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水原敬介はとある自動車部品の製造会社で部長をしているくたびれたおっさんである。
五十二歳だったが敬介は独身だった。
茫洋とした顔立ち、性格もそんな感じだと言われる。
それなりに長い人生を歩んできたが結婚の文字が上がったこともなければ女性とお付き合いをしたこともない。
せいぜいお見合いマッチングで数人の女性とお食事をしたくらいだ。
けれどその誰もが敬介は違うと言って去っていった。だから彼はこの歳になっても女性と手を繋いだことすらなかった。
中学校の体育祭のフォークダンスをカウントして良いものかと思うくらいに縁がなかった。
両親はもう嫁の顔も孫の顔も諦めているようだった。だからせめて頻繁に実家に帰っては親孝行をしている。
孝行、というよりは償いに近い。
敬介は特にこれと言って不自由なく育てられた。両親の仲も良好で親子間も良かった。
それだけに両親はがっかりしていることだろう。いつか、いつかと願い続けた息子はもう五十過ぎだ。
敬介はごめんなさいの代わりに父母に会いにいくのだ。
その日も敬介は休日を利用して実家に帰るところだった。
敬介の住むマンションは駅から十五分ほど歩いたところにあって人通りはさほど多くない。
マンションを出て今日はどこの店で手土産を買おうかなんて考えながら横断歩道の前に立つ。
青信号になるのを待っていると隣に若い女性が立った。
この時間にしては見ない人だな、と思いながらまあこの辺りに住んでいる人を把握しているわけでもないので特に気にせず前を向いた。
「きゃあ!」
突然悲鳴が上がってそちらを見ると、さっきの女性が光に包まれていた。
「助けて!」
伸ばされた手を咄嗟に掴んで引き寄せる。が、バランスを崩して今度は敬介がその光の中に入ってしまった。
光が強くなる。
かああっと頭の中が熱くなり全身も熱くなる。視界が光で埋め尽くされてぎゅっと目を閉じるとかくんっと脚の力が抜けてその場に座り込んだ。
「……?」
光が治って恐る恐る目を開くと、そこには見慣れぬ景色が広がっていた。
白い、まるで何かの儀式でもするかのような広い部屋に大勢の人々が驚きの表情で固まっている。
彼らの服装は歴史の教科書に出てきそうな中世ヨーロッパ風の服装で、中には軍人なのだろうか鎧を纏った者もいる。
「魔王だ……」
ここはどこですか、の一言を発するより早く白い髭をたっぷりと蓄えた老人がぼそりと言った。
「なんということだ!聖女ではなく魔王を召喚してしまった!」
へ?魔王?どういうこと?
敬介がきょとんとしていると老人はさらに声を上げる。
「捕えよ!」
わっと兵士らしき人たちが駆け寄ってくる。
こわい!
