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第一章 旅をすれば盗賊に当たると思え
一
しおりを挟む暦の上で皐月は、別名雨月ともいうように、梅雨に入った時期だ。
旅に向いた季節だとはけして言えない。
ようやく雨が上がったこの短い晴れ間を逃すまいと、少々無理をしてでも名田庄まで向かおう、と考えたのは間違いだったかもしれない、と、勧修寺晴豊は悔んだ。
五月雨を集めてすっかり水嵩の増した名田庄川の舟は使えず、難所で名高い中名田の道は泥でぬかるみ、想像以上の時間がかかってしまった。おかけで道半ば、こんな山中で、もう日は暮れかけている。
「小浜で泊まった方がよかったかもしれませんねえ」
ここしばらくの雨で伸びた草をさくさくと踏みしめながら、晴豊の馬の口を取る力者の快俊が肩をすくめた。
「そうだろうそうだろう。私がそう言ったときはおぬしたちは、まだ昼にもなっていない! と難癖つけたくせに! やっぱり今日は小浜で泊まるべきだったのだよ!」
改悛の漏らした声を聞きつけた結城弥平次が、ぽくぽくと馬を進めながら鬼の首でも取ったかのように騒ぐ。
「そうすれば、今頃は小浜津の綺麗どころと差しつ差されつしっぽりやれてただろうに。あーあ」
弥平治は、晴豊の叔母が嫁いだ結城家の忠正の甥に当たる。だから義理の従兄弟、とでもいうのだろうか。
同じく齢十七だというのに、ずいぶんと世慣れた様子で、旅の道連れとしてはとても心強くある。だが、長身で色白の優男で、どこへ行っても女たちの嬌声が引きも切らず、またそれを当然とおもっているところが少々妬ける。
「おのおのがた、そんな呑気なことを言っている場合ではないでしょう」
荷駄を引く中間の長藏が、周囲に慌ただしく目をやりながら叱咤した。
「野盗ですよ! どうすんですか!」
長藏の言う通り、木立の陰に、怪しい人影が、一つ、二つ……。
まだ距離があるせいか、こちらに気づかれていないと思っているのか、その動きは緩慢だ。
「どうするって言われても、なあ」
「来るものは迎え撃たんと仕方ないだろう」
改悛と弥平治がのほほんとしているのは、己の腕に自信があることもさることながら。
「木陰に隠れろ。この距離と暗さでは当たらんだろうが、念のため、ということもある」
背後に控えているのが、歴戦の猛者である粟屋光若であることが大きい。
若狭武田氏の侍大将を務める剛の者で、安賀里城主である彼がいれば、野盗の一群なぞなにするものぞ、という気になる。脂の乗り切った四十五歳。晴豊や弥平治などの若者にとっては、いたく心強い存在だった。
「野盗が使う弓なんてたかがしれてるんじゃないですか? 食い詰めて私たちを襲うほど貧しいんだから、それほど矢をばらまくとは思えませんが」
光若の指示通り、馬から降りて木陰に身を潜めながら、晴豊は問うた。
暗闇の中から光若の声が返ってくる。
「矢ではなく礫が怖い。山に住まう筏衆や杣人の腕力を甘く見てはならぬぞ」
なるほど、石か。
人の腕ではたいした距離は投げられないと、はなから勘定にもいれていなかったが、山人たちにはそれさえ立派な武器となるのか。さすがに京育ちの晴豊にはない発想だ。
「それに馬に当たると困る。暴れて逃げられたら、彼奴らの思うつぼだ。おそらくいちばんの狙いは馬だろうからな」
その言葉に、晴豊は馬をさらに木陰の奥に隠す。
晴豊が納得したと同時に、ぽて、ぽて、と何かが地に落ちる音がした。
石だ。
晴豊たちの位置までにはとても届かなかったそれが、だんだんと近づいてくるのは、野盗たちが石を投げつつ、こちらに向かってきているからだろう。
とうとう足元にまで転がってきて、一瞬冷やっとする。
こぶし大の石だ。こんなものを投げられるとは、どんな肩をしているんだ、と、敵ながら晴豊が呆れたそのとき、闇の向こうで、ぎゃっ、と濁声が響いた。
「力比べなら負けねえよ」
晴豊の隣で、呵々と笑う快俊の声が響いた。
どうやら、野盗を真似て投げ返した改悛の石がたまたま当たったようだ。闇の向こうから凄まじい罵り声が聞こえてきた。
それまで潜めていた足音も、もはや隠すつもりもないらしい。乱暴に草を踏みしめる音が、小走りに近づいてくる。
その場を切り裂くかのような裂帛の気合で、光若の怒声が響いた。
「おぬしら、某らを何者か知っての狼藉か!? 命が惜しくないとみえるな!」
「そーだぞー、ここにおわす御方は泣く子も黙る粟屋光若殿だぞー。武田の侍大将を敵に回す度胸があるならかかってこーい」
気の抜けた挑発は弥平治だ。
この長旅の間に知ったことだが、彼は、絶妙に敵をあおって激怒させるのが非常に上手い。そうして怒り狂って我を忘れた敵が飛び込んでくるのを待ち構えている。
「武田の……」
「粟屋、だ……と……」
大声の口上が効いたのか、戸惑う声が聞こえた。足音も止まる。
だが。
「この腰抜けたちめ! おめえらがやんねえなら、おら独りでもやってやるわ! 見てろ!」
蛮勇を誇るつもりか、まだ若い声がわああ、と叫びながら単独で突進してきた。
快俊が進み出る。
ぶん、と、それまで改悛が背負っていた長刀が空を切る凄まじい音が響いた。
「ひっ」
至近距離で長刀の起こす風を感じたのだろう、小さな悲鳴が上がった。
「ほーらほらほら、下がらんと死ぬぞ! 命はひとつしかないからな! 粗末にしたらご先祖様が泣くぞ!」
楽し気に長刀を振り回す改悛に、光若が冷静に声を掛ける。
「無理には殺めるでないぞ。そんな奴でも兵にはなる」
「へーへーご城主様」
改悛は肩をすくめると、すっかり戦意を失った野盗から長刀を引いた。
と。
「……ったく仕様のない。これだから率いる者のない寄せ集めの破落戸は駄目じゃな」
木立の向こうから、嗄れた声が響いた。
****************************************
皐月 旧暦五月 現在の5月終わりから7月頭にあたる
名田庄 現・福井県大飯郡おおい町名田庄
力者 髪を剃り、寺院・公家・武家などに仕えて力仕事に携わった従者。
輿を担ぎ、馬の口取りをし、長刀を持つなどして供をした。青法師。
中間 公家・武家・寺家などに仕えた従者。
侍と小者の中間に位置し主人の弓・箭・剣などをもって供した。
筏衆 山で切り出した丸太を筏に組んで、川を流して下流へ運ぶ人足
杣人 木こり
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