陰陽師の娘

じぇいど

文字の大きさ
上 下
2 / 3
第一章 旅をすれば盗賊に当たると思え

しおりを挟む

 暦の上で皐月さつきは、別名雨月ともいうように、梅雨に入った時期だ。
 旅に向いた季節だとはけして言えない。

 ようやく雨が上がったこの短い晴れ間を逃すまいと、少々無理をしてでも名田庄なたのしょうまで向かおう、と考えたのは間違いだったかもしれない、と、勧修寺かじゅうじ晴豊はるとよは悔んだ。
 五月雨さみだれを集めてすっかり水嵩みずかさの増した名田庄川の舟は使えず、難所で名高い中名田の道は泥でぬかるみ、想像以上の時間がかかってしまった。おかけで道半ば、こんな山中で、もう日は暮れかけている。

 
小浜おばまで泊まった方がよかったかもしれませんねえ」


 ここしばらくの雨で伸びた草をさくさくと踏みしめながら、晴豊の馬の口を取る力者りきしゃ快俊かいしゅんが肩をすくめた。


「そうだろうそうだろう。私がそう言ったときはおぬしたちは、まだ昼にもなっていない! と難癖つけたくせに! やっぱり今日は小浜で泊まるべきだったのだよ!」


 改悛の漏らした声を聞きつけた結城ゆうき弥平次やへいじが、ぽくぽくと馬を進めながら鬼の首でも取ったかのように騒ぐ。


「そうすれば、今頃は小浜津の綺麗どころと差しつ差されつしっぽりやれてただろうに。あーあ」


 弥平治は、晴豊の叔母が嫁いだ結城家の忠正ただまさの甥に当たる。だから義理の従兄弟いとこ、とでもいうのだろうか。
 同じくよわい十七だというのに、ずいぶんと世慣れた様子で、旅の道連れとしてはとても心強くある。だが、長身で色白の優男で、どこへ行っても女たちの嬌声が引きも切らず、またそれを当然とおもっているところが少々妬ける。


「おのおのがた、そんな呑気なことを言っている場合ではないでしょう」


 荷駄を引く中間ちゅうげん長藏ちょうぞうが、周囲に慌ただしく目をやりながら叱咤した。


「野盗ですよ! どうすんですか!」


 長藏の言う通り、木立の陰に、怪しい人影が、一つ、二つ……。
 まだ距離があるせいか、こちらに気づかれていないと思っているのか、その動きは緩慢だ。


「どうするって言われても、なあ」
「来るものは迎え撃たんと仕方ないだろう」


 改悛と弥平治がのほほんとしているのは、己の腕に自信があることもさることながら。


「木陰に隠れろ。この距離と暗さでは当たらんだろうが、念のため、ということもある」


 背後に控えているのが、歴戦の猛者である粟屋あわや光若みつわかであることが大きい。

 若狭わかさ武田氏の侍大将を務める剛の者で、安賀里あがり城主である彼がいれば、野盗の一群なぞなにするものぞ、という気になる。脂の乗り切った四十五歳。晴豊や弥平治などの若者にとっては、いたく心強い存在だった。


「野盗が使う弓なんてたかがしれてるんじゃないですか? 食い詰めて私たちを襲うほど貧しいんだから、それほど矢をばらまくとは思えませんが」


 光若の指示通り、馬から降りて木陰に身を潜めながら、晴豊は問うた。
 暗闇の中から光若の声が返ってくる。


「矢ではなくつぶてが怖い。山に住まういかだ衆や杣人そまびとの腕力を甘く見てはならぬぞ」

 
 なるほど、石か。
 人の腕ではたいした距離は投げられないと、はなから勘定にもいれていなかったが、山人たちにはそれさえ立派な武器となるのか。さすがに京育ちの晴豊にはない発想だ。


「それに馬に当たると困る。暴れて逃げられたら、彼奴あやつらの思うつぼだ。おそらくいちばんの狙いは馬だろうからな」


 その言葉に、晴豊は馬をさらに木陰の奥に隠す。
 晴豊が納得したと同時に、ぽて、ぽて、と何かが地に落ちる音がした。

 石だ。

 晴豊たちの位置までにはとても届かなかったそれが、だんだんと近づいてくるのは、野盗たちが石を投げつつ、こちらに向かってきているからだろう。
 とうとう足元にまで転がってきて、一瞬冷やっとする。
 こぶし大の石だ。こんなものを投げられるとは、どんな肩をしているんだ、と、敵ながら晴豊が呆れたそのとき、闇の向こうで、ぎゃっ、と濁声だみごえが響いた。


「力比べなら負けねえよ」


 晴豊の隣で、呵々かかと笑う快俊の声が響いた。
 どうやら、野盗を真似て投げ返した改悛の石がたまたま当たったようだ。闇の向こうから凄まじい罵り声が聞こえてきた。
 それまで潜めていた足音も、もはや隠すつもりもないらしい。乱暴に草を踏みしめる音が、小走りに近づいてくる。

 その場を切り裂くかのような裂帛れっぱくの気合で、光若の怒声が響いた。


「おぬしら、それがしらを何者か知っての狼藉か!? 命が惜しくないとみえるな!」
「そーだぞー、ここにおわす御方は泣く子も黙る粟屋光若殿だぞー。武田の侍大将を敵に回す度胸があるならかかってこーい」

 
 気の抜けた挑発は弥平治だ。
 この長旅の間に知ったことだが、彼は、絶妙に敵をあおって激怒させるのが非常に上手い。そうして怒り狂って我を忘れた敵が飛び込んでくるのを待ち構えている。


「武田の……」
「粟屋、だ……と……」


 大声の口上が効いたのか、戸惑う声が聞こえた。足音も止まる。 

 だが。


「この腰抜けたちめ! おめえらがやんねえなら、おら独りでもやってやるわ! 見てろ!」


 蛮勇を誇るつもりか、まだ若い声がわああ、と叫びながら単独で突進してきた。
 快俊が進み出る。


 ぶん、と、それまで改悛が背負っていた長刀なぎなたが空を切る凄まじい音が響いた。


「ひっ」  


 至近距離で長刀の起こす風を感じたのだろう、小さな悲鳴が上がった。


「ほーらほらほら、下がらんと死ぬぞ! 命はひとつしかないからな! 粗末にしたらご先祖様が泣くぞ!」


 楽し気に長刀を振り回す改悛に、光若が冷静に声を掛ける。


「無理にはあやめるでないぞ。そんな奴でも兵にはなる」
「へーへーご城主様」


 改悛は肩をすくめると、すっかり戦意を失った野盗から長刀を引いた。

 と。


「……ったく仕様のない。これだから率いる者のない寄せ集めの破落戸ごろつきは駄目じゃな」


 木立の向こうから、しわがれた声が響いた。



****************************************


皐月  旧暦五月 現在の5月終わりから7月頭にあたる
名田庄 現・福井県大飯郡おおい町名田庄
力者  髪を剃り、寺院・公家・武家などに仕えて力仕事に携わった従者。
    輿を担ぎ、馬の口取りをし、長刀を持つなどして供をした。青法師。
中間  公家・武家・寺家などに仕えた従者。
    侍と小者の中間に位置し主人の弓・箭・剣などをもって供した。
筏衆  山で切り出した丸太を筏に組んで、川を流して下流へ運ぶ人足
杣人  木こり
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

梅すだれ

木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。 登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。 時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

処理中です...