21 / 77
小袖の五月雨㈠
しおりを挟む
「べに、おんぶ!」
大粒の琥珀が、まだ茜の空をうんと見上げていたころ。数拍を経て、丸みを帯びた紅玉がふ……と和らぐ。
「本日は〝だっこ〟ではないのですな?」
「おんぶがいいの! おんぶ!」
「御意のままに」
何故という言外の問いに、穂花は我を突き通す。
主は齢三歳を満たした程度だ。適当であるか、と紅は結論づける。
黄金色に仄光る草むらにて右の膝頭をつく。背を差し出せば、幾許もなく肉弾に見舞われる。
逃げるはずもない相手めがけ、いとけない少女は思いきり踏み切ったらしい。
お次は奇妙な息苦しさを覚える。両肩にかけて摩擦を伴うそれは、おそらく、常日頃から紺青の衣と合わせている桜霞の領巾を引っ張られている為と思われる。
「お馬ごっこをご所望か、吾妹」
「ひらひら~」
問いが聞こえているのかそうでないのか、穂花は此花色の服飾をくいくいと引っ張るばかり。
紅の神気により、平生は重力の洗礼を受けることなくひらり、ふわり、と大気を漂う細長い布切れは、手綱と化したようだ。
けれども紅は抗議も追及もしない。主の言の葉すべてが、己にとって是である為だ。
そっと腰を上げれば、さやさやと葉桜がささめく。
宵を運ぶ緋色の風は、首筋を撫で、身をぷるりと震わせる。
――寒いのは厭だ。
背のぬくもりをすぐにでも胸へ抱き直したい衝動を堪え、影の敷かれた山道を踏み出す。
さく、さく、と落ち葉を踏みしめる音。そよ風の散歩。枝葉の内緒話。
下りを始めてからは、水を打ったような静けさに包まれる。手綱を引かれる圧迫感は、いつしかなくなっていた。
「吾妹」
ひとたび喚びかける。返事はない。
歩みのゆりかごに、夢路へ旅立ってしまわれたのだろうか。それでも構いはせぬと、草笛は奏でられる。
「吾妹、お出かけの折は、せめて蒼を供におつけくださいまし」
「……なんで?」
返答あり。確証を得て、ひそめていた声を少しばかり張る。
「もし吾妹になにかあったら。そう思うと、紅は身が焼き切れそうになります。出来るなら、まばたきの間もお傍を離れたくないのです。しかしながら、私欲のために吾妹のお心へ土足で踏み入ることも憚られる」
返す言の葉がなければ、それは紅の独りごちと成り下がる。
きっと、一生懸命に咀嚼をしているのだろう。幼い主がどれほどを理解したか定かではない。
たとえひとかけらさえ飲み込まれていなくとも、よかった。いまこのとき、ぬくもりがそこに在るならば。
「嗚呼……今宵は五月雨のようです。雨は厭じゃ。寒い。どうにかやませようにも、あの夕焼けは素知らぬふりで隠れようとする」
遠く、遥か遠くを仰いだまなざしが、透き通った緋色を細く切りとる。
薄紫の滲んだ天道は、恐ろしく美しかった。作り物のごとく。
大粒の琥珀が、まだ茜の空をうんと見上げていたころ。数拍を経て、丸みを帯びた紅玉がふ……と和らぐ。
「本日は〝だっこ〟ではないのですな?」
「おんぶがいいの! おんぶ!」
「御意のままに」
何故という言外の問いに、穂花は我を突き通す。
主は齢三歳を満たした程度だ。適当であるか、と紅は結論づける。
黄金色に仄光る草むらにて右の膝頭をつく。背を差し出せば、幾許もなく肉弾に見舞われる。
逃げるはずもない相手めがけ、いとけない少女は思いきり踏み切ったらしい。
お次は奇妙な息苦しさを覚える。両肩にかけて摩擦を伴うそれは、おそらく、常日頃から紺青の衣と合わせている桜霞の領巾を引っ張られている為と思われる。
「お馬ごっこをご所望か、吾妹」
「ひらひら~」
問いが聞こえているのかそうでないのか、穂花は此花色の服飾をくいくいと引っ張るばかり。
紅の神気により、平生は重力の洗礼を受けることなくひらり、ふわり、と大気を漂う細長い布切れは、手綱と化したようだ。
けれども紅は抗議も追及もしない。主の言の葉すべてが、己にとって是である為だ。
そっと腰を上げれば、さやさやと葉桜がささめく。
宵を運ぶ緋色の風は、首筋を撫で、身をぷるりと震わせる。
――寒いのは厭だ。
背のぬくもりをすぐにでも胸へ抱き直したい衝動を堪え、影の敷かれた山道を踏み出す。
さく、さく、と落ち葉を踏みしめる音。そよ風の散歩。枝葉の内緒話。
下りを始めてからは、水を打ったような静けさに包まれる。手綱を引かれる圧迫感は、いつしかなくなっていた。
「吾妹」
ひとたび喚びかける。返事はない。
歩みのゆりかごに、夢路へ旅立ってしまわれたのだろうか。それでも構いはせぬと、草笛は奏でられる。
「吾妹、お出かけの折は、せめて蒼を供におつけくださいまし」
「……なんで?」
返答あり。確証を得て、ひそめていた声を少しばかり張る。
「もし吾妹になにかあったら。そう思うと、紅は身が焼き切れそうになります。出来るなら、まばたきの間もお傍を離れたくないのです。しかしながら、私欲のために吾妹のお心へ土足で踏み入ることも憚られる」
返す言の葉がなければ、それは紅の独りごちと成り下がる。
きっと、一生懸命に咀嚼をしているのだろう。幼い主がどれほどを理解したか定かではない。
たとえひとかけらさえ飲み込まれていなくとも、よかった。いまこのとき、ぬくもりがそこに在るならば。
「嗚呼……今宵は五月雨のようです。雨は厭じゃ。寒い。どうにかやませようにも、あの夕焼けは素知らぬふりで隠れようとする」
遠く、遥か遠くを仰いだまなざしが、透き通った緋色を細く切りとる。
薄紫の滲んだ天道は、恐ろしく美しかった。作り物のごとく。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる