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4 人間サイド
しおりを挟む単に覚えたての言葉が嬉しかっただけなのだが、男が"海"に反応をするので勝手に名前だと思い込んでいた。
人魚は無邪気に"うみ"と繰り返すが、そのたび男の罪悪感を刺激した。
「うみ、うみ!」
「やっぱり帰りたい、か?」
不自由がないよう環境を整えたところで水槽は檻だ。
人魚と住む為に建てられたような屋敷でも広さは十分じゃない。水槽と繋がっている水路をあければ中庭まで行けるが彼にとっては散歩にもならないだろう。
それでも人魚は温厚かつ交友的で、男に向かって喚いたりすることも声を荒らげることもしなかった。
中庭に行けばのんびりと日向ぼっこをして過ごし、興味津々に草花や虫を鑑賞していた。
このまま屋敷での生活に順応してくれないだろうか、海での暮らしを忘れてくれやしないだろうか。
無邪気な笑顔を俺だけに振りまいてほしい。
不思議と人々を魅了させる優雅な泳ぎをいつまでも見せて欲しい。
――――保護した人魚に男は恋をしていた。
「◼️◼️、クッキー!」
「あぁ、待っていなさい」
”海”に続いて好物である”クッキー”の単語をすぐ彼は覚えた。
足場に上がるとパァっと明るい笑顔で近づいてくる人魚が無性に愛おしい。
「美味しいか?」
「◼️◼️、◼️◼️◼️?」
「ありがとう。俺はいらないから全部食べなさい」
まるで歌でも歌っているかのような不思議な言葉遣いだ。
ニコニコと強請る姿はかわいくて、つい人間の食べ物を与えすぎてしまう。
「はは。これじゃあ餌付けだな…」
一度彼はクッキーを持ったまま水に潜ってしまい、それは悲惨な事になった。『なんで、どうして!?』とクッキーが溶けた意味が分からなかったらしい。あの時はピーピー泣かれ、まるでこっちが悪いことをしたような罪悪感に駆られてしまった。
しかし賢い子だ。以来、人間の食べ物は水面上で食べるものと学習したらしい。
「君が、ずっといてくれたらな…」
「うみ?」
己の願望だ。けれど故郷の海が分かれば帰してやらなければならない。
いずれ別れはやってくる。
―――しかし、こんなに人馴れした人魚が野生に戻れるかも怪しい。出来ることなら上層部を言いくるめてこのままずっと保護してやりたい。
「君だって今さら海に帰りたくないだろ?」
「??」
「分からないよな…」
この水槽に入れられたときから、彼は感情を表立って荒らげることはなかった。それどころか水槽内の砂を撫でたり、空洞になっている岩や小物にも興味津々で本当は飼い主がいた可能性もある。
もしくは彼がいた海は平和的で、人間と人魚達がうまく共存していたのかもしれない。
(だから人魚狩りになんて遭ってしまったんだろうな、可哀想に…)
未だに彼をどこの海から攫ってきたのか賊は口を割っちゃいない。
彼を傷つけたことに関しては沸々と湧き上がってくる怒りがあった。
「◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️~」
「せめて故郷の海が分かればな…」
例え見つかったところで自分はどうする気だろうか?
片道に何日、何週間かかるとしたら喜んで帰してやれるのか
「うーみ?」
「あぁ、冗談だよ。怖い事を言って申し訳なかった」
「?」
「なにが?」と、首をこてんと傾げる仕草が愛らしい。
本当に野生だったとしても、これだけ人を警戒しない人魚は貴重だ。
人魚の生態系を研究している機関に預ければ大喜びされるに間違いない、ウンディーネどころかよその国だってぜひ保護したいと願い出るだろう。
此処よりずっと大きな水槽で、それこそ同じように保護された他の人魚達とだって過ごせる。
(でも、それはこの子の意思を無視することだ…)
狭い水槽で一生飼い殺しにされるなど誰が望むものか。
せめて自分が納得いく方法が見つかるまでは、どうか心を荒らすことなくいてほしい。そればかりを考えた。
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