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アリスと喧嘩した。
いいや、喧嘩なんてもんじゃない。
アリスは正しいことを言って、私がそれにキャンキャン吠えただけだ。
アリスはなにも間違ったことは言っていない。正しいことに怒った私が悪い。
でも。それでも、私にだって言われたくないことだってある。
こっちは毎日必死でこの世界のことを学んでいるのに、その私に向かってお前は知らないだろうがと言わんばかりの言葉は無いだろう。
私は司祭になるための試験がどんなものかなんて知らない。
でも神様がイリアなら司祭になれると言ったのだ。だから私は司祭になればと言っただけなのにさも分かってないやつみたいに言われれば流石の私だって傷つく。
……せっかく仲良くなってきたのになぁ。
全部無駄に終わっちゃうのかな。
私は無性に悲しくも虚しくなり庭園の奥にある東屋に入りどっかと腰を下ろした。
「お茶をご用意しましょうか?」
ずっと後をついてきていたレーネがそっと声をかけてくる。
「ありがとう。でもいらないわ。ちょっと気持ちを整理したいだけだから」
ため息を吐いて俯く。ねえ、とレーネに声をかけた。
「私が悪かったのかな」
レーネは即座にいいえ、と否定した。
「どちらも悪くはありません。ただ、ヴィルフォア少佐の言葉には気遣いが欠けていたと思います。少佐はヒナコ様がまだこちらにおいでになって三ヶ月にも満たないというのをお忘れなのかと」
「そうだよねー。私まだこっちに来て三ヶ月なんだよねー。司祭のなりかたなんて分からなくて仕方ないと思わない?」
「ヒナコ様はとてもよく学ばれていると思いますよ」
「でも、アリシヴェートからすればまだまだなんだなぁ」
無意識にアリスではなくアリシヴェートと呼んでいた。心のどこかで壁を作ってしまったのかもしれない。けれどその壁の壊し方を私は知らなかった。
帰りたい。
ぽつりとそんな思いが湧き上がってきた。
それはじわじわと心の中を蝕んでいき今まで自分が気力だけで突き進んできたのを思い知らせてくる。
プールも水着ももうどうでもいい。
帰りたい。元の世界に。
心の中がそれだけになっていく。
先代は帰りたいと思わなかったのだろうか。その方法を探らなかったのだろうか。
でも仲の良い夫婦だったそうだから満足していたのかもしれない。
でもいくら仲が良いと言ったって喧嘩した日だってあっただろう。そんな時はどうしていたのだろう。
仲直りの仕方が分からない。
元の世界にいた時は私はまあいわゆるいい子ちゃんだったので意見の衝突なんて長いこと経験してこなかった。
いい子ちゃんの外面被っておけば良かったのに。どうしてあそこで噛みついてしまったのだろう。
あーもうやだ。帰りたい。普通の生活に戻りたい。
でもそれを口にしたら泣いてしまいそうで膝を抱えてぎゅっと奥歯を噛み締める。
俯き、溢れてしまいそうな何かを堪えていると目の前に誰かが立った気配がした。
それはすっと私の前で膝をつくとヒナコ、と低い声で語りかけてきた。アリシヴェートだった。
「すまない、私の言い方が悪かった。私はその、バランにも怒られるのだが言い方がキツいんだそうだ。気をつけているつもりなのだが、その、ヒナコの前ではつい素が出てしまうというか……」
「私にはとりつくろってやる価値もないってこと?」
我ながら驚くほど低い声が出た。そうじゃない、とアリシヴェートが慌てた声を出す。
「きみの前では、ありのままの自分でいられるということだ。うまく、伝わるだろうか……」
そこでようやく視線を上げると思わず笑ってしまった。
耳はへちょーっと伏せられて顔も困ってますと言わんばかりに眉尻が落ちている。
「ちょっと、笑わせないでよ。怒る気失せるじゃないの」
私が笑うと彼はホッとした顔になって耳を立てた。
