31 / 40
本編
*27* 慟哭の果てに
しおりを挟む
「セリ様……」
「レディー、」
「お詫びの言葉ならお断りします。今までふたりに助けてもらったことのほうが、圧倒的に多いですもん。どうこう指図できるほどあたしが偉い人間かっていうと、そうでもないので!」
「マザーが何をおっしゃいます。……けれど、あなたらしいというか」
「ふふっ……ですね。では感謝の言葉を。ありがとうございます、セリ様」
晴れやかに言葉を紡ぐヴィオさんとリアンさんの微笑みは、花が咲き誇ったみたいだった。
うん、やっぱりふたりには、笑顔が似合うよ。
「まぁ、そういうことだから。もし何か手を貸してほしいことがあってオレたちをここに連れて来たなら、事情を教えてほしいんだよ、わらび」
「ビ、ビ……」
それまで黙りこくっていたわらびが、ジュリの語りかけに薄いブルーの身体を揺らめかせた……と思ったら。
「ビィ……ビィイ!」
「うわっ!? ちょっとわらび、前が見え……ないことはないけど、冷たい、すごく冷たいから、いったん離れようか? ね?」
「ビィイイ~!」
「冷たっ! 冗談抜きに冷たっ!」
あたしの肩からダイブしたわらびが、べちゃあ、とジュリの顔面に張りついた。
その冷却作用はあたしも体感済みなので、ジュリもさぞ驚いたことだろう。
そして、ジュリの次は。
「…………」
「…………」
「どうぞ」
「ビ……」
差し出されたゼノの手のひらに、ちょん、と控えめに飛び乗った。
さすがのわらびも、真顔のゼノには色々と思うところがあったらしい。
「ちょっと待って、その差は何!?」
「お礼のつもりなんじゃないかな?」
「それにしたって、オレとゼノへの接し方が違くない!?」
「ぷにぷに、しています」
「ゼノからそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった!」
「でしょー? 癖になるよね」
「母さん? ゼノと一緒になってつつかないで?」
そうはいっても、ねぇ?
あたしにくっついて離れなかったわらびが、ジュリやゼノにも懐いたと来たら、微笑ましくなるのも当然でしょ。
「はぁ……毒気が抜かれる」
「私たちの心配も、取り越し苦労だったみたいね」
「ヴィオさん、リアンさん、それじゃあ……!」
「あなたが信じるそのスライムを、私たちも信じます」
「怖がらせてしまってごめんなさいね、わらびさん。困っていることがあるなら、手助けさせてもらえないかしら?」
「ビビッ……!」
文字通り飛び上がったわらびが、あたしの頭に乗っかり、小豆大の目を白黒させながらヴィオさんとリアンさんをガン見する。
「ビヨーーーン」
びっくりしていたのも少しの間で、ゼリー状の身体を伸ばしたわらびは、そのまま輪っかを形づくってご機嫌な鳴き声をもらした。
『オッケー!』ってこと? っはは! なにそれかわいいな!
「ビヨンッ、ビッ、ビッ」
ぽむっと地面に落っこちたわらび。そのまま軽快にバウンドしながら、どこかに向かい始めた。
「ついてこい、ってことか」
「行こうジュリ。みんなも、わらびの後に続こう!」
「えぇセリ、行きましょう」
心機一転、足並みをそろえて駆け出す。
森の中は相変わらず薄暗くて不気味だったけど、わらびの進む道では、気持ち悪いブタコウモリだとか木のモンスターに遭遇することは、一切なかった。
そのうちに、左右に分かれた場所にたどり着いたわらびがぴたりと動きを止める。
これまでの足取りを考えると、急に道がわからなくなったとかではないと思う。
申し訳なさそうにあたしたちを振り返るのには、何か別の理由があるはずだ。
「大丈夫だよ。わらびは、わらびのしたいようにして」
「ビィ……」
少しためらっていたわらびも、意を決したように前を向く。選んだのは、右の道だった。
見た限り、左側とも対して変わりない道。
そう見えていた景色が幻想であったことを、一歩足を踏み入れた瞬間に思い知る。
アアァア──…
どこからともなく響き渡った、甲高い何かの鳴き声。
「っ何!? きゃっ!!」
「セリ様!」
青々と茂っていた草は萎れ、ずぶり、と地面が沈む。
大きく体勢を崩したけど、ゼノが腕を引き寄せてくれたおかげで、転ぶことはなかった。
「お怪我がなくて、よかった」
「ありがと……もう、なんでいきなり地面が崩れるの? やたら肌寒いし……」
ぶるりと二の腕をさすったあたしは、恨めしげに空を仰ぎ、すべてを悟った。
ザァアアア──……
雨だ。雨雲は見当たらないのに、雨が降り注いでいるのだ。自然現象じゃない。となると。
「『嘆きの森』って、そういうこと? 冷え性持ちには辛いぞ……ねぇジュリ?」
雨降りの日に、街でホットミルクをご馳走してもらったエピソードを思い出す。
何気なく笑いかけたつもりだった。なのに。
「うっ……く……!」
「え……? ジュリ、どうしたの、ジュリ!」
全身の血の気が引く心地だった。雨に打たれるジュリが、ぬかるんだ地面に崩れ落ちる光景を目の当たりにすれば。
夢中で駆け寄る。座り込んだジュリの顔色は真っ青で、唇にもまったく赤みがない。
「寒いの? 熱は……っ、なにこれ!」
青藍の前髪をかき上げ、額に手を当てたところで、事の深刻さをようやく理解する。
冷たいのだ。氷のように。
「なんでジュリが……っえ、リアンさん、ヴィオさん!?」
この悪夢のような出来事は、ジュリだけに留まらなかった。
同じようにぐったりと脱力したリアンさんを自身の上着で包み込んでいたヴィオさんの顔色も、真っ青で。
「大丈夫ですか!? 何があったんですか!」
「わかり、ません……雨に打たれたとたん、突然……っく……しっかりしなさい、リアン……リアン……!」
ヴィオさんが懸命に呼びかけるも、返答はなく。リアンさんは完全に、意識を失っていた。
「この雨は、モンスターの仕業ね……それも、これまで出会ってきたものとは、まったく比べ物にはならないレベルの……」
「オリーヴ! オリーヴは、平気なの!?」
「少し、めまいがする程度よ………」
うそだ、冷や汗を浮かべてるくせに。
ふらりとおぼつかない足取りで歩を進めたオリーヴは、ヴィオさん、リアンさんのそばにしゃがみ込むと、ふたりを両腕で抱きしめた。
「セリ……あなたに、無理を承知でお願いをするわ。これを……」
その言葉と共に、オリーヴの周囲が光に包まれる。
やがて緑色の光の鱗粉をまき散らす蝶が現れ、ひらひらと、あたしの肩へ止まった。
「この蝶は……」
「パピヨン・メサージュよ。魔法で生み出した、伝書蝶。あなたまで侵食されないうちに、道を引き返して、空に放ってちょうだい……」
「それで……? そうしたら、どうなるの……?」
「強力な転移魔法がかけられているから、南の……マザー・イグニクスのもとまで、一瞬で飛んで行ってくれるわ。わたくしからのパピヨン・メサージュだと、すぐにわかってくれるはず……彼女は、武術に優れた勇ましい方だから、きっと駆けつけてくれるわ……」
あたしたちだけじゃ、どうにもならない。だから助けを呼ばなければいけない状況なのだと、オリーヴは言っている。
「なら……その間、オリーヴはどうするの?」
恐る恐る問う。ふわりと、ほころぶような笑みが返ってきた。
「ヴィオやリアンのように、闘いはできないけれど……わたくしの魔法は、守りに特化したものよ。この身に代えても、みなを守ります」
「そんな……!」
それは、オリーヴひとりに尋常ではない負担がかかるということ。
マザー・イグニクスが、いつ来てくれるかわからない。それまでに、もしものことがあったら。
「……かあ、さん」
「ジュリ……! しっかり、ジュリ!」
「にげ、て……かあ、さん」
寒くて、凍えて。
辛いだろう、苦しいだろう。
「まもって、あげられなくて、ごめん、ね……」
それなのに……あたしのことを、一番に想ってくれて。
「できるわけないでしょ!!」
ひとりだけ逃げるなんて、できっこない。
「聞こえますか、リアンさん! リアンさん!」
「……リアンは、私が……」
「無茶はダメです、ヴィオさん! んなばかなこと言ったら、次は引っぱたきますからね!?」
「……は……」
「あなただけでも……行きなさい。お願いよ、セリ……わかって。いい子だから……」
「オリーヴ……っ! だから、あたしは……っ!」
逃げない、見捨てないって、言ってるのに。
「っふ、くぅっ……!」
そんなあたしが、一番の役立たずだ。
「どうして……なんでよぉっ……!」
なんであたしは魔力が使えないの?
