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捨てるなら、最初から捨てなければいい。
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彼女は知っていた。
知っていたはずなのに、どうして彼の手を手放したのだろうか。
ただ私はそんなことを考えていた。その問いかけを、彼女にしてしまいそうなぐらいだった。私の心がこれだけ波打つのは珍しい事だった。
冷めた目を向けて、彼女にそんな風に問いかけをしたいと思ってしまう自分に、私自身はとても驚いていた。
私の言う彼は……シィク・ルサンブルはこの魔法学園の中で有名な少年だった。大貴族の次男であり、美しい見目を持ち合わせている。まるで人形のような、誰かに作られたような整った顔立ちに魅了されている女子生徒は多かった。また、その力も強かった。
黄金にきらめく美しい髪に、緋色の瞳。その目は何時だって、周りを興味なさ気に見ていた。
初等部から存在しているこの学園で、私も、彼も初等部から通っている。だからこそ、私は彼の事をずっと昔から知っていた。周りを冷めたように見ている彼の事をずっと、見ていた。
他の生徒たちは、ただ「かっこいい」「すごい」と騒いでいた。
だけど——誰もその冷めた瞳の奥底の思いに気づいていない事に、私は気づいていた。
私が、幼いながらに彼のその冷たい瞳に気づいていたのは前世の記憶などというバカげたものを持っていたからだった。
前世の私は日本と呼ばれる場所で生きていた。そして20歳という若さで事故死した。そしてこの異世界に生まれ変わった。
前世の私は冷めた女性だった。現世の私も前世の記憶があるのもあって自分で妙に冷めている自覚がある。子供の頃に見ていたものは大人になってから多大な影響を及ぼすものだ。前世の私の冷めた部分は幼少の心に刻まれていたものだ。
前世の両親は私にとってのトラウマであった。
にこやかに話した相手の悪口をすぐに言い捨てる。そして喧嘩をいつもしているのに、仲が良い夫婦を演じている。
それをずっとずっと見せられていた。
誰にだって仮面がある、というのは理解している。作った姿があるというのも理解している。だけれどもそれを子供の前でも隠さなかったこと。それは理解出来ない。そんなものをずっと見せられた私からしたら仲良い家族というのは幻想でしかなく、家族も恋人もそんなものが存在していることが信じられなかった。
友情に対してもそう言える。面倒な人間は切り捨てられるもので、絶対と言えるものなんてこの世には存在しないと20歳しか生きていない小娘でありながら思っていた。
愛情も友情も永遠と続くなんてそんなもの物語の中にあるだけだ。
生まれ変わってもその想いは変わらなかった。でもどこかでそんな絆があったらいいなという羨望の心はあった。
現世の両親も仲が良いということはなく、愛人だっていて、やはり家族は幻想だとは思っていたけれども。
そんな私が彼を見ていたのは、ただ孤独を感じる冷めた少年なんて物語の主人公にぴったりだと思ったから。いつか彼を救うヒロインでも現れるのではないかという期待をしながら見ていた。
だからこそ、実際にそういう存在が現れた時、私は珍しく心が躍った。彼が、幸せになればいいと願った。
実際にそのヒロインのような少女——ヒメ・メシープルが現れたのは中等部の頃で、かわいらしい転入生だった。私はそのヒロインやその取り巻きとかした人たちの姿をただ観察していた。実際に関わる事は一切にしないで、ただ傍観者であった。
ヒロインが引き起こす数多の騒動。
――人気者の男たちと関わり合って、そのファンの女性達から嫌がらせを受けたりしながら、彼らと心を通わせていった。
その中には彼もいた。冷めた目をしていた彼が徐々に心を許していく様を私はただ見つめていた。
前世でいう逆ハーといった事を引き起こしていても私には関係がなかった。騒動によって被害が起きそうになった場合は自分で対処できる範囲だったから、学園内がその騒動で騒がしくても私には関係がなかった。
ただ私は彼を見ていた。
ずっと、ずっと見ていたのだ。彼が彼女に笑いかけられるようになった瞬間を。心を許していった姿を。あんなに冷めていた彼が彼女に本音を零せるようになった瞬間を。その一瞬一瞬を目で追っていた。