目は口ほどに物を言うというが彼の場合は耳だな。尻尾はどうなっているんだろう。出ているところを見たことがないからズボンの中にインしているのだろう。
「もういいよ、別にアリシヴェートが悪気があって言ったんじゃないって分かってるから。ただ、私はまだこの世界に来てまだ三ヶ月も経ってないってことは忘れないで欲しい。知識が足りていないと分かったら教えて欲しいしそれを切り捨てるようなことはしてほしくない」
「分かった。気をつける」
それで、とアリシヴェートは私をじっと見つめて言う。
「ティータイムには、まだ遅くはないと思うが」
誘ってくれているのは分かった。でも、私はそれを断った。
「まだちょっと感情がぐちゃぐちゃしてるの。バランに申し訳ないから今日は辞退させて。明日までにはリセットしておくから」
「……バランには気を使うのだな」
どこか棘のある言葉を放つアリシヴェートに首を傾げる。
「え?なにが?」
「いや、なんでもない」
「そう?じゃあそういうことでバランによろしく伝えておいて。じゃあね、アリシヴェート」
私は立ち上がるとそう手をひらひらと振ってアリシヴェートの傍を抜けてその場を立ち去った。
アリシヴェートがその場にいつまでも立ち尽くしていたことに、当然ながら私は気づきもしなかった。
「帰りたいけど帰れなーい!もうこれは仕方なーい!」
私は自分に言い聞かせるようにそう叫びながらお風呂でバシャバシャと湯を叩いた。
バラの花びらが叩かれて湯の中に沈んではまた浮かんでくる。いい匂いだ。
「でも本当に帰る方法ってないのかな」
湯船から出てレーネに体を拭かれながら呟くとレーネがもしかしたら巫女様ならご存知かもしれませんね、と言った。
「巫女さんかぁ。でもそれなら神様に聞いたほうが早くない?」
「それもそうですね。さすがヒナコ様。明日なにかイチゴのお菓子を用意しておきましょうか?」
「うん!そうしてくれるとありがたいな。神様なら確実でしょ!」
私はそう笑って夜着に手を通した。
(続く)
いいや、喧嘩なんてもんじゃない。
アリスは正しいことを言って、私がそれにキャンキャン吠えただけだ。
アリスはなにも間違ったことは言っていない。正しいことに怒った私が悪い。
でも。それでも、私にだって言われたくないことだってある。
こっちは毎日必死でこの世界のことを学んでいるのに、その私に向かってお前は知らないだろうがと言わんばかりの言葉は無いだろう。
私は司祭になるための試験がどんなものかなんて知らない。
でも神様がイリアなら司祭になれると言ったのだ。だから私は司祭になればと言っただけなのにさも分かってないやつみたいに言われれば流石の私だって傷つく。
……せっかく仲良くなってきたのになぁ。
全部無駄に終わっちゃうのかな。
私は無性に悲しくも虚しくなり庭園の奥にある東屋に入りどっかと腰を下ろした。
「お茶をご用意しましょうか?」
ずっと後をついてきていたレーネがそっと声をかけてくる。
「ありがとう。でもいらないわ。ちょっと気持ちを整理したいだけだから」
ため息を吐いて俯く。ねえ、とレーネに声をかけた。
「私が悪かったのかな」
レーネは即座にいいえ、と否定した。
「どちらも悪くはありません。ただ、ヴィルフォア少佐の言葉には気遣いが欠けていたと思います。少佐はヒナコ様がまだこちらにおいでになって三ヶ月にも満たないというのをお忘れなのかと」
「そうだよねー。私まだこっちに来て三ヶ月なんだよねー。司祭のなりかたなんて分からなくて仕方ないと思わない?」
「ヒナコ様はとてもよく学ばれていると思いますよ」
「でも、アリシヴェートからすればまだまだなんだなぁ」
無意識にアリスではなくアリシヴェートと呼んでいた。心のどこかで壁を作ってしまったのかもしれない。けれどその壁の壊し方を私は知らなかった。
帰りたい。
ぽつりとそんな思いが湧き上がってきた。
それはじわじわと心の中を蝕んでいき今まで自分が気力だけで突き進んできたのを思い知らせてくる。