なんでみんなが苦しんでいるときに、何もしてあげられないの?
「ばかっ……あたしのばかばかばかっ! ぽんこつ! 役立たず!」
なんであたしは、いつもこうなんだろう。
前もそうだった。なんにもしてあげられなかった。
あぁ……また繰り返すの?
大切な人たちを、誰ひとり助けられないの?
──暁人みたいに。
「やだ……こんなのやだ、やだ、やだぁっ……!」
悪夢みたい、じゃない。
これは、悪夢だ。
冗談じゃない。やめてよ。
早く覚めてよ、あたしの前から消えて。
こんなの、信じないから……!
──とん。
半狂乱になって頭を掻きむしるあたしの肩に、ふれるものがある。
大きくて広い、男の人の手のひらだ。
「……ゼ、ノ」
凪いだこがねの双眸に映し出されると、吸い込まれるような心地だった。
ぴたりと動きを止め、呼吸の仕方すら忘れたあたしの身体を、しなやかな腕が引き寄せる。
「落ち着いて。諦めないで」
雨は止まない。けれども夜空の月のように静かなまなざしと、穏やかな声音は、はっきりとこの耳に届いた。
「まだ、終わっていません」
「ゼノ……」
「私がいます、セリ様」
「っ、ゼノ……ぜのぉっ!」
下手に励まされるより簡潔なフレーズが、すとんと胸に落ちる。
それでいて、意地でも離してやらないとでも言いたげな痛いくらい抱きしめてくる腕が、ムキになってるのを隠しきれてなくて、こどもみたいで、おかしくって。
「っはは、くるしいよ……ゼノはこんなときも、ゼノだなぁ」
「はい。私はセリ様の、ゼノです」
軽く受け流してくれればいいものを、大真面目な顔しちゃって。
こんなに雨に打たれているのに、じわじわと胸が、心が、あったかい。
ひとしきり泣いたら、すっきりした。
すん、と鼻を啜ってゼノの胸から顔を上げると、ひどく驚いたようなオリーヴが、あたしたちを凝視していた。
「ゼノ様は……なんとも、ないのですか?」
「えぇ。不具合は生じておりません」
「どういうこと……? ゼノ様が、ドールだから? それにセリにもまったく異変がないのは……何か、関係があるの……?」
ぶつぶつと独り言を繰り返すオリーヴは、それっきり、何かに取り憑かれたように考え込んでしまう。
「気を失うほど症状の深刻な人と、まったく異常のない人……この違いは何? 酷いのはジュリ様とリアン、次にヴィオ、わたくしはなんとか動けて、セリとゼノ様には、まったく異変がない……」
「強いて言うなら、魔術師組が酷い?」
「魔術師、組……?」
「あたしが勝手に、そう呼んでるだけだけど……そういえば、ヴィオさんも魔法を使ってた。これも関係あるかな……?」
「魔法……もしかして! そうだとするなら……あぁ、なんてこと!」
要らない口出しをしてしまったかもしれない。
だけどそう思ったのはあたしだけで、オリーヴは何かに気づいたようだった。
「それなら、わらびさんがセリに助けを求めたことにも説明がつくわ……!」
「オリーヴ? ごめん、よくわからないんだけど、あたしがどうしたの……?」
「セリ!」
「は、はいっ!」
肩をつかまれ、条件反射で返事をしてしまった。ペリドットの瞳が、やけに近い。