見つからないように見ていた。ただずっと見ていたかった。
彼女は本当に物語のヒロインのようで、色々な人の弱さを知っていった。心に簡単に入り込んでいって、その心を知って行った。あんなに純粋な存在が実際に居るのだと驚いてしまった。冷めた心を持っている私には真似が出来ないことで、やろうとさえ思わない行為だ。私は周りに対して関心を持っていない。そして例え気づいてもその心を知ろうとは思わない。それでも誰でも救えると思っているのだろうか。そう考えると彼女は愛に満たされて生きてきたのかもしれないと思った。
だって愛されてこなければあれだけ純粋には生きられない。あれだけ周りを信頼して、誰かのために生きようと思えるのはきっと自分の人生に満足しているからなのだろう。なぜなら自分の人生に満足できていなければ他人を思いやる余裕なんて持てない。違うかもしれないけれど、少なくとも私はこう思っている。
見ていくうちに彼は彼女に愛情を持った。恋愛感情という名の執着だったのかもしれない。でもきっと彼が彼女を愛したのは事実だっただろう。昔から彼を観察していた私には、彼が彼女を愛したのが分かった。
彼も恋をするのだと、驚いたのを覚えている。
「良かった」
だけど、嬉しかった。彼が恋をしたことが。冷めていた彼の瞳に熱が宿った事が。
彼の愛した彼女は驚くほどに人に好かれた。他の人はそこまで重い想いはなかったように見える。だけど、彼の想いは重い。冷めていた彼は唯一の存在を求めていて、執着していた。私は接触したことはなかったけれどずっと彼を見ていたからそれがわかった。
今まで何も求めてこなかった彼が、彼女を唯一求めた。何としてでも手に入れたいという異様な執着がそこにはあった。
彼は彼女が他の人の手を取ったら何をしでかすか分からないような狂気を持ち合わせていた。それでも正気を保っていて、表面上は普通だったのは——その狂気が突然現れたものではなく、普段から存在していて当たり前の狂気だったから。
何かが起きて壊れてしまった人間は、耐えられない人は多いだろう。壊れてしまう人は多いだろう。昔、この国に居た王子が恋人を失って壊れたという話が残っているように。でもそれとは違うのだ。彼も、そしてきっと私も。彼は育った環境で、そんな人間になった。だからこそその執着は彼の本質なのだ。そして私の冷めた部分も、人を信頼しないのも、人に無関心なのも、私自身の本質だ。環境次第で人は育っていく。人によってそれに直面した時にどう感じるかは違うから、ヒロインを私や彼と同じ環境において同じようになるとは思わないけれど。
あのヒロインは、彼の狂気を否定するだろうか。彼女以外は何もいらないとでも切り捨ててしまいそうな彼の事を。
しばらくして、彼は彼女に告白した。彼女も彼に告白されて、嬉しそうに笑った。どうやら彼女は彼に惹かれていたらしかった。でも彼は優しいのだと思う。だって、ちゃんと言っていたんだ。
『俺は手に入れたら手放せない。逃がさない。一度手に入れたら。嫉妬だってする。俺は自分を抑えられないから』ってちゃんとそういう事言っていたから。彼女が好きだから、他にやりたくないけど、幸せにしたくないわけではなかったのだと思う。
彼女に伸ばされた手が震えていたのを。おそるおそると触れていたのを、私は知っていた。壊したくないと思ってたのかもしれない。自分をきっと彼は知っていたから。その自分自身といえる強い狂気が彼女を壊してしまうんじゃないかと怖かったんだと思った。
きちんと彼は忠告したんだ。幸せを願ってたから、きっと好きだったから。自分の執着と言う名の狂気が暴走するかもしれないって言ってたんだ。抑えきれない狂気があるからって。
彼はきっと優しい彼女なら、受け止めてくれると思ってたんだ。
彼女は彼の手をとった。彼は嬉しそうに笑った。ずっと観察している私が見た事のないような笑みを浮かべて。
そう、『私は何があっても離れない』って無責任に彼女はそういって彼を拾って、手にした。私はその時、少し期待した。永遠があるのだろうかと。物語の世界みたいに、一生死ぬまで寄りそい合う事が出来るのだろうかと。でも、彼女は駄目だと思った。
どうして彼女は彼のために動かないんだろう。
