陰陽師の娘

じぇいど

文字の大きさ
上 下
1 / 3

しおりを挟む

 梅雨の合間を縫って、久しぶりに雲のない夜空に、星がきらめいていた。

 
 下弦の月は更待月ふけまちづき。山の端から昇るにはまだまだ間がある。
 昨日までの雨のせいで空は澄み、白い真砂まさごを散りばめたような星空が実に美しい。



「――星が流れた、な」



 暗闇の中、天を仰ぎながら涼やかな声でそう呟いたのは、一人のわらわだった。


熒惑星けいこうせいが逆行しておったから、どうなることかと思っておったが――なるほど、大星のほうが墜ちた、か」
「おや、羅睺らごうが現れた、他の星を喰らってまわる、と星を読んでいたのは何処の誰だったかな?」


 答える声は甲高く、やはりこれも童のようだ。しかし、姿は見えぬ。


「そうだったな。やはり羅睺だ。おおこわや、おお怖や」


 童はくつくつと笑うと、再度視線を天に向ける。

 艶やかな黒髪がさらりと額を流れる。
 闇の中に浮かび上がる白い肌。どこか青く底光りしている宝玉のようなまなこ希代きたいの仏師が掘りだしたかに見える静謐な美貌。
 今はまだ六つ、七つ、というところだが、あと十年、いや、五年もしたら、さぞや周囲の耳目じもくを驚かすだろうというほどの、美しい童だった。


「ただでさえ今の世は乱れきって、天も地もない。羅睺でもなければ、すべてを流しきることなぞ出来まいよ。すべてを流しきって、消し去って、灰燼かいじんの中から新たななにかを生み出すことなぞ、な」
「そちらこそ、天下泰平を祈る陰陽師おんみょうじの言葉とも思えんが。おお、怖や怖や」
わしはべつに陰陽師ではないぞ」


 揶揄するような言葉に、童は赤い唇を尖らせた。そうすると、年相応に幼い顔になる。


「そりゃあ仕官してるわけではないが。官位を持たねば陰陽師ではないということではなかろう?」
「陰陽師はとと様じゃ」


 童はぺろり、と小さく赤い舌を出した。
 

「儂はその娘にすぎぬ」


 さあ、そろそろ帰ろうか。乳母うばやがうるさい、と歩き出した童の後ろから、声が追いかける。


「おい、肝心の星見はいいのか? もちっと身近な星を見に来たんじゃろ?」
「あ、忘れておった」


 童は足を止め――小さくかぶりを振った。


「やはり止めよう。自らのことは、知らぬほうが楽しい」
「あとで泣きべそかいても知らぬぞ?」
「そうなったら慰めてくれ」
「泣きつくような可愛げがあるのかお主に」
「さあ」


 くつくつという笑い声が闇に遠ざかる。
 後は、静寂しじまに星が瞬いているだけだった。



 永禄三年五月二十日。
 桶狭間おけはざまにて織田信長が今川義元を破った翌の夜のことであった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

呟き

歴史・時代
 弥生・奈良・平安・鎌倉・南北朝・安土桃山・戦国・江戸・明治と過去の時代に人々の側にいた存在達が、自分を使っていた人達の事を当時を振り返り語る話の集合です。  長編になっていますが、いくつもの話が寄り集まった話になっています。  また、歴史物ですがフィクションとしてとらえてください。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

幕末博徒伝

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
江戸時代、五街道の内の一つ、甲州街道が整備され、宿場町として賑わった勝沼は、天領、つまり、徳川幕府の直轄地として代官所が置かれていた。この頃、江戸幕府の財政は厳しく、役人の数も少なかったので、年貢の徴収だけで手がいっぱいになり、治安までは手が回らなかった。その為、近隣在所から無宿人、博徒、浪人などが流れ込み、無政府状態になっていた。これは、無頼の徒が活躍する任侠物語。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

【完結】夜を舞う〜捕物帳、秘密の裏家業〜

トト
歴史・時代
琴音に密かに思いを寄せる同心の犬塚。 でも犬塚は知らない。琴音こそ自分が日夜追いかけまわしている義賊ネコ娘だとは。 そして、江戸を騒がすもう一人の宿敵ネズミ小僧がネコ娘と手を組んだ。 正義か悪か、奇妙な縁で結ばれた三人の爽快時代活劇。 カクヨムで公開中のショートショート「夜を舞う」のキャラクターたちを心情豊かに肉付けした短編になります。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

処理中です...