ぎゅっと身を縮こまらせるとかっと体が光って敬介の体から半径一メートルくらいを包み込んでそこから誰も近づけなくなる。
え、これ私がやったの?敬介は戸惑う。
「これは……既に魔王としての力に覚醒しておる!」
どういうこと、魔王って何、ここはどこ。
混乱していると人々の間を縫ってひとりの人間……いや、獣人というやつなのだろうか、が現れた。
黒猫の頭に逞しい体を軍服に包んでいる。
「ここは私が」
彼はそう言うと敬介の光の円の外側に片膝をついて敬介と視線を合わせた。
「私はこのペレンディッシュ帝国近衛兵団第一軍団第二副官。アルべニーニョ・ヴァン・ウルリッヒと言う。あなたのお名前は?」
「……水原、敬介」
「ミズハラケイスケ。どちらが名前か聞いても?」
「敬介が、名前です。ケイスケ・ミズハラ」
アルべニーニョと名乗った男は宜しい、と言いたげににこりと笑った。
「ミズハラ殿、私たちは不当に貴方を拘束しない、傷つけないと約束します。だからこの結界を解いてもらってもいいですか?」
「……」
不思議な人だなぁと思った。きっと敬介より遥かに年下だろうに距離を縮めるのが上手い。
「……どうして私が魔王なんですか」
そう問うと彼は苦笑してその角ですよ、と言った。
「角?」
「気づいてませんでした?」
慌てて頭に手をやるとそこには何か巨大なものが左右にあった。
「え、なにこれ、ええ?」
アルべニーニョが懐から小さな鏡を取り出してこちらに向けた。
そこには羊の角のようなものが生えた自身の青い顔が映っていた。
しかも額にはなにやら丸い黒い石のようなものがはまっている。そっと手で触ってみると角と同じようにきちんとそこにあった。
「それは魔石です。あなたの魔力の源となるものです」
「……」
「わからないことはお教えします。ですからまずはどうかこの結界を解いていただけませんか」
「どう、やって」
「私は魔法は使えないので何となくでしか言えませんが、解けろと念じても解けませんか?」
解けろ、解けろ……。
するとそれは光の粒となって消えていった。
一歩、アルべニーニョが近づく。何をされるのかわからず年甲斐もなくカタカタと震えていると手を差し伸べられた。
「どうか私と仲良くしていただけませんか?ミズハラ殿」
猫が日向ぼっこをしている時のあの顔で手を差し伸べられて敬介は彼の顔と手を見比べた。
彼の手は黒い体毛で覆われていたが手のひらは灰色のなめし革のような艶やかさを持っていた。
「……よろしく、お願いします」
その手を取ると、冷たそうに思えたその手は温かかった。
その瞬間、誰もが膝をついて平伏した。
「え、え?」
戸惑う敬介にアルべニーニョは微笑んだ。
「ようこそ、魔王よ。我らの良き隣人となることを祈ります」
父さん、母さん。
なんか知らんが私は魔王になってしまったようです。
敬介は戸惑いの視線で膝をつくアルべニーニョを見つめた。
五十二歳だったが敬介は独身だった。
茫洋とした顔立ち、性格もそんな感じだと言われる。
それなりに長い人生を歩んできたが結婚の文字が上がったこともなければ女性とお付き合いをしたこともない。
せいぜいお見合いマッチングで数人の女性とお食事をしたくらいだ。
けれどその誰もが敬介は違うと言って去っていった。だから彼はこの歳になっても女性と手を繋いだことすらなかった。
中学校の体育祭のフォークダンスをカウントして良いものかと思うくらいに縁がなかった。
両親はもう嫁の顔も孫の顔も諦めているようだった。だからせめて頻繁に実家に帰っては親孝行をしている。
孝行、というよりは償いに近い。
敬介は特にこれと言って不自由なく育てられた。両親の仲も良好で親子間も良かった。
それだけに両親はがっかりしていることだろう。いつか、いつかと願い続けた息子はもう五十過ぎだ。
敬介はごめんなさいの代わりに父母に会いにいくのだ。
その日も敬介は休日を利用して実家に帰るところだった。
敬介の住むマンションは駅から十五分ほど歩いたところにあって人通りはさほど多くない。
マンションを出て今日はどこの店で手土産を買おうかなんて考えながら横断歩道の前に立つ。
青信号になるのを待っていると隣に若い女性が立った。
この時間にしては見ない人だな、と思いながらまあこの辺りに住んでいる人を把握しているわけでもないので特に気にせず前を向いた。
「きゃあ!」
突然悲鳴が上がってそちらを見ると、さっきの女性が光に包まれていた。
「助けて!」
伸ばされた手を咄嗟に掴んで引き寄せる。が、バランスを崩して今度は敬介がその光の中に入ってしまった。
光が強くなる。
かああっと頭の中が熱くなり全身も熱くなる。視界が光で埋め尽くされてぎゅっと目を閉じるとかくんっと脚の力が抜けてその場に座り込んだ。
「……?」
光が治って恐る恐る目を開くと、そこには見慣れぬ景色が広がっていた。
白い、まるで何かの儀式でもするかのような広い部屋に大勢の人々が驚きの表情で固まっている。
彼らの服装は歴史の教科書に出てきそうな中世ヨーロッパ風の服装で、中には軍人なのだろうか鎧を纏った者もいる。
「魔王だ……」
ここはどこですか、の一言を発するより早く白い髭をたっぷりと蓄えた老人がぼそりと言った。
「なんということだ!聖女ではなく魔王を召喚してしまった!」
へ?魔王?どういうこと?