誰とでも仲良くするのが彼女で、明るくて、優しいのが彼女。そして人を救う力を持って、まるで太陽みたいなのが彼女。そんな彼女の性質を彼だってちゃんと知ってた。
他の人ではなく、彼を取ったなら、彼を恋人としたなら、何で彼女は彼のために生きられないのだろう。今まで通りに苦しんでいる人に手を伸ばし、自分に惚れて居た人達と友人になって。いっていたじゃないか。彼はちゃんと。自分を抑えようと必死だったじゃないか。他の人と喋らないでほしいとただその狂気を抑えながら。
彼の狂気を受け入れてまで何があっても離れないと言ったのなら、彼が暴走しないようになるべく彼の傍にいてあげればよかったのに。
ずっと見てたらわかった。
彼女が誰かと喋っていると歪んだ顔が。彼女が誰かを助ける度に不安そうに揺れる瞳が。彼女が誰かに笑いかけるために震える体が。
不安定で、異常と思えるほどに彼女に執着していたのが彼だった。
手にした唯一が離れたら彼はどうなってしまうのだろう。その不安定さに、彼女はきっと気付いていなかった。もしこの時気付いていたなら、彼女はきっと彼の傍にずっといた。
彼女がその不安定さと、それよりも強大な狂気に気付いたのはそれから一年以上後だった。彼はずっと我慢していた。抑えよう抑えようとしていた。
壊すのが怖かったから。笑顔を失われるのが怖かったから。でもそういう彼の不安に、彼女はきちんと気付いてくれなかったのだ。
だから彼は抑えられなくなった。
彼は彼女を束縛するようになる。抑えきれないものは溢れだしてしまうのは当然だった。
不安定さと狂気がにじみでる中で、彼女は彼の狂気ばかりを見た。彼がおかしいとやっと気付いたとでも言うようだった。酷く滑稽だった。
最初から彼はおかしかったのに。結局彼の心に入っておきながら、その本質の異質さを彼女は理解していなかったようだった。自分が離れたら壊れそうな彼の不安定さにもようやく気付いたようだった。
ああ。何で気付かないんだ。
束縛を嫌がるように目を伏せる彼女に、彼の体が震えた事を。
脅えを見せた瞳の彼女に、彼の瞳が恐怖に揺れた事を。
そこで抱きしめて、離れないといつも通りに笑えばよかったのに。彼はきっと安心出来たはずなのに。どうして狂気ばかり見るのだろう。離れていく事に震えている不安定な彼が、わからないのだろうか。
彼女は彼に恐怖する心に支配されて、それが見れる余裕がないのだ。結局自分でいっぱいな人は他人にまで気が回らないんだろうなとただ思った。
どんどん彼が狂気に支配されていく。でもそれは彼女が抱きしめなかったから。不安そうに脅えた目を見せたから。ああ、彼を受け止める強さがないなら最初から受け止める事をしなければよかったんじゃないか。
拾ってくれて、受け止められたからこそ、彼が期待したというのに。
結局、彼女は彼を捨てた。恐怖心に、他の人達に縋ったんだ。他に彼女に惚れていた男達に。嫌だ、離れないで、って彼の心が泣いてるのに。どうして、安心させてやらないのだろう。
他の人達だってそう。束縛を異常と見て、彼女を守ろうと動く。彼が悪いとただ責める。彼から彼女を引き離す。不安定さを知っていたならば、離れたら彼がどうなるかぐらい理解しただろうに。それより自分を取ったのだ。
ああ、やっぱり人は自分が大事なんだと思った。
狂気を纏った彼は、周りにとってきっとめんどくさい人間と認識された。他と違う考えを持つからこそ、異質だからこそ、周りに恐怖される。他と違う事を人に認識されれば、そうなるものだ。
彼はただ彼女だけを見ていた。
彼女の脅えた瞳や、他に縋る手を見て、徐々に執着心が溢れ出てくる。彼は他の人の目なんて気にしていない。ただ彼女の目だけ気にしていた。彼女の事だけを、彼女からの視線だけを――…。
他のものなんてどうでもいいと言う風に。
受け入れたなら、あんな狂気も受け止めてあげればいいのに。脅えるなら最初から手なんて取らなければよかったのに。
彼女に少し苛立ちを感じた。
結果をいえば、彼女は逃げた。彼が彼女が居ると狂うからと。新たに恋人を作って、その生徒会長だった男と共に学園を去った。
