。

「ごめん、トイレ」
 住友さんは慌ただしく席を立って、教室から出ていった。彼女が残していった淡いシャンプーの香りが、なんだか切なかった。

 金縛りが解けたかのように、教室に話し声が復活した。羽生田さんたちは声をひそめて言葉を交わしはじめた。

「みのり、どうしたんだろう?」
「珍しいよね、あんな大声出すの。私たちの前では初めてじゃない」
「うん、びっくりした」
「わたし、変なこと言ったかな?」
「そんなことないと思う。少なくとも、怒鳴る場面ではなかったよね」
「ほんと、どうしたんだろうね」

 四人の表情と声に含まれる戸惑いの色の濃度は高い。盛んに意見を出し合って、住友さんが声を荒らげた原因を推理し合ったものの、真相までは遠そうだ。

 本人が悩みはないと明言しているのだから、これ以上事情を探るのはやめておこう。
 四人がそう結論したのと、授業開始のチャイムが鳴ったのと、住友さんが教室に戻ってきたのは、ほぼ同時だった。住友さんの表情は少し硬いようだけど、それ以外に普段と違うところは特にない。

 僕は授業のあいだ、住友さんの後ろ姿をまじまじと見つめる時間を、普段の何倍もとってしまった。
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