「無理だったのよ。あなたが魔力を使うなんて、最初からできっこなかった。だってそんなもの、なかったんだから」
「えっ……泣いてもいい? 泣いちゃうよ……?」
「違うの、聞いてセリ」
ずいと詰め寄ったオリーヴは、わけもわからずうろたえるあたしへ、決定的なひと言を放った。
「セリの体内に流れているのは、魔力じゃない──高純度の、神力よ」
「レディー、」
「お詫びの言葉ならお断りします。今までふたりに助けてもらったことのほうが、圧倒的に多いですもん。どうこう指図できるほどあたしが偉い人間かっていうと、そうでもないので!」
「マザーが何をおっしゃいます。……けれど、あなたらしいというか」
「ふふっ……ですね。では感謝の言葉を。ありがとうございます、セリ様」
晴れやかに言葉を紡ぐヴィオさんとリアンさんの微笑みは、花が咲き誇ったみたいだった。
うん、やっぱりふたりには、笑顔が似合うよ。
「まぁ、そういうことだから。もし何か手を貸してほしいことがあってオレたちをここに連れて来たなら、事情を教えてほしいんだよ、わらび」
「ビ、ビ……」
それまで黙りこくっていたわらびが、ジュリの語りかけに薄いブルーの身体を揺らめかせた……と思ったら。
「ビィ……ビィイ!」
「うわっ!? ちょっとわらび、前が見え……ないことはないけど、冷たい、すごく冷たいから、いったん離れようか? ね?」
「ビィイイ~!」
「冷たっ! 冗談抜きに冷たっ!」
あたしの肩からダイブしたわらびが、べちゃあ、とジュリの顔面に張りついた。
その冷却作用はあたしも体感済みなので、ジュリもさぞ驚いたことだろう。
そして、ジュリの次は。
「…………」
「…………」
「どうぞ」
「ビ……」
差し出されたゼノの手のひらに、ちょん、と控えめに飛び乗った。
さすがのわらびも、真顔のゼノには色々と思うところがあったらしい。
「ちょっと待って、その差は何!?」
「お礼のつもりなんじゃないかな?」
「それにしたって、オレとゼノへの接し方が違くない!?」
「ぷにぷに、しています」
「ゼノからそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった!」
「でしょー? 癖になるよね」
「母さん? ゼノと一緒になってつつかないで?」
そうはいっても、ねぇ?
あたしにくっついて離れなかったわらびが、ジュリやゼノにも懐いたと来たら、微笑ましくなるのも当然でしょ。
「はぁ……毒気が抜かれる」
「私たちの心配も、取り越し苦労だったみたいね」
「ヴィオさん、リアンさん、それじゃあ……!」
「あなたが信じるそのスライムを、私たちも信じます」
「怖がらせてしまってごめんなさいね、わらびさん。困っていることがあるなら、手助けさせてもらえないかしら?」
「ビビッ……!」
文字通り飛び上がったわらびが、あたしの頭に乗っかり、小豆大の目を白黒させながらヴィオさんとリアンさんをガン見する。
「ビヨーーーン」
びっくりしていたのも少しの間で、ゼリー状の身体を伸ばしたわらびは、そのまま輪っかを形づくってご機嫌な鳴き声をもらした。
『オッケー!』ってこと? っはは! なにそれかわいいな!