敬介がきょとんとしていると老人はさらに声を上げる。
「捕えよ!」
わっと兵士らしき人たちが駆け寄ってくる。
こわい!
ぎゅっと身を縮こまらせるとかっと体が光って敬介の体から半径一メートルくらいを包み込んでそこから誰も近づけなくなる。
え、これ私がやったの?敬介は戸惑う。
「これは……既に魔王としての力に覚醒しておる!」
どういうこと、魔王って何、ここはどこ。
混乱していると人々の間を縫ってひとりの人間……いや、獣人というやつなのだろうか、が現れた。
黒猫の頭に逞しい体を軍服に包んでいる。
「ここは私が」
彼はそう言うと敬介の光の円の外側に片膝をついて敬介と視線を合わせた。
「私はこのペレンディッシュ帝国近衛兵団第一軍団第二副官。アルべニーニョ・ヴァン・ウルリッヒと言う。あなたのお名前は?」
「……水原、敬介」
「ミズハラケイスケ。どちらが名前か聞いても?」
「敬介が、名前です。ケイスケ・ミズハラ」
アルべニーニョと名乗った男は宜しい、と言いたげににこりと笑った。
「ミズハラ殿、私たちは不当に貴方を拘束しない、傷つけないと約束します。だからこの結界を解いてもらってもいいですか?」
「……」
不思議な人だなぁと思った。きっと敬介より遥かに年下だろうに距離を縮めるのが上手い。
「……どうして私が魔王なんですか」
そう問うと彼は苦笑してその角ですよ、と言った。
「角?」
「気づいてませんでした?」
慌てて頭に手をやるとそこには何か巨大なものが左右にあった。
「え、なにこれ、ええ?」
アルべニーニョが懐から小さな鏡を取り出してこちらに向けた。
そこには羊の角のようなものが生えた自身の青い顔が映っていた。
しかも額にはなにやら丸い黒い石のようなものがはまっている。そっと手で触ってみると角と同じようにきちんとそこにあった。
「それは魔石です。あなたの魔力の源となるものです」
「……」
「わからないことはお教えします。ですからまずはどうかこの結界を解いていただけませんか」
「どう、やって」
「私は魔法は使えないので何となくでしか言えませんが、解けろと念じても解けませんか?」
解けろ、解けろ……。
するとそれは光の粒となって消えていった。
一歩、アルべニーニョが近づく。何をされるのかわからず年甲斐もなくカタカタと震えていると手を差し伸べられた。
「どうか私と仲良くしていただけませんか?ミズハラ殿」
猫が日向ぼっこをしている時のあの顔で手を差し伸べられて敬介は彼の顔と手を見比べた。
彼の手は黒い体毛で覆われていたが手のひらは灰色のなめし革のような艶やかさを持っていた。
「……よろしく、お願いします」
その手を取ると、冷たそうに思えたその手は温かかった。
その瞬間、誰もが膝をついて平伏した。
「え、え?」
戸惑う敬介にアルべニーニョは微笑んだ。
「ようこそ、魔王よ。我らの良き隣人となることを祈ります」
父さん、母さん。
なんか知らんが私は魔王になってしまったようです。
敬介は戸惑いの視線で膝をつくアルべニーニョを見つめた。
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