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1-4 八・一八政変
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御所で政変が起きていた。
攘夷論を強く唱える長州藩が公家の三条実美を取り込み、孝明帝自らが攘夷のための親征するする計画が、行われようとしていた。
しかし、譲位は字句のように征夷大将軍たる徳川幕府の専権事項である。長州はもちろん、帝にもその権限はない。
薩摩は怒り狂い、会津は幕府を否定する長州に困惑した。
長州の独走が八月十八日の政変を引き起こした。
当時、薩摩と会津の連携は取れていなかった。
壬生屯所にあって、近藤も土方も事態の推移を全く知らされいていなかった。
御所で何かが起きていることは、噂で耳にしていた。
それがまさか、会津を巻き込んだ長州と薩摩の武力衝突にまで発展するとは夢にも思っていない。
土方たちは所詮、会津支配の浪士隊である。
それがよほどの激戦となるまで、声は秘密にされる。
土方に取ってはそれが不満だった。
いらただしくもあった。
壬生浪士隊を一刻も早く、会津二十八万石が頼りとなる存在としたかった。
近藤にはそんな考えはなく、のんびりと愛刀虎徹の手入れをしながら御所政変の成り行きを観察方に報告させていた。
正午過ぎ事態は一挙に動いた。
会津から壬生浪士隊に出動命令の伝令が来たのだ。
近藤は困惑したが、土方は時機到来とほくそ笑んだ。
土方が待ちに待った華が、目の前にあった。
すでに隊士は五十二名にまで膨らんでい屯所に、全員の出動を命令を下した。
私的な見回りはしていても、御所への出動などはもちろんのこと本格的な戦そのものの経験が隊士にはない。
幸い芹沢が呉服商の大丸に誂えていた隊服が間に合い、全員がダンダラの隊服を着て出動した。
「鉄砲一丁ない!槍と刀で長州相手に戦ができるのか」
近藤が土方にささやいた。
「必要とあれば、相手のを奪うまでだ!主戦は長州と薩摩、会津だが、機会を見て我々も長州本陣へ斬り込む」
近藤は呆れた。
彼も豪胆で鳴る剣士だが、戦況の分からぬ御所でそこまでやる気は毛頭ない。
まず長州が浪士隊の彼らにそれを許すまい。
だが戦況が変われば、どうなるか分からない。
前線の薩摩陣が崩れれば、我々の出番となる。
壬生浪士隊が一挙に歴史の表部隊に躍り出る好機だ。
蛤御門から御所内へ入ろうとする異様ないでたちの隊士たちを、殺気立った会津兵が阻止した。
会津兵は壬生浪士の存在さえも知らなかったのだ。
芹沢が例の調子で強硬に抗議した。
会津本陣からの命令で、浪士隊は御所へいることを許された。
御所の内部は戦支度をした薩摩と会津の藩兵がいるだけで、敵の長州兵の姿がない。
砲声が轟き、銃弾が飛び交う戦場を想像して来た土方は拍子抜けした。
これは薩摩と会津の動きが早かったためだ。
特に長州が動く前に状況を察知した薩摩が、御所の七問全てを封鎖したのが功を奏した。
だから、御所内には長州兵は一兵もいなかったのだ。
ただ、北東にある御花畑門のみの人手が足らず、壬生浪士隊を出動させたのだ。
長州は御所内の情報を克明に取っていた。
御花畑門を守備するのが、烏合の不逞浪士たちを寄せ集めた会津の浪士隊であることも。
当然、長州の攻撃は御花畑門へ集中する。
だが、土方ちはが御花畑門をいくら探して御所内にない。
そんなはずはない。確かに会津の伝令は御花畑と言っていた。
蛤御門から入って、外郭七つ門をいくら調べても御花畑門はない。
途方にくれ諦めかけていていた時、土方は会津公用方を見かけた。
いくら待っても姿を現さぬ隊を紅葉方は探していてのだ。
土方がどうしても御花畑門が見つからぬ、というと公用方は笑って言った。
「お花畑門などという門は存在せん!御所の正門・建礼門の西に御花畑があり、そこにお屋敷がある。
御所に所用があるときは容保公がそこに滞在され、それで御花畑門と呼ぶようになった」
近藤と土方は苦笑した。
その御花畑なら、何度か前を通っている。
みぶ浪士隊士は即座に御花畑屋敷のけいびに着いた。
長州の狙いは孝明帝を擁し、攘夷の詔を発せることにある。
そうすればその瞬間から、長州は官軍となり薩摩・会津は逆賊となる。
長州は何度か建礼門への突入を試みた。
しかし近藤は会津の命令通り決して開門せず、門の上から弓矢で長州に対した。
長州は鉄砲はもとより大砲まで持ち出して門を破ろうとした。
たまりかねた薩摩の指揮官中村半次郎は、門を開けて討って出る命令を下そうとした。
何名か砲撃の犠牲となるが、勝算は兵力の多い薩摩にあった。
だが、土方は強硬に反対した。
万一、長州の勢いを支えきれずに御所内一兵でも入れたら、状況は変わる。
建礼門が破られたら、当然御花畑屋敷はひとたまりもない、
元々、御所の護りは長州藩の任務である。
政変を察知した薩摩が先手を打って長州を締め出したのがことの始まりだった。
長州には今でも御所へ入る権利がある。
理不尽なのは薩摩と会津だった。
土方はそんなことはどうでもよかった。
御花畑屋敷だけを護ることが頭にあった。
死守するのが任務だった。
会津の伝令が来た。
建礼門を開けろと言う。
会津容保の直命であると言う。
土方は耳を疑った。
攘夷論を強く唱える長州藩が公家の三条実美を取り込み、孝明帝自らが攘夷のための親征するする計画が、行われようとしていた。
しかし、譲位は字句のように征夷大将軍たる徳川幕府の専権事項である。長州はもちろん、帝にもその権限はない。
薩摩は怒り狂い、会津は幕府を否定する長州に困惑した。
長州の独走が八月十八日の政変を引き起こした。
当時、薩摩と会津の連携は取れていなかった。
壬生屯所にあって、近藤も土方も事態の推移を全く知らされいていなかった。
御所で何かが起きていることは、噂で耳にしていた。
それがまさか、会津を巻き込んだ長州と薩摩の武力衝突にまで発展するとは夢にも思っていない。
土方たちは所詮、会津支配の浪士隊である。
それがよほどの激戦となるまで、声は秘密にされる。
土方に取ってはそれが不満だった。
いらただしくもあった。
壬生浪士隊を一刻も早く、会津二十八万石が頼りとなる存在としたかった。
近藤にはそんな考えはなく、のんびりと愛刀虎徹の手入れをしながら御所政変の成り行きを観察方に報告させていた。
正午過ぎ事態は一挙に動いた。
会津から壬生浪士隊に出動命令の伝令が来たのだ。
近藤は困惑したが、土方は時機到来とほくそ笑んだ。
土方が待ちに待った華が、目の前にあった。
すでに隊士は五十二名にまで膨らんでい屯所に、全員の出動を命令を下した。
私的な見回りはしていても、御所への出動などはもちろんのこと本格的な戦そのものの経験が隊士にはない。
幸い芹沢が呉服商の大丸に誂えていた隊服が間に合い、全員がダンダラの隊服を着て出動した。
「鉄砲一丁ない!槍と刀で長州相手に戦ができるのか」
近藤が土方にささやいた。
「必要とあれば、相手のを奪うまでだ!主戦は長州と薩摩、会津だが、機会を見て我々も長州本陣へ斬り込む」
近藤は呆れた。
彼も豪胆で鳴る剣士だが、戦況の分からぬ御所でそこまでやる気は毛頭ない。
まず長州が浪士隊の彼らにそれを許すまい。
だが戦況が変われば、どうなるか分からない。
前線の薩摩陣が崩れれば、我々の出番となる。
壬生浪士隊が一挙に歴史の表部隊に躍り出る好機だ。
蛤御門から御所内へ入ろうとする異様ないでたちの隊士たちを、殺気立った会津兵が阻止した。
会津兵は壬生浪士の存在さえも知らなかったのだ。
芹沢が例の調子で強硬に抗議した。
会津本陣からの命令で、浪士隊は御所へいることを許された。
御所の内部は戦支度をした薩摩と会津の藩兵がいるだけで、敵の長州兵の姿がない。
砲声が轟き、銃弾が飛び交う戦場を想像して来た土方は拍子抜けした。
これは薩摩と会津の動きが早かったためだ。
特に長州が動く前に状況を察知した薩摩が、御所の七問全てを封鎖したのが功を奏した。
だから、御所内には長州兵は一兵もいなかったのだ。
ただ、北東にある御花畑門のみの人手が足らず、壬生浪士隊を出動させたのだ。
長州は御所内の情報を克明に取っていた。
御花畑門を守備するのが、烏合の不逞浪士たちを寄せ集めた会津の浪士隊であることも。
当然、長州の攻撃は御花畑門へ集中する。
だが、土方ちはが御花畑門をいくら探して御所内にない。
そんなはずはない。確かに会津の伝令は御花畑と言っていた。
蛤御門から入って、外郭七つ門をいくら調べても御花畑門はない。
途方にくれ諦めかけていていた時、土方は会津公用方を見かけた。
いくら待っても姿を現さぬ隊を紅葉方は探していてのだ。
土方がどうしても御花畑門が見つからぬ、というと公用方は笑って言った。
「お花畑門などという門は存在せん!御所の正門・建礼門の西に御花畑があり、そこにお屋敷がある。
御所に所用があるときは容保公がそこに滞在され、それで御花畑門と呼ぶようになった」
近藤と土方は苦笑した。
その御花畑なら、何度か前を通っている。
みぶ浪士隊士は即座に御花畑屋敷のけいびに着いた。
長州の狙いは孝明帝を擁し、攘夷の詔を発せることにある。
そうすればその瞬間から、長州は官軍となり薩摩・会津は逆賊となる。
長州は何度か建礼門への突入を試みた。
しかし近藤は会津の命令通り決して開門せず、門の上から弓矢で長州に対した。
長州は鉄砲はもとより大砲まで持ち出して門を破ろうとした。
たまりかねた薩摩の指揮官中村半次郎は、門を開けて討って出る命令を下そうとした。
何名か砲撃の犠牲となるが、勝算は兵力の多い薩摩にあった。
だが、土方は強硬に反対した。
万一、長州の勢いを支えきれずに御所内一兵でも入れたら、状況は変わる。
建礼門が破られたら、当然御花畑屋敷はひとたまりもない、
元々、御所の護りは長州藩の任務である。
政変を察知した薩摩が先手を打って長州を締め出したのがことの始まりだった。
長州には今でも御所へ入る権利がある。
理不尽なのは薩摩と会津だった。
土方はそんなことはどうでもよかった。
御花畑屋敷だけを護ることが頭にあった。
死守するのが任務だった。
会津の伝令が来た。
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会津容保の直命であると言う。
土方は耳を疑った。
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