彼女が去った彼は大人しかった。でもそれは狂気がなくなったわけでもない。周りがこれで彼は彼のままだと思ってても、違った。その心はすっかり色を無くしたように空洞だった。それでも周りに彼女が関わらなければ狂わないと思われたのは――、彼が元から狂っていて、唯一執着する彼女以外には冷たい対応が普通だったからなだけだ。狂気はずっと彼の心にある。その執着心を否定するのは彼を否定するようなもの。
彼自身を否定した彼女は、彼に傷をつけた事をわかっているのだろうか。
元から人間らしくなかった彼が、また傷ついて人間味を失っていたのが見ていてわかった。
前と変わらないようで、ボロボロなのを気付いていた。
彼女にいら立ちを感じる。どうして拾ったのと。受け入れようとしたのかと。元からそうしなければ、こんな風にボロボロになる事はきっとなかったのにと。
表面上には出さないけど、心の奥から湧いてくる感情に、私は彼が好きなのかと冷静にその時はじめて理解した。愛情なんて信じてない癖に、彼に好きという感情を抱いた自分が馬鹿らしかった。
でも私は気付いたからと行動は起こさない。ただ彼を見ているだけだ。
私は彼を受け入れられるほどの強さを持っているなんて思っていない。それに人間をなんだかんだで信用しない私はきっと彼に近づいても傷を大きくするだけだ。
幸せになってほしいという感情は少なからずわいてはいる。でもだからこそ、私では駄目なのだ。やってみなきゃわからないとしても私は彼に求められるほどの人間でもなければ、彼を傷だらけにするかもしれない人間だ。
それに私は見ているだけで十分だ。彼の傍に誰かが現れて、彼が受け入れられる。それがいつか見れたならそれだけで安心出来るのではないかと思う。
だから私は見ているだけだ。好きだときづいてもやることは構わない。傷つけてしまわないように、遠くから私はただ、彼を見続ける。
私と彼は、話した事もない他人。きっとこの関係は一生変わる事はない。
――――捨てるなら最初から拾わなきゃいい。
(私は拾おうとさえしない。ただ私は彼を見るだけだ)
知っていたはずなのに、どうして彼の手を手放したのだろうか。
ただ私はそんなことを考えていた。その問いかけを、彼女にしてしまいそうなぐらいだった。私の心がこれだけ波打つのは珍しい事だった。
冷めた目を向けて、彼女にそんな風に問いかけをしたいと思ってしまう自分に、私自身はとても驚いていた。
私の言う彼は……シィク・ルサンブルはこの魔法学園の中で有名な少年だった。大貴族の次男であり、美しい見目を持ち合わせている。まるで人形のような、誰かに作られたような整った顔立ちに魅了されている女子生徒は多かった。また、その力も強かった。
黄金にきらめく美しい髪に、緋色の瞳。その目は何時だって、周りを興味なさ気に見ていた。
初等部から存在しているこの学園で、私も、彼も初等部から通っている。だからこそ、私は彼の事をずっと昔から知っていた。周りを冷めたように見ている彼の事をずっと、見ていた。
他の生徒たちは、ただ「かっこいい」「すごい」と騒いでいた。
だけど——誰もその冷めた瞳の奥底の思いに気づいていない事に、私は気づいていた。
私が、幼いながらに彼のその冷たい瞳に気づいていたのは前世の記憶などというバカげたものを持っていたからだった。
前世の私は日本と呼ばれる場所で生きていた。そして20歳という若さで事故死した。そしてこの異世界に生まれ変わった。
前世の私は冷めた女性だった。現世の私も前世の記憶があるのもあって自分で妙に冷めている自覚がある。子供の頃に見ていたものは大人になってから多大な影響を及ぼすものだ。前世の私の冷めた部分は幼少の心に刻まれていたものだ。
前世の両親は私にとってのトラウマであった。
にこやかに話した相手の悪口をすぐに言い捨てる。そして喧嘩をいつもしているのに、仲が良い夫婦を演じている。
それをずっとずっと見せられていた。
誰にだって仮面がある、というのは理解している。作った姿があるというのも理解している。だけれどもそれを子供の前でも隠さなかったこと。それは理解出来ない。そんなものをずっと見せられた私からしたら仲良い家族というのは幻想でしかなく、家族も恋人もそんなものが存在していることが信じられなかった。
友情に対してもそう言える。面倒な人間は切り捨てられるもので、絶対と言えるものなんてこの世には存在しないと20歳しか生きていない小娘でありながら思っていた。
愛情も友情も永遠と続くなんてそんなもの物語の中にあるだけだ。
生まれ変わってもその想いは変わらなかった。でもどこかでそんな絆があったらいいなという羨望の心はあった。
現世の両親も仲が良いということはなく、愛人だっていて、やはり家族は幻想だとは思っていたけれども。
そんな私が彼を見ていたのは、ただ孤独を感じる冷めた少年なんて物語の主人公にぴったりだと思ったから。いつか彼を救うヒロインでも現れるのではないかという期待をしながら見ていた。
だからこそ、実際にそういう存在が現れた時、私は珍しく心が躍った。彼が、幸せになればいいと願った。
実際にそのヒロインのような少女——ヒメ・メシープルが現れたのは中等部の頃で、かわいらしい転入生だった。私はそのヒロインやその取り巻きとかした人たちの姿をただ観察していた。実際に関わる事は一切にしないで、ただ傍観者であった。
ヒロインが引き起こす数多の騒動。
――人気者の男たちと関わり合って、そのファンの女性達から嫌がらせを受けたりしながら、彼らと心を通わせていった。
その中には彼もいた。冷めた目をしていた彼が徐々に心を許していく様を私はただ見つめていた。
前世でいう逆ハーといった事を引き起こしていても私には関係がなかった。騒動によって被害が起きそうになった場合は自分で対処できる範囲だったから、学園内がその騒動で騒がしくても私には関係がなかった。
ただ私は彼を見ていた。
ずっと、ずっと見ていたのだ。彼が彼女に笑いかけられるようになった瞬間を。心を許していった姿を。あんなに冷めていた彼が彼女に本音を零せるようになった瞬間を。その一瞬一瞬を目で追っていた。
見つからないように見ていた。ただずっと見ていたかった。
彼女は本当に物語のヒロインのようで、色々な人の弱さを知っていった。心に簡単に入り込んでいって、その心を知って行った。あんなに純粋な存在が実際に居るのだと驚いてしまった。冷めた心を持っている私には真似が出来ないことで、やろうとさえ思わない行為だ。私は周りに対して関心を持っていない。そして例え気づいてもその心を知ろうとは思わない。それでも誰でも救えると思っているのだろうか。そう考えると彼女は愛に満たされて生きてきたのかもしれないと思った。
だって愛されてこなければあれだけ純粋には生きられない。あれだけ周りを信頼して、誰かのために生きようと思えるのはきっと自分の人生に満足しているからなのだろう。なぜなら自分の人生に満足できていなければ他人を思いやる余裕なんて持てない。違うかもしれないけれど、少なくとも私はこう思っている。
見ていくうちに彼は彼女に愛情を持った。恋愛感情という名の執着だったのかもしれない。でもきっと彼が彼女を愛したのは事実だっただろう。昔から彼を観察していた私には、彼が彼女を愛したのが分かった。
彼も恋をするのだと、驚いたのを覚えている。
「良かった」
だけど、嬉しかった。彼が恋をしたことが。冷めていた彼の瞳に熱が宿った事が。
彼の愛した彼女は驚くほどに人に好かれた。他の人はそこまで重い想いはなかったように見える。だけど、彼の想いは重い。冷めていた彼は唯一の存在を求めていて、執着していた。私は接触したことはなかったけれどずっと彼を見ていたからそれがわかった。
今まで何も求めてこなかった彼が、彼女を唯一求めた。何としてでも手に入れたいという異様な執着がそこにはあった。
彼は彼女が他の人の手を取ったら何をしでかすか分からないような狂気を持ち合わせていた。それでも正気を保っていて、表面上は普通だったのは——その狂気が突然現れたものではなく、普段から存在していて当たり前の狂気だったから。
何かが起きて壊れてしまった人間は、耐えられない人は多いだろう。壊れてしまう人は多いだろう。昔、この国に居た王子が恋人を失って壊れたという話が残っているように。でもそれとは違うのだ。彼も、そしてきっと私も。彼は育った環境で、そんな人間になった。だからこそその執着は彼の本質なのだ。そして私の冷めた部分も、人を信頼しないのも、人に無関心なのも、私自身の本質だ。環境次第で人は育っていく。人によってそれに直面した時にどう感じるかは違うから、ヒロインを私や彼と同じ環境において同じようになるとは思わないけれど。
あのヒロインは、彼の狂気を否定するだろうか。彼女以外は何もいらないとでも切り捨ててしまいそうな彼の事を。
しばらくして、彼は彼女に告白した。彼女も彼に告白されて、嬉しそうに笑った。どうやら彼女は彼に惹かれていたらしかった。でも彼は優しいのだと思う。だって、ちゃんと言っていたんだ。
『俺は手に入れたら手放せない。逃がさない。一度手に入れたら。嫉妬だってする。俺は自分を抑えられないから』ってちゃんとそういう事言っていたから。彼女が好きだから、他にやりたくないけど、幸せにしたくないわけではなかったのだと思う。
彼女に伸ばされた手が震えていたのを。おそるおそると触れていたのを、私は知っていた。壊したくないと思ってたのかもしれない。自分をきっと彼は知っていたから。その自分自身といえる強い狂気が彼女を壊してしまうんじゃないかと怖かったんだと思った。
きちんと彼は忠告したんだ。幸せを願ってたから、きっと好きだったから。自分の執着と言う名の狂気が暴走するかもしれないって言ってたんだ。抑えきれない狂気があるからって。
彼はきっと優しい彼女なら、受け止めてくれると思ってたんだ。
彼女は彼の手をとった。彼は嬉しそうに笑った。ずっと観察している私が見た事のないような笑みを浮かべて。
そう、『私は何があっても離れない』って無責任に彼女はそういって彼を拾って、手にした。私はその時、少し期待した。永遠があるのだろうかと。物語の世界みたいに、一生死ぬまで寄りそい合う事が出来るのだろうかと。でも、彼女は駄目だと思った。
どうして彼女は彼のために動かないんだろう。
誰とでも仲良くするのが彼女で、明るくて、優しいのが彼女。そして人を救う力を持って、まるで太陽みたいなのが彼女。そんな彼女の性質を彼だってちゃんと知ってた。
他の人ではなく、彼を取ったなら、彼を恋人としたなら、何で彼女は彼のために生きられないのだろう。今まで通りに苦しんでいる人に手を伸ばし、自分に惚れて居た人達と友人になって。いっていたじゃないか。彼はちゃんと。自分を抑えようと必死だったじゃないか。他の人と喋らないでほしいとただその狂気を抑えながら。
彼の狂気を受け入れてまで何があっても離れないと言ったのなら、彼が暴走しないようになるべく彼の傍にいてあげればよかったのに。
ずっと見てたらわかった。
彼女が誰かと喋っていると歪んだ顔が。彼女が誰かを助ける度に不安そうに揺れる瞳が。彼女が誰かに笑いかけるために震える体が。
不安定で、異常と思えるほどに彼女に執着していたのが彼だった。
手にした唯一が離れたら彼はどうなってしまうのだろう。その不安定さに、彼女はきっと気付いていなかった。もしこの時気付いていたなら、彼女はきっと彼の傍にずっといた。
彼女がその不安定さと、それよりも強大な狂気に気付いたのはそれから一年以上後だった。彼はずっと我慢していた。抑えよう抑えようとしていた。
壊すのが怖かったから。笑顔を失われるのが怖かったから。でもそういう彼の不安に、彼女はきちんと気付いてくれなかったのだ。
だから彼は抑えられなくなった。
彼は彼女を束縛するようになる。抑えきれないものは溢れだしてしまうのは当然だった。
不安定さと狂気がにじみでる中で、彼女は彼の狂気ばかりを見た。彼がおかしいとやっと気付いたとでも言うようだった。酷く滑稽だった。
最初から彼はおかしかったのに。結局彼の心に入っておきながら、その本質の異質さを彼女は理解していなかったようだった。自分が離れたら壊れそうな彼の不安定さにもようやく気付いたようだった。
ああ。何で気付かないんだ。
束縛を嫌がるように目を伏せる彼女に、彼の体が震えた事を。
脅えを見せた瞳の彼女に、彼の瞳が恐怖に揺れた事を。
そこで抱きしめて、離れないといつも通りに笑えばよかったのに。彼はきっと安心出来たはずなのに。どうして狂気ばかり見るのだろう。離れていく事に震えている不安定な彼が、わからないのだろうか。
彼女は彼に恐怖する心に支配されて、それが見れる余裕がないのだ。結局自分でいっぱいな人は他人にまで気が回らないんだろうなとただ思った。
どんどん彼が狂気に支配されていく。でもそれは彼女が抱きしめなかったから。不安そうに脅えた目を見せたから。ああ、彼を受け止める強さがないなら最初から受け止める事をしなければよかったんじゃないか。
