陰陽師の娘

じぇいど

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第一章 旅をすれば盗賊に当たると思え

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 意外に近くから聞こえた声にぎょっとして、闇の中目を凝らす。
 木立の向こうにぼんやりと人影が見えた。異様に大きな頭に再びぎょっとする。

 だが、よく目を凝らすと、それは蘭笠いがさを被った男の影だとわかった。
 

「さてもさても、日が落ちても旅を続けるなんぞ、よほど腕に自信のある御仁とお見受けするが……武田の侍大将じゃったかの? おお、こわや怖や」


 ひょっひょっとかんに障る笑い声を上げながら、男はゆっくりと近づいてくる。
 見たところ、腰にはなにも帯びていない。手にも弓や太刀を持っている様子はない。
 どうみても荒事にふさわしくないが、それにしてはかもし出す気配が尋常ではない。

 男がゆるゆると腕を広げる。
 だらしなく襟をくつろげて着崩した垂領たりくび水干すいかん姿。手に、小さな皿のようなものと、棒きれのようなものを持っているのが見えた。


 ちん。


 甲高い、金属音が響いた。
 かねだ。

 男が鐘木しゅもくを振り上げ、鉦を叩く。


 ちんこんこん、こんこんちん。


 叩くところによって音色の違う音が、三拍ずつ打たれる。
 それとともに、男の身体がゆらゆらと動いた。細かく歩を刻んでいるらしい。


 ――まずい。

 
 晴豊は目を見張った。
 鉦を使うのは初めて見るが、あの動きには思い当たる節がある。


「まずい、な」


 晴豊だけではなく、光若も気づいたらしい。初めて声に焦りが滲んだ。


「光若殿もご存じですか?」
「ああ。唱門師しょうもんしだ」
「唱門師というのですか。陰陽師おんみょうじたぐいだと思いました」
「流れの陰陽師崩れだ。公家のおぬしには馴染みがないだろうが」

 
 唱門師の男が低い声で何事かを呟き始める。


「……南斗北斗三台玉女、左青龍避万兵、右白虎避不詳……」


「な、なんだなんだ、なにをしようとしてるんだ彼奴は」
しゅを唱えているのだ」 


 弥平治の問いに晴豊は答えた。


 陰陽寮が司る泰山たいざん府君ふくん祭や天曹てんそう地府ちふ祭などを、都の御所で間近に見てきた晴豊にとって、陰陽師の唱える呪はよく知った、そして恐るべきものであった。
 穢れを払い、災厄を鎮め、未来を見る。人たる身には叶わぬはずのことを、いともたやすくやってのけるのが陰陽師たちなのだ。
 唱門師というのが流れの陰陽師だというなら、劣るとしても似たような力の一端を持っているだろう。晴豊の背に、嫌な汗が滲む。


「……急急如律令。乾、坤、元、亨、利、貞」


 不気味な声でそう呟くと、唱門師はゆっくりとこちらに近づいてくる。
 一歩……二歩……。六歩進んだところで、男の姿が忽然と消えた。


「なっ」
「幻術か!?」
「落ち着け! 来るぞ!」


 光若が叫んだその瞬間、数十匹の山犬がいきなり現れた。
 目が血走り、耳まで避けたその獣は、涎を垂らしながら歯を打ち鳴らして襲ってくる。


「ええい、くそ!」
「どういう仕掛けになってんだ!」


 光若や弥平治、改悛たちが得物を振り回して山犬を斬るのが見える。
 晴豊も腰に帯びた刀を抜いた。振り返って飛び掛かってくる山犬を両断する。

 途端に山犬の姿がふっと消えた。

 確かに斬ったはずなのに手ごたえがない。闇の中、二つに切断された白い紙きれがひらひらと落ちてくるのが見えた。朱い色の梵字と六芒星が書きつけてある。
 

「なんだよ、こりゃあ」
「だから呪だ」
「元は護符かよ。いくら斬ってもきりがないんじゃないのか!?」


 護符から生み出された山犬とはいえ、噛まれれば怪我をする。喰われる。こちらの体力や気力はどんどん削られていくのに、斬っても斬ってもあちらは紙きれしか失わないというこの理不尽さ。
 敵の野盗どもがこの隙に乗じて一緒に襲ってこないのだけが救いだ。山犬と太刀と長刀が切り結ぶ間に入ってくる胆力はなかなか出ないのだろう。


 どうすればいい、どうすれば。


 唱門師がどれほどの護符を持っているのか。たとえ使い果たしたとしても、他の呪を唱えられでもしたら。
 そんな焦りが隙を生んだ。
 山犬の歯が左腕をかすった。焼けつくような鋭い痛みの後、血の匂いが漂う。


「若君!?」
「晴豊殿!」
「支障ない! 捨て置け!」


 咄嗟に叫んだが、左腕が重く痺れている。
 利き腕でなくて助かったが、このままではどれだけ持つことか。


「……南無大日大聖不動明王……」


 つい、困ったときの神頼みで、武神に祈りたくなる。
 が、相手は唱門師だ。菩提寺の仏より、生まれた甲辰の歳神に祈ったほうがいいのかもしれない。


「南無文殊大菩薩……」


 刀を振り回しながら、そう何気なくつぶやいたときだった。


「……そこは波夷羅大将といってほしいものだな」

 
 ひどく涼やかな声が響いたと同時に、突如辺りに風が巻き起こった。


「うわ?」
「なんだこれ」


 皆が戸惑った声を上げたのも無理はない。
 その風は、まるで地中から巻き上がったかのような不自然さだったのだ。突然、小さな竜巻がその場に発生したかのようだった。

 山犬の姿は箒で掃いたように綺麗さっぱり消え失せ、風に切り裂かれたたくさんの紙切れが宙を舞う。


 そして。


 晴豊の前には、白く淡い光を帯びて輝く、童子の姿があった。

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