「ビヨンッ、ビッ、ビッ」
ぽむっと地面に落っこちたわらび。そのまま軽快にバウンドしながら、どこかに向かい始めた。
「ついてこい、ってことか」
「行こうジュリ。みんなも、わらびの後に続こう!」
「えぇセリ、行きましょう」
心機一転、足並みをそろえて駆け出す。
森の中は相変わらず薄暗くて不気味だったけど、わらびの進む道では、気持ち悪いブタコウモリだとか木のモンスターに遭遇することは、一切なかった。
そのうちに、左右に分かれた場所にたどり着いたわらびがぴたりと動きを止める。
これまでの足取りを考えると、急に道がわからなくなったとかではないと思う。
申し訳なさそうにあたしたちを振り返るのには、何か別の理由があるはずだ。
「大丈夫だよ。わらびは、わらびのしたいようにして」
「ビィ……」
少しためらっていたわらびも、意を決したように前を向く。選んだのは、右の道だった。
見た限り、左側とも対して変わりない道。
そう見えていた景色が幻想であったことを、一歩足を踏み入れた瞬間に思い知る。
アアァア──…
どこからともなく響き渡った、甲高い何かの鳴き声。
「っ何!? きゃっ!!」
「セリ様!」
青々と茂っていた草は萎れ、ずぶり、と地面が沈む。
大きく体勢を崩したけど、ゼノが腕を引き寄せてくれたおかげで、転ぶことはなかった。
「お怪我がなくて、よかった」
「ありがと……もう、なんでいきなり地面が崩れるの? やたら肌寒いし……」
ぶるりと二の腕をさすったあたしは、恨めしげに空を仰ぎ、すべてを悟った。
ザァアアア──……
雨だ。雨雲は見当たらないのに、雨が降り注いでいるのだ。自然現象じゃない。となると。
「『嘆きの森』って、そういうこと? 冷え性持ちには辛いぞ……ねぇジュリ?」
雨降りの日に、街でホットミルクをご馳走してもらったエピソードを思い出す。
何気なく笑いかけたつもりだった。なのに。
「うっ……く……!」
「え……? ジュリ、どうしたの、ジュリ!」
全身の血の気が引く心地だった。雨に打たれるジュリが、ぬかるんだ地面に崩れ落ちる光景を目の当たりにすれば。
夢中で駆け寄る。座り込んだジュリの顔色は真っ青で、唇にもまったく赤みがない。
「寒いの? 熱は……っ、なにこれ!」
青藍の前髪をかき上げ、額に手を当てたところで、事の深刻さをようやく理解する。
冷たいのだ。氷のように。
「なんでジュリが……っえ、リアンさん、ヴィオさん!?」
この悪夢のような出来事は、ジュリだけに留まらなかった。
同じようにぐったりと脱力したリアンさんを自身の上着で包み込んでいたヴィオさんの顔色も、真っ青で。
「大丈夫ですか!? 何があったんですか!」
「わかり、ません……雨に打たれたとたん、突然……っく……しっかりしなさい、リアン……リアン……!」
ヴィオさんが懸命に呼びかけるも、返答はなく。リアンさんは完全に、意識を失っていた。
「この雨は、モンスターの仕業ね……それも、これまで出会ってきたものとは、まったく比べ物にはならないレベルの……」
「オリーヴ! オリーヴは、平気なの!?」
「少し、めまいがする程度よ………」
うそだ、冷や汗を浮かべてるくせに。
ふらりとおぼつかない足取りで歩を進めたオリーヴは、ヴィオさん、リアンさんのそばにしゃがみ込むと、ふたりを両腕で抱きしめた。
「セリ……あなたに、無理を承知でお願いをするわ。これを……」
その言葉と共に、オリーヴの周囲が光に包まれる。
やがて緑色の光の鱗粉をまき散らす蝶が現れ、ひらひらと、あたしの肩へ止まった。
「この蝶は……」
「パピヨン・メサージュよ。魔法で生み出した、伝書蝶。あなたまで侵食されないうちに、道を引き返して、空に放ってちょうだい……」
「それで……? そうしたら、どうなるの……?」
「強力な転移魔法がかけられているから、南の……マザー・イグニクスのもとまで、一瞬で飛んで行ってくれるわ。わたくしからのパピヨン・メサージュだと、すぐにわかってくれるはず……彼女は、武術に優れた勇ましい方だから、きっと駆けつけてくれるわ……」
あたしたちだけじゃ、どうにもならない。だから助けを呼ばなければいけない状況なのだと、オリーヴは言っている。
「なら……その間、オリーヴはどうするの?」
恐る恐る問う。ふわりと、ほころぶような笑みが返ってきた。
「ヴィオやリアンのように、闘いはできないけれど……わたくしの魔法は、守りに特化したものよ。この身に代えても、みなを守ります」
「そんな……!」
それは、オリーヴひとりに尋常ではない負担がかかるということ。
マザー・イグニクスが、いつ来てくれるかわからない。それまでに、もしものことがあったら。
「……かあ、さん」
「ジュリ……! しっかり、ジュリ!」
「にげ、て……かあ、さん」
寒くて、凍えて。
辛いだろう、苦しいだろう。
「まもって、あげられなくて、ごめん、ね……」
それなのに……あたしのことを、一番に想ってくれて。
「できるわけないでしょ!!」
ひとりだけ逃げるなんて、できっこない。
「聞こえますか、リアンさん! リアンさん!」
「……リアンは、私が……」
「無茶はダメです、ヴィオさん! んなばかなこと言ったら、次は引っぱたきますからね!?」
「……は……」
「あなただけでも……行きなさい。お願いよ、セリ……わかって。いい子だから……」
「オリーヴ……っ! だから、あたしは……っ!」
逃げない、見捨てないって、言ってるのに。
「っふ、くぅっ……!」
そんなあたしが、一番の役立たずだ。
「どうして……なんでよぉっ……!」
なんであたしは魔力が使えないの?
なんでみんなが苦しんでいるときに、何もしてあげられないの?
「ばかっ……あたしのばかばかばかっ! ぽんこつ! 役立たず!」
なんであたしは、いつもこうなんだろう。
前もそうだった。なんにもしてあげられなかった。
あぁ……また繰り返すの?
大切な人たちを、誰ひとり助けられないの?
──暁人みたいに。
「やだ……こんなのやだ、やだ、やだぁっ……!」
悪夢みたい、じゃない。
これは、悪夢だ。
冗談じゃない。やめてよ。
早く覚めてよ、あたしの前から消えて。
こんなの、信じないから……!
──とん。
半狂乱になって頭を掻きむしるあたしの肩に、ふれるものがある。
大きくて広い、男の人の手のひらだ。
「……ゼ、ノ」
凪いだこがねの双眸に映し出されると、吸い込まれるような心地だった。
ぴたりと動きを止め、呼吸の仕方すら忘れたあたしの身体を、しなやかな腕が引き寄せる。
「落ち着いて。諦めないで」
雨は止まない。けれども夜空の月のように静かなまなざしと、穏やかな声音は、はっきりとこの耳に届いた。
「まだ、終わっていません」
「ゼノ……」
「私がいます、セリ様」
「っ、ゼノ……ぜのぉっ!」
下手に励まされるより簡潔なフレーズが、すとんと胸に落ちる。
それでいて、意地でも離してやらないとでも言いたげな痛いくらい抱きしめてくる腕が、ムキになってるのを隠しきれてなくて、こどもみたいで、おかしくって。
「っはは、くるしいよ……ゼノはこんなときも、ゼノだなぁ」
「はい。私はセリ様の、ゼノです」
軽く受け流してくれればいいものを、大真面目な顔しちゃって。
こんなに雨に打たれているのに、じわじわと胸が、心が、あったかい。
ひとしきり泣いたら、すっきりした。
すん、と鼻を啜ってゼノの胸から顔を上げると、ひどく驚いたようなオリーヴが、あたしたちを凝視していた。
「ゼノ様は……なんとも、ないのですか?」
「えぇ。不具合は生じておりません」
「どういうこと……? ゼノ様が、ドールだから? それにセリにもまったく異変がないのは……何か、関係があるの……?」
ぶつぶつと独り言を繰り返すオリーヴは、それっきり、何かに取り憑かれたように考え込んでしまう。
「気を失うほど症状の深刻な人と、まったく異常のない人……この違いは何? 酷いのはジュリ様とリアン、次にヴィオ、わたくしはなんとか動けて、セリとゼノ様には、まったく異変がない……」
「強いて言うなら、魔術師組が酷い?」
「魔術師、組……?」
「あたしが勝手に、そう呼んでるだけだけど……そういえば、ヴィオさんも魔法を使ってた。これも関係あるかな……?」
「魔法……もしかして! そうだとするなら……あぁ、なんてこと!」
要らない口出しをしてしまったかもしれない。
だけどそう思ったのはあたしだけで、オリーヴは何かに気づいたようだった。
「それなら、わらびさんがセリに助けを求めたことにも説明がつくわ……!」
「オリーヴ? ごめん、よくわからないんだけど、あたしがどうしたの……?」
「セリ!」
「は、はいっ!」
肩をつかまれ、条件反射で返事をしてしまった。ペリドットの瞳が、やけに近い。
「無理だったのよ。あなたが魔力を使うなんて、最初からできっこなかった。だってそんなもの、なかったんだから」
「えっ……泣いてもいい? 泣いちゃうよ……?」
「違うの、聞いてセリ」
ずいと詰め寄ったオリーヴは、わけもわからずうろたえるあたしへ、決定的なひと言を放った。
「セリの体内に流れているのは、魔力じゃない──高純度の、神力よ」
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
星夜に種を〜聖母になっちゃったOL、花の楽園でお花を咲かせる!〜
はーこ
恋愛
ごく普通のOLだったあたし笹舟星凛(ささふねせり)は、飛ばされた異世界で聖女ならぬ聖母になっちゃった!
