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桜に赦しを㈠
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生まれてはじめて目にする真剣であった。
鋭い切っ先を向けられた紅は、微動だにしない。達観した紅玉で、揺らぐことなく鼈甲の瞳を見つめ返している。
その隣で膝をそろえている蒼がきょとんと小首を傾げた拍子に、天色の長髪がさらりと肩を滑り落ちる。
「思ったより、くるの早かった……力ぶそく? でも、あおうっかりだから、ほんき出すとこわしちゃうし……」
「〝また〟死なない程度に手加減するか。俺も舐められたものだな」
「……ぬしさまから、はなれて?」
「おまえらがこれ以上俺を怒らせなければな。気をつけろよ? 俺の本業はデスクワークなんでね。こういう不馴れなもん持つと……うっかり、ぶった斬りそうになる……」
「……ぬしさまケガさせたら、あおがだまってないよ」
――そこだけ別世界であった。比喩でなんでもなく。
あの蒼が、底冷えしてしまうような低音を出すだなんて。どうして想像できよう。
常磐色の瞳孔は開ききり、風もないのに天色の髪が宙に揺らめく。
それをねめつける真知の鼈甲は、手にした刀身のごとく、力を入れずともふれるだけで肌を裂いてしまいそうな鋭さをぎらつかせていた。
「控えよ、蒼」
沈黙を薙ぎ払うは、凛然たる草笛の音色。
紅の言いつけはふたつ返事で守っていた蒼ながら、このときばかりはむっと唇を尖らせる。
「いいの? ぬしさまも言ってたじゃない。ほんとは、いなくなってほしいって。でもウケイがあるから、しかたないけど、ころしちゃダメだって。だからあおも、きをつけてとおせんぼしたんだよ」
「〝気をつけて〟……? よく言うぜ。殺す気満々だったくせに」
「ふふっ……あおがふーってしてたら、ひとたまりもなかったね?」
「毒吐かなかっただけありがたく思えよってか。……このクソ蛇が」
「そっちもあおに斬りつけてきたんだから、おあいこだよぉ」
誰にも邪魔されず過ごした紅との一夜。
蒼の頬に刻まれた傷痕。
呆然と事の顛末を見つめる最中に、蒼が言っていた〝おつかい〟のなんたるかを悟る。
〝蒼はミズチと言いまして、猛毒を吐き、人を死に至らしめる妖です〟
〝おぞましい大蛇の姿の所為で住みかを追われたところを、わたしが拾ったのですよ〟
そんなことがあるものかと笑い飛ばした話を、まさかこのような形で、真実だと思い知ることになろうとは。
「おまえが邪魔した所為で、穂花は……退け。そこの禍津神を黄泉に送ってやる」
「ぬしさまは、ねーさまとしあわせになるの……ジャマしないで!」
止めなければ。焦燥に駆られても、一向に音にはできない。静かに燃え上がる殺気の炎に、酸素を奪われて――
「いい加減になされませ! 天孫の御前ですよ!?」
身を焦がす静けさに、清廉なる一喝が響き渡る。
開いたままの襖から、庭の陽光とともに、ひらりと桜の花びらが舞い込んだ。
鋭い切っ先を向けられた紅は、微動だにしない。達観した紅玉で、揺らぐことなく鼈甲の瞳を見つめ返している。
その隣で膝をそろえている蒼がきょとんと小首を傾げた拍子に、天色の長髪がさらりと肩を滑り落ちる。
「思ったより、くるの早かった……力ぶそく? でも、あおうっかりだから、ほんき出すとこわしちゃうし……」
「〝また〟死なない程度に手加減するか。俺も舐められたものだな」
「……ぬしさまから、はなれて?」
「おまえらがこれ以上俺を怒らせなければな。気をつけろよ? 俺の本業はデスクワークなんでね。こういう不馴れなもん持つと……うっかり、ぶった斬りそうになる……」
「……ぬしさまケガさせたら、あおがだまってないよ」
――そこだけ別世界であった。比喩でなんでもなく。
あの蒼が、底冷えしてしまうような低音を出すだなんて。どうして想像できよう。
常磐色の瞳孔は開ききり、風もないのに天色の髪が宙に揺らめく。
それをねめつける真知の鼈甲は、手にした刀身のごとく、力を入れずともふれるだけで肌を裂いてしまいそうな鋭さをぎらつかせていた。
「控えよ、蒼」
沈黙を薙ぎ払うは、凛然たる草笛の音色。
紅の言いつけはふたつ返事で守っていた蒼ながら、このときばかりはむっと唇を尖らせる。
「いいの? ぬしさまも言ってたじゃない。ほんとは、いなくなってほしいって。でもウケイがあるから、しかたないけど、ころしちゃダメだって。だからあおも、きをつけてとおせんぼしたんだよ」
「〝気をつけて〟……? よく言うぜ。殺す気満々だったくせに」
「ふふっ……あおがふーってしてたら、ひとたまりもなかったね?」
「毒吐かなかっただけありがたく思えよってか。……このクソ蛇が」
「そっちもあおに斬りつけてきたんだから、おあいこだよぉ」
誰にも邪魔されず過ごした紅との一夜。
蒼の頬に刻まれた傷痕。
呆然と事の顛末を見つめる最中に、蒼が言っていた〝おつかい〟のなんたるかを悟る。
〝蒼はミズチと言いまして、猛毒を吐き、人を死に至らしめる妖です〟
〝おぞましい大蛇の姿の所為で住みかを追われたところを、わたしが拾ったのですよ〟
そんなことがあるものかと笑い飛ばした話を、まさかこのような形で、真実だと思い知ることになろうとは。
「おまえが邪魔した所為で、穂花は……退け。そこの禍津神を黄泉に送ってやる」
「ぬしさまは、ねーさまとしあわせになるの……ジャマしないで!」
止めなければ。焦燥に駆られても、一向に音にはできない。静かに燃え上がる殺気の炎に、酸素を奪われて――
「いい加減になされませ! 天孫の御前ですよ!?」
身を焦がす静けさに、清廉なる一喝が響き渡る。
開いたままの襖から、庭の陽光とともに、ひらりと桜の花びらが舞い込んだ。
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