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生き残る者

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 医療室は、治療を終えたカーリン、
手術中のロベリオの二人のみだった。
そこへ加賀見を乗せたストレッチャーが移動してきた。

 ドアの開いた瞬間、術後であったが、
ベッドの上で緊張した面持ちでカーリンは銃器を構えた。
ストレッチャーの上の加賀見を見ると、
ほっとしたような表情になったが、
ピクリともしない加賀見の様子に再度、
緊張した表情になった。

「加賀見!応えて」
カーリンは何度も声をかけるが加賀見は無反応だった。
ストレッチャーは所定の位置につき、停止した。
カーリンは、ベッドの側に置いておいたポータブル式の
コンピュータで加賀見のオペレーションの準備を操作した。

「おりたはどうしたのかしら?
オペが始まるまで加賀見は大丈夫かしら」

カーリンは呟きながら、操作を続けた。
加賀見は、簡易の処置を受けた。
ロベリオの処置が終わるまでカーリンにできることはなかった。

 カーリンは、コンピュータを操作し、
各箇所の状況のチェックを始めた。
管理センターにて、シフト体勢で
渡航船ミラーワールド109号は運航されていた。
監視モニターで尾賀と男のいる部屋をチェックすると、
目の虚ろな尾賀が縛られている男の腹部を
何度も蹴り飛ばしていた。

「おりたが見つからないわ」
独り言と共に現在、アクティブと
なっているカメラでおりたを探した。

薄暗い通路を画面越しとはいえ、
気が滅入る作業であった。

通路の床に赤黒いしずくが転々と続いていた。
カーリンはその痕を画面越しにおった。
すると、先ほどまで静寂が支配していた通路に
人の声と足音が微かにだが混じり始めた。
音の大きくなる方へ探索をすすめた。
足音に交じり、人の呻き声が聞えた。

「かがみ、かがみ、かがみぃ」

「ひっ」
その声を聞き、カーリンは、短い悲鳴を
上げてしまった。

変わり果てた声から、以前の面影を
想像することはできなかった。

画面越しに織多さんの状況を詳細に
確認しようとした。
そのとき、ふらつきながら歩く織多さんと
画面越しであるが、視線が交わった気がした。

「ふぅ、気のせいかしら」
織多さんのふらついている地点から、
推測すると、医療室を目指しているのだろう。
ストレッチャーを回すかカーリンは判断に迷った。

再度、織多さんを観察した。
おりたと視線が交錯した。
彼女からこちらは見えていないはずなのに
観察された気分にカーリンは囚われた。

そして、彼女の顔をまじまじと見ると、
彼女のあるべき場所にあるものが欠けていた。

それを確認したとき、カーリンは、ストレッチャーを
向かわせることを止めた。
そして、医療室まで彼女が到着できないように
策を弄することにした。
彼女をカメラ越しに見ると、
彼女は顔を歪ませて、にやついていた。

 この船に何かしらの野心をもって、
乗船する人間の根底には歪んだ何かが
宿っているのだろう。
織多さんも同類であると彼女の表情を見て、
カーリンは思った。
 おそらく加賀見にも根底には歪んだ何かが
あるのだろう。
カーリンは加賀見の治療を進めることが
果たして正しいことなのか考えてしまった。

 コンピュータに映っていた織多さんが
突然、消失した。
コンピュータの画面から画像が消失していた。
薙刀でカメラを破壊しながら、すすんでいるのだろう。
目的地はここであることから、カーリンはルートを確認し、
細工を施した。
あの怪我では途中で力尽きると考えていたが、
念には念をいれた。
カーリンは、ここまで到着せずに織多さんが
力尽きることを祈っていた。
あのような醜悪な表情の人間と相対することは
ご免こうむりたかった。

 然るべき処置をしたのち、カーリンは術後の
体力の消耗からか本人もわからぬうちに
眠りに落ちてしまった。

 通路をふらふらと歩く織多さんは、
熱、悪寒、そして痛みに苛まれていた。
「かがみぃ、かがみぃ」
呟く言葉は、加賀見だけであった。

 全身は汗まみれで、薙刀を杖の代わりにして
歩みを止めなかった。
 織多さんの根底に潜む感情に
理性のフィルターがかからず、
むき出しで発露されていた。
 体力の限界なのだろうか、医療室への
途中の誰かの部屋に入り、飲み物を漁り、
ベッドに倒れ込んでしまった。

「かがみ、かがみ、かがみ」

その言葉も次第に小さくなっていった。

船はそんな各人の状況や思惑など関係なく、
地球に向かって運航していた。
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