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本編
*54* 花の香りに誘われて
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どうやら、わたしが知るエルと戦場にいるエルは、まったくの別人らしい。
「いらっしゃい、リオ」
にこやかに部屋へむかえ入れられながら、いまだ半信半疑ではあるけど。
「念入りにシャワーを浴びていたら、身支度にすこし手間どってしまいました。こんな格好でごめんなさい」
申し訳なさそうに眉を下げたエルは、ワイシャツにスラックスすがただった。
色白な肌はまだ火照っていて、ミルキーホワイトの髪はしっとりとしている。
「わたしこそ、お忙しいときにごめんなさい」
「いえいえ、お呼びしたのは僕ですから。そういえば、ノアくんは?」
「部屋にいます。朝の往診も終わって落ち着いたので、魔法薬の専門書を読むように言ってるんです。午後には口頭試問をする予定なんですよ」
「なるほど。それは一生懸命お勉強しないといけませんね。ハーブティーはお好きですか?」
「あ、おかまいなく……」
「気にしないでください。僕がいつも眠る前に淹れているものですから」
わたしをソファーへ案内したエルが、慣れた手つきでティーポットの中身をカップへそそぐ。
ベテランの執事と言われても違和感がないくらい、どこまでも洗練された所作だった。
ほとんど物音を立てず、テーブルへティーカップが置かれた。
「夜、眠れないんですか?」
「夢見はよくはないですね。むかしからです」
しまった、と後悔しても遅い。
何気ない問い。だけどそれは、エルの過去に土足で踏み入るようなものだった。
つい最近まで、娼館街でからだを売ることでしか生活をするすべのなかったエルに、こころ安らかに眠れる夜なんてあったはずがないのに。
「……ごめんなさい」
「謝らないで。そんな顔をさせたかったわけじゃないんです」
失言に気づき、視線を伏せるわたしに、エルはやっぱり怒らない。
「いまの僕には、リオがいます。あなたのそばは、とても心地がいい……眠くなるまでのすこしのあいだ、僕の話し相手になってもらえませんか?」
それが、エルの言っていたごほうびなのかな。
うっとりしたようにお願いされたら、選択肢なんてあってないようなものでしょう。
「もちろんです。せっかくハーブティーを淹れてもらいましたからね」
そう言ってティーカップに口をつけると、蜂蜜色の瞳をぱちくりさせたエルが、ふわりと笑みをほころばせた。
「おとなり、よろしいですか? ハグがしたいです」
「え、いま? ちょっと待ってくださいね……」
わたしがOKを出したら、そのまま熱烈ハグをされそうな雰囲気だったので、手にしたティーカップをソーサーへ置く。
火傷したらたいへんだもんなぁ、とか考えているうちに、ソファーのとなりに腰をおろしたエルに抱き寄せられていた。
「……あなたと出会ったあの日。ほんとうは、あなたを追いかけたかった。すがりついて、慈悲を乞いたかったけれど……穢れた僕がふれていいわけがないと、諦めていたんです」
わたしを抱きしめ、肩にもたれたエルの表情は見えない。
「でも、僕の境遇を嘲笑わず、歩み寄ってくれたあなたのことが、忘れられませんでした。また会いたい……ただそればかり考えていました」
見えないけど、わたしの耳もとで吐露するエルの息がふるえていることは、わかった。
「いけませんね。あなたとふれあうたび、僕はどんどん強欲になってしまいます。──リオ」
「……はい」
「愛しています」
いつの間にか、蜂蜜色の瞳が、至近距離でわたしを映し出していた。
「……愛しています」
吐息のようなささやきでくり返して、エルがわたしの唇をついばむ。
一度目は、様子をうかがうように。
うつむいたわたしがエルの胸に手を置くだけで、押し返せないでいると、抱擁の力が強まった。
「んっ……」
二度目は、あごをすくわれ、噛みつくように。
深いキスに、勢いあまって視界が回る。
とさりと、ソファーにもつれ込んだ。
くちゅくちゅと、口内で粘液をかき混ぜられる音がする。
わたしに覆いかぶさったエルが顔をはなすと、絡められていた舌が糸を引く。
「……はぁっ、ん……リオ……」
「んっ……!」
エルはかすれ声でわたしを呼んで、濡れそぼった唇で、ちゅ、ちゅ、とわたしのほほや耳をくすぐる。
いつもより軽装だからか、エルのからだが尋常でなく熱いのが、ワイシャツ越しにつたわってくる。
前のボタンも申し訳程度にしか留められていなくて、すきまからのぞく胸もとが、艶めかしい。
「……滑稽ですよね。あれだけ女性を相手にしてきて、満たされたことなんて、ただのいちどもないんです。生きるためにしなければならないこと……僕にとって、性交とはそんなものでした」
暗い路地裏で淡々とご婦人を抱いていたエルの冷めたまなざしが、脳裏に蘇る。
それが氷のように冷たいものだったからこそ、燃えるように熱いエルのからだに、戸惑ってしまうんだ。
「ふふ、可笑しいですね……男女の交わりにうんざりしていた僕が、あなたを抱くことを夢見て、毎晩妄想のなかで犯しているだなんて」
「ひぁっ……!」
つぅ……と脚をなで上げられ、高い声を出してしまった恥ずかしさに、きゅっと目をつむる。
そんなわたしの強ばりをほどくように、閉じた脚のすきまに差し入れられた手が、内腿のやわらかいところをくすぐって、ゆっくりと、押しひらく。
だめだ。
流されちゃだめだって、頭では思うのに。
「リオ──僕とセックス、しましょうか」
甘い、香りがする。
まただ。ふとしたときにエルからただよう、蝶を惑わす花のような香りが、また……
「どろどろに……溶け合いましょうね?」
甘い甘い香りとささやきに、理性をぐずぐずに溶かされたなら、あとはもう、されるがまま。
「いらっしゃい、リオ」
にこやかに部屋へむかえ入れられながら、いまだ半信半疑ではあるけど。
「念入りにシャワーを浴びていたら、身支度にすこし手間どってしまいました。こんな格好でごめんなさい」
申し訳なさそうに眉を下げたエルは、ワイシャツにスラックスすがただった。
色白な肌はまだ火照っていて、ミルキーホワイトの髪はしっとりとしている。
「わたしこそ、お忙しいときにごめんなさい」
「いえいえ、お呼びしたのは僕ですから。そういえば、ノアくんは?」
「部屋にいます。朝の往診も終わって落ち着いたので、魔法薬の専門書を読むように言ってるんです。午後には口頭試問をする予定なんですよ」
「なるほど。それは一生懸命お勉強しないといけませんね。ハーブティーはお好きですか?」
「あ、おかまいなく……」
「気にしないでください。僕がいつも眠る前に淹れているものですから」
わたしをソファーへ案内したエルが、慣れた手つきでティーポットの中身をカップへそそぐ。
ベテランの執事と言われても違和感がないくらい、どこまでも洗練された所作だった。
ほとんど物音を立てず、テーブルへティーカップが置かれた。
「夜、眠れないんですか?」
「夢見はよくはないですね。むかしからです」
しまった、と後悔しても遅い。
何気ない問い。だけどそれは、エルの過去に土足で踏み入るようなものだった。
つい最近まで、娼館街でからだを売ることでしか生活をするすべのなかったエルに、こころ安らかに眠れる夜なんてあったはずがないのに。
「……ごめんなさい」
「謝らないで。そんな顔をさせたかったわけじゃないんです」
失言に気づき、視線を伏せるわたしに、エルはやっぱり怒らない。