人が樹からうまれるエデンで『マザー』として奮闘。謎の力にあやつられ暴走してしまった水の精霊ウンディーネを、無事救うことができた。
それから1ヶ月後。西の大地を守る『マザー』であり親友でもあるオリーヴから招待状が届き、ウィンローズへやってきたあたしたち。
再会を喜ぶのもつかの間、出迎えてくれたヴィオさんに告白されて──えっ、なんかお花が咲いちゃったんですけどぉ!?
◇ ◇ ◇
異世界転移したビビリなOLが聖母になり、ツッコミを入れたり絶叫しながらイケメンの息子や絡繰人形や騎士と世界を救っていく、ハートフルラブコメファンタジー(笑)第2弾です。
★『星夜に種を』の続編となります。
★基本コメディ、突然のシリアスの温度差。グッピーに優しくない。
★無自覚ヒロイン愛され。
★男性×女性はもちろん、女性×女性の恋愛、いわゆる百合描写があります。
★麗しのイケメンお姉様から口説かれたい方集まれ。今回は百合要素増量でお届け!
※作中で使用しているイラストは、すべて自作のものです。
**********
◆『第16回恋愛小説大賞』にエントリー中です。投票・エールお願いします!
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
★【完結】棘のない薔薇(作品230327)
菊池昭仁
恋愛
聡と辛い別れをした遥はその傷が癒えぬまま、学生時代のサークル仲間、光一郎と寂しさから結婚してしまい、娘の紅葉が生まれてしあわせな日々を過ごしていた。そんな時、遙の会社の取引先の商社マン、冴島と出会い、遙は恋に落ちてしまう。花を売るイタリアンレストラン『ナポリの黄昏』のスタッフたちはそんな遥をやさしく見守る。都会を漂う男と女。傷つけ傷つけられて愛が加速してゆく。遙の愛の行方はどこに進んで行くのだろうか?
Shadow★Man~変態イケメン御曹司に溺愛(ストーカー)されました~
美保馨
恋愛
ある日突然、澪は金持ちの美男子・藤堂千鶴に見染められる。しかしこの男は変態で異常なストーカーであった。澪はド変態イケメン金持ち千鶴に翻弄される日々を送る。『誰か平凡な日々を私に返して頂戴!』
★変態美男子の『千鶴』と
バイオレンスな『澪』が送る
愛と笑いの物語!
ドタバタラブ?コメディー
ギャグ50%シリアス50%の比率
でお送り致します。
※他社サイトで2007年に執筆開始いたしました。
※感想をくださったら、飛び跳ねて喜び感涙いたします。
※2007年当時に執筆した作品かつ著者が10代の頃に執筆した物のため、黒歴史感満載です。
改行等の修正は施しましたが、内容自体に手を加えていません。
2007年12月16日 執筆開始
2015年12月9日 復活(後にすぐまた休止)
2022年6月28日 アルファポリス様にて転用
※実は別名義で「雪村 里帆」としてドギツイ裏有の小説をアルファポリス様で執筆しております。
現在の私の活動はこちらでご覧ください(閲覧注意ですw)。
転生ヒロインは悪役令嬢(♂)を攻略したい!!
弥生 真由
恋愛
何事にも全力投球!猪突猛進であだ名は“うり坊”の女子高生、交通事故で死んだと思ったら、ドはまりしていた乙女ゲームのヒロインになっちゃった!
せっかく購入から二日で全クリしちゃうくらい大好きな乙女ゲームの世界に来たんだから、ゲーム内で唯一攻略出来なかった悪役令嬢の親友を目指します!!
……しかしなんと言うことでしょう、彼女が攻略したがっている悪役令嬢は本当は男だったのです!
※と、言うわけで百合じゃなくNLの完全コメディです!ご容赦ください^^;
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる