春日遅々

阿波野治

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 帰宅すると、エミルはすぐさま本棚の掃除と整頓を開始した。汚れや乱れが目についたわけではない。なんらかの目的を持って体を動かすならば、することはなんでもよかった。

 K大学の学食を食べた後は、エミルは決まって体を動かしたくなる。
 ボリューム満点だから、余分に摂取したカロリーを消費しなければ、と無意識に思うのだろう。つい最近までそう考えていたが、よくよく考えれば、K芸大の学食は品目が多いので満足感を覚えやすいが、量自体は決して多くない。朝からわざわざ外食という、普段とは異なる行動を取ったことによって生じた一種の高揚感が、じっとしていることを許さないだろう。こじつけという気がしないでもないが、現在ではそう解釈している。

 まずは全ての本を本棚から取り出す。数えている途中で正確な数字を見失ってしまったが、およそ三百冊あった。既読はそのうちの三分の一程度。マンガが五で小説が一という割合で、未読の割合はその逆だ。マンガも小説も、ジャンルはてんでばらばらで、新しいものもあれば古いものもある。

 次に濡らした雑巾で棚の埃を拭う。拭い終わったら、最後は本を並べ直す作業だ。エミルはどちらかといえば綺麗好きだが、何事もきちっとしなければ気が済まないタイプではない。マンガは右側から並べ、小説は左側から。よく読み返すものは上に並べ、そうではないものは下に。大雑把な基準に則って並べていく。

 作業する手は頻繁に止まり、本を陳列するのではなく、ページを捲った。邪魔をするのは小説よりもマンガの方が多かった。特に何年も読み返していない作品だと、ついつい読み耽ってしまう。

 八割方片付けてしまい、伸びとあくびを同時にしながら時計を見ると、正午を回っていた。本日の昼食は、残った冷やご飯を使ってチャーハンを作ると昨日から決めていた。

 チャーハンを作るには、冷たいご飯よりも温かいご飯の方がいい。そんな情報をどこかで耳にしたことがあるが、エミルはその見解には否定的だ。以前に一度、冷やご飯をわざわざ電子レンジで温めてからチャーハンを作ったことがあるが、作りやすさも味も、温めなかった場合と変わらなかった。

 炒める前にご飯を溶き卵にからめておくとぱらぱらに仕上がる。熱を加えると水分が出てべちゃべちゃになるので、野菜は極力入れない方がいい。エミルが信用しているチャーハン作りに関する豆知識は、その二つだけだ。

 買い置きの食材が少なかったので、具材はハムと卵のみにした。サラダも欲しかったが、洗ってカットするだけで食べられる野菜が一種類もなかったので、野菜がたっぷり入ったインスタントのスープで間に合わせる。調理は勿論、食事も後片付けも手早く済ませ、本棚の整頓を再開する。

 残り数冊となった時、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』になにかが挟まっているのを発見した。指でつまんで引き抜く。二つ折りにされた紙片だ。開いてみた結果、フリーマーケットの開催を告知するチラシだと判明した。場所はアパートから徒歩十五分の場所にあるD公園。開催日時は本日の午前十時から夕方六時まで。

『一週間後、D公園でフリーマーケットが開催されまぁす。ご家族ご友人をお誘い合わせの上、是非足をお運びくださぁい』

 間延びしているにもかかわらず、真剣さがひしひしと伝わってくるという点で特徴的な、若い男性の声が忽然と甦った。声の主、つまりエミルにチラシを手渡した人物は、背の高い、顎鬚をうっすらと生やした、二十代半ばと見受けられる男性だった。それは覚えている。では、受け取った場所はどこだったのか。それに関する記憶がすっぽり抜け落ちている。

 フリーマーケットへ行こう、とエミルは心に決めた。
 その種のイベントが格別好き、というわけではない。会場に行ったとしても、チラシが配布された場所の謎を解明できるとは思わなかったし、解明したいとも思わない。暇だから足を運んでみる。それ以上でもそれ以下でもなかった。

 残りの本をやや駆け足で並べ、身支度を整えて自室を発った。朝食を食べに行った時の反省を踏まえて、コートは持たずに。
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