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一迅の刃㈡
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「ちょっと紅さん」
「はい」
「私の大好物知ってます?」
「あんかけ揚げだし豆腐ですな。すりおろし生姜を忘れずに」
「お茄子もつけるとか天才ですか。味が沁みてる……はぁあ……しあわせ~……!」
うららかな陽気の射し込む居間にて。
穂花の大好物である揚げだし豆腐を筆頭に、食卓にはアジの混ぜご飯、青菜と百合根の卵とじ、麹の味噌汁と、まばゆい朝食が並べられていた。
さすが紅といったところか。その腕たるや、高級料亭の料理人にも引けをとらない。
「ねーさま、にこにこ」
「ホント美味しいよ! 蒼も食べてみて!」
「あおはね、たべられないの」
「食べられない……どうして!?」
「食事を必要としないのですよ。原動力として、わたしの神力を分け与えておりますゆえ」
言い方を変えるならば、紅の神力が、蒼の食事ということだろうか。
「そっか……こんなに美味しいのに、なんか勿体ないね」
言葉を交わせても、所詮はちがう種族なのだと。
当たり前の習慣を共有できない物寂しさが、箸を遠のかせる。
「空腹を憶え、美味と感じるうちは、喜ばしいことではないでしょうか」
かたわらでそっと急須を傾ける紅の、異様なほど静かな草笛が、にわかに異変を伝える。
「確信致しました。――誓約は、まだ続いております」
「なんですって……!」
「貴女様が、こうして変わらず食事をされている。それが証です」
コト……と置かれた湯呑みの透き通った緑に、ゆらめく己が映り込んでいる。困惑の面持ちで。
「永久を司るわたしは、老いや飢えを知りません。味見程度に摂取することはできますが、そもそも食事の必要がないのです」
そうか……だからなのだ。
滅多に食事をしない、したとしてもすずめの涙ほどの量であった理由は、穂花の給仕のために先に済ませていたわけでも、紅が少食なわけでもなかった。
「このイワナガヒメとともに永久を得たのならば、貴女様がお食事をされているはずがない」
「だから誓約は続いてるって…………青い蕾があったのも、それで?」
「おそらく」
穂花の問いに、紅は別段驚くこともなく答えた。その存在を、とうの昔に知り得ていた証拠だ。
「たしかに椿の……赤い花は咲きました。しかし、わたしと貴女様の神力は未だ同化していない。天が仕損じるとは到底思えませぬ。となれば、考えられることはひとつ――〝蕾を咲かせられるか否かの機会を、天は等しくお与えなさった〟」
「それって、つまり――」
「ぬしさま」
それまで大人しくなりゆきを見守っていた蒼が、唐突に声を張り上げた。
背筋を伸ばし、庭の方角へと眼を凝らしている。これまでの姿からは想像もつかないような、鋭利な常磐色をたぎらせて。
「きたよ。あお、また出る?」
主語がなくとも、紅はすべてを理解したらしい。
「……いや、そのままで良い」
なんのことだかわからない。が、なにか良からぬことが起きようとしていることだけは、わかった。
ざわめく鼓動。おもむろにまぶたを下ろした紅へ、声をかけようとしたそのときだ。
翠の絹髪を、一迅の風が舞い踊らせた。
「――動くな。妙な真似をすれば、斬る」
鼓膜を凍りつかせるは、絶対零度の声音。
呆然と見つめる先で、白銀の刀身が鈍い光を放つ。
「この一晩で、さぞかしおめでたい夢を見ることができただろう」
聞き慣れた音色で、これほどまでに皮肉たらしい響きを、耳にしたことがない。
けれども視界へ映るのは、見慣れた飴色の髪。
「俺の穂花を返してもらおうか。――禍津神」
鋭い言霊、矛先を向けられて尚、紅は焦燥を滲ませはしない。
「お待ちしておりました、オモイカネ殿」
まるで覚悟していたかのように、しかと紅玉で見返す、ただそれのみ。
「はい」
「私の大好物知ってます?」
「あんかけ揚げだし豆腐ですな。すりおろし生姜を忘れずに」
「お茄子もつけるとか天才ですか。味が沁みてる……はぁあ……しあわせ~……!」
うららかな陽気の射し込む居間にて。
穂花の大好物である揚げだし豆腐を筆頭に、食卓にはアジの混ぜご飯、青菜と百合根の卵とじ、麹の味噌汁と、まばゆい朝食が並べられていた。
さすが紅といったところか。その腕たるや、高級料亭の料理人にも引けをとらない。
「ねーさま、にこにこ」
「ホント美味しいよ! 蒼も食べてみて!」
「あおはね、たべられないの」
「食べられない……どうして!?」
「食事を必要としないのですよ。原動力として、わたしの神力を分け与えておりますゆえ」
言い方を変えるならば、紅の神力が、蒼の食事ということだろうか。
「そっか……こんなに美味しいのに、なんか勿体ないね」
言葉を交わせても、所詮はちがう種族なのだと。
当たり前の習慣を共有できない物寂しさが、箸を遠のかせる。
「空腹を憶え、美味と感じるうちは、喜ばしいことではないでしょうか」
かたわらでそっと急須を傾ける紅の、異様なほど静かな草笛が、にわかに異変を伝える。
「確信致しました。――誓約は、まだ続いております」
「なんですって……!」
「貴女様が、こうして変わらず食事をされている。それが証です」
コト……と置かれた湯呑みの透き通った緑に、ゆらめく己が映り込んでいる。困惑の面持ちで。
「永久を司るわたしは、老いや飢えを知りません。味見程度に摂取することはできますが、そもそも食事の必要がないのです」
そうか……だからなのだ。
滅多に食事をしない、したとしてもすずめの涙ほどの量であった理由は、穂花の給仕のために先に済ませていたわけでも、紅が少食なわけでもなかった。
「このイワナガヒメとともに永久を得たのならば、貴女様がお食事をされているはずがない」
「だから誓約は続いてるって…………青い蕾があったのも、それで?」
「おそらく」
穂花の問いに、紅は別段驚くこともなく答えた。その存在を、とうの昔に知り得ていた証拠だ。
「たしかに椿の……赤い花は咲きました。しかし、わたしと貴女様の神力は未だ同化していない。天が仕損じるとは到底思えませぬ。となれば、考えられることはひとつ――〝蕾を咲かせられるか否かの機会を、天は等しくお与えなさった〟」
「それって、つまり――」
「ぬしさま」
それまで大人しくなりゆきを見守っていた蒼が、唐突に声を張り上げた。
背筋を伸ばし、庭の方角へと眼を凝らしている。これまでの姿からは想像もつかないような、鋭利な常磐色をたぎらせて。
「きたよ。あお、また出る?」
主語がなくとも、紅はすべてを理解したらしい。
「……いや、そのままで良い」
なんのことだかわからない。が、なにか良からぬことが起きようとしていることだけは、わかった。
ざわめく鼓動。おもむろにまぶたを下ろした紅へ、声をかけようとしたそのときだ。
翠の絹髪を、一迅の風が舞い踊らせた。
「――動くな。妙な真似をすれば、斬る」
鼓膜を凍りつかせるは、絶対零度の声音。
呆然と見つめる先で、白銀の刀身が鈍い光を放つ。
「この一晩で、さぞかしおめでたい夢を見ることができただろう」
聞き慣れた音色で、これほどまでに皮肉たらしい響きを、耳にしたことがない。
けれども視界へ映るのは、見慣れた飴色の髪。
「俺の穂花を返してもらおうか。――禍津神」
鋭い言霊、矛先を向けられて尚、紅は焦燥を滲ませはしない。
「お待ちしておりました、オモイカネ殿」
まるで覚悟していたかのように、しかと紅玉で見返す、ただそれのみ。
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