プールも水着ももうどうでもいい。
帰りたい。元の世界に。
心の中がそれだけになっていく。
先代は帰りたいと思わなかったのだろうか。その方法を探らなかったのだろうか。
でも仲の良い夫婦だったそうだから満足していたのかもしれない。
でもいくら仲が良いと言ったって喧嘩した日だってあっただろう。そんな時はどうしていたのだろう。
仲直りの仕方が分からない。
元の世界にいた時は私はまあいわゆるいい子ちゃんだったので意見の衝突なんて長いこと経験してこなかった。
いい子ちゃんの外面被っておけば良かったのに。どうしてあそこで噛みついてしまったのだろう。
あーもうやだ。帰りたい。普通の生活に戻りたい。
でもそれを口にしたら泣いてしまいそうで膝を抱えてぎゅっと奥歯を噛み締める。
俯き、溢れてしまいそうな何かを堪えていると目の前に誰かが立った気配がした。
それはすっと私の前で膝をつくとヒナコ、と低い声で語りかけてきた。アリシヴェートだった。
「すまない、私の言い方が悪かった。私はその、バランにも怒られるのだが言い方がキツいんだそうだ。気をつけているつもりなのだが、その、ヒナコの前ではつい素が出てしまうというか……」
「私にはとりつくろってやる価値もないってこと?」
我ながら驚くほど低い声が出た。そうじゃない、とアリシヴェートが慌てた声を出す。
「きみの前では、ありのままの自分でいられるということだ。うまく、伝わるだろうか……」
そこでようやく視線を上げると思わず笑ってしまった。
耳はへちょーっと伏せられて顔も困ってますと言わんばかりに眉尻が落ちている。
「ちょっと、笑わせないでよ。怒る気失せるじゃないの」
私が笑うと彼はホッとした顔になって耳を立てた。
目は口ほどに物を言うというが彼の場合は耳だな。尻尾はどうなっているんだろう。出ているところを見たことがないからズボンの中にインしているのだろう。
「もういいよ、別にアリシヴェートが悪気があって言ったんじゃないって分かってるから。ただ、私はまだこの世界に来てまだ三ヶ月も経ってないってことは忘れないで欲しい。知識が足りていないと分かったら教えて欲しいしそれを切り捨てるようなことはしてほしくない」
「分かった。気をつける」
それで、とアリシヴェートは私をじっと見つめて言う。
「ティータイムには、まだ遅くはないと思うが」
誘ってくれているのは分かった。でも、私はそれを断った。
「まだちょっと感情がぐちゃぐちゃしてるの。バランに申し訳ないから今日は辞退させて。明日までにはリセットしておくから」
「……バランには気を使うのだな」
どこか棘のある言葉を放つアリシヴェートに首を傾げる。
「え?なにが?」
「いや、なんでもない」
「そう?じゃあそういうことでバランによろしく伝えておいて。じゃあね、アリシヴェート」
私は立ち上がるとそう手をひらひらと振ってアリシヴェートの傍を抜けてその場を立ち去った。
アリシヴェートがその場にいつまでも立ち尽くしていたことに、当然ながら私は気づきもしなかった。
「帰りたいけど帰れなーい!もうこれは仕方なーい!」
私は自分に言い聞かせるようにそう叫びながらお風呂でバシャバシャと湯を叩いた。
バラの花びらが叩かれて湯の中に沈んではまた浮かんでくる。いい匂いだ。
「でも本当に帰る方法ってないのかな」
湯船から出てレーネに体を拭かれながら呟くとレーネがもしかしたら巫女様ならご存知かもしれませんね、と言った。
「巫女さんかぁ。でもそれなら神様に聞いたほうが早くない?」
「それもそうですね。さすがヒナコ様。明日なにかイチゴのお菓子を用意しておきましょうか?」
「うん!そうしてくれるとありがたいな。神様なら確実でしょ!」
私はそう笑って夜着に手を通した。
(続く)
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