「いまの僕には、リオがいます。あなたのそばは、とても心地がいい……眠くなるまでのすこしのあいだ、僕の話し相手になってもらえませんか?」
それが、エルの言っていたごほうびなのかな。
うっとりしたようにお願いされたら、選択肢なんてあってないようなものでしょう。
「もちろんです。せっかくハーブティーを淹れてもらいましたからね」
そう言ってティーカップに口をつけると、蜂蜜色の瞳をぱちくりさせたエルが、ふわりと笑みをほころばせた。
「おとなり、よろしいですか? ハグがしたいです」
「え、いま? ちょっと待ってくださいね……」
わたしがOKを出したら、そのまま熱烈ハグをされそうな雰囲気だったので、手にしたティーカップをソーサーへ置く。
火傷したらたいへんだもんなぁ、とか考えているうちに、ソファーのとなりに腰をおろしたエルに抱き寄せられていた。
「……あなたと出会ったあの日。ほんとうは、あなたを追いかけたかった。すがりついて、慈悲を乞いたかったけれど……穢れた僕がふれていいわけがないと、諦めていたんです」
わたしを抱きしめ、肩にもたれたエルの表情は見えない。
「でも、僕の境遇を嘲笑わず、歩み寄ってくれたあなたのことが、忘れられませんでした。また会いたい……ただそればかり考えていました」
見えないけど、わたしの耳もとで吐露するエルの息がふるえていることは、わかった。
「いけませんね。あなたとふれあうたび、僕はどんどん強欲になってしまいます。──リオ」
「……はい」
「愛しています」
いつの間にか、蜂蜜色の瞳が、至近距離でわたしを映し出していた。
「……愛しています」
吐息のようなささやきでくり返して、エルがわたしの唇をついばむ。
一度目は、様子をうかがうように。
うつむいたわたしがエルの胸に手を置くだけで、押し返せないでいると、抱擁の力が強まった。
「んっ……」
二度目は、あごをすくわれ、噛みつくように。
深いキスに、勢いあまって視界が回る。
とさりと、ソファーにもつれ込んだ。
くちゅくちゅと、口内で粘液をかき混ぜられる音がする。
わたしに覆いかぶさったエルが顔をはなすと、絡められていた舌が糸を引く。
「……はぁっ、ん……リオ……」
「んっ……!」
エルはかすれ声でわたしを呼んで、濡れそぼった唇で、ちゅ、ちゅ、とわたしのほほや耳をくすぐる。
いつもより軽装だからか、エルのからだが尋常でなく熱いのが、ワイシャツ越しにつたわってくる。
前のボタンも申し訳程度にしか留められていなくて、すきまからのぞく胸もとが、艶めかしい。
「……滑稽ですよね。あれだけ女性を相手にしてきて、満たされたことなんて、ただのいちどもないんです。生きるためにしなければならないこと……僕にとって、性交とはそんなものでした」
暗い路地裏で淡々とご婦人を抱いていたエルの冷めたまなざしが、脳裏に蘇る。
それが氷のように冷たいものだったからこそ、燃えるように熱いエルのからだに、戸惑ってしまうんだ。
「ふふ、可笑しいですね……男女の交わりにうんざりしていた僕が、あなたを抱くことを夢見て、毎晩妄想のなかで犯しているだなんて」
「ひぁっ……!」
つぅ……と脚をなで上げられ、高い声を出してしまった恥ずかしさに、きゅっと目をつむる。
そんなわたしの強ばりをほどくように、閉じた脚のすきまに差し入れられた手が、内腿のやわらかいところをくすぐって、ゆっくりと、押しひらく。
だめだ。
流されちゃだめだって、頭では思うのに。
「リオ──僕とセックス、しましょうか」
甘い、香りがする。
まただ。ふとしたときにエルからただよう、蝶を惑わす花のような香りが、また……
「どろどろに……溶け合いましょうね?」
甘い甘い香りとささやきに、理性をぐずぐずに溶かされたなら、あとはもう、されるがまま。
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