拾ってくれて、受け止められたからこそ、彼が期待したというのに。
結局、彼女は彼を捨てた。恐怖心に、他の人達に縋ったんだ。他に彼女に惚れていた男達に。嫌だ、離れないで、って彼の心が泣いてるのに。どうして、安心させてやらないのだろう。
他の人達だってそう。束縛を異常と見て、彼女を守ろうと動く。彼が悪いとただ責める。彼から彼女を引き離す。不安定さを知っていたならば、離れたら彼がどうなるかぐらい理解しただろうに。それより自分を取ったのだ。
ああ、やっぱり人は自分が大事なんだと思った。
狂気を纏った彼は、周りにとってきっとめんどくさい人間と認識された。他と違う考えを持つからこそ、異質だからこそ、周りに恐怖される。他と違う事を人に認識されれば、そうなるものだ。
彼はただ彼女だけを見ていた。
彼女の脅えた瞳や、他に縋る手を見て、徐々に執着心が溢れ出てくる。彼は他の人の目なんて気にしていない。ただ彼女の目だけ気にしていた。彼女の事だけを、彼女からの視線だけを――…。
他のものなんてどうでもいいと言う風に。
受け入れたなら、あんな狂気も受け止めてあげればいいのに。脅えるなら最初から手なんて取らなければよかったのに。
彼女に少し苛立ちを感じた。
結果をいえば、彼女は逃げた。彼が彼女が居ると狂うからと。新たに恋人を作って、その生徒会長だった男と共に学園を去った。
彼女が去った彼は大人しかった。でもそれは狂気がなくなったわけでもない。周りがこれで彼は彼のままだと思ってても、違った。その心はすっかり色を無くしたように空洞だった。それでも周りに彼女が関わらなければ狂わないと思われたのは――、彼が元から狂っていて、唯一執着する彼女以外には冷たい対応が普通だったからなだけだ。狂気はずっと彼の心にある。その執着心を否定するのは彼を否定するようなもの。
彼自身を否定した彼女は、彼に傷をつけた事をわかっているのだろうか。
元から人間らしくなかった彼が、また傷ついて人間味を失っていたのが見ていてわかった。
前と変わらないようで、ボロボロなのを気付いていた。
彼女にいら立ちを感じる。どうして拾ったのと。受け入れようとしたのかと。元からそうしなければ、こんな風にボロボロになる事はきっとなかったのにと。
表面上には出さないけど、心の奥から湧いてくる感情に、私は彼が好きなのかと冷静にその時はじめて理解した。愛情なんて信じてない癖に、彼に好きという感情を抱いた自分が馬鹿らしかった。
でも私は気付いたからと行動は起こさない。ただ彼を見ているだけだ。
私は彼を受け入れられるほどの強さを持っているなんて思っていない。それに人間をなんだかんだで信用しない私はきっと彼に近づいても傷を大きくするだけだ。
幸せになってほしいという感情は少なからずわいてはいる。でもだからこそ、私では駄目なのだ。やってみなきゃわからないとしても私は彼に求められるほどの人間でもなければ、彼を傷だらけにするかもしれない人間だ。
それに私は見ているだけで十分だ。彼の傍に誰かが現れて、彼が受け入れられる。それがいつか見れたならそれだけで安心出来るのではないかと思う。
だから私は見ているだけだ。好きだときづいてもやることは構わない。傷つけてしまわないように、遠くから私はただ、彼を見続ける。
私と彼は、話した事もない他人。きっとこの関係は一生変わる事はない。
――――捨てるなら最初から拾わなきゃいい。
(私は拾おうとさえしない。ただ私は彼を見るだけだ)
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記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました
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※小説家になろうでも投稿しています。
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小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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