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本編
*20* 感動のワンシーンなのになにかがおかしい
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宿にノアを連れ帰ってすぐ、荷物を投げ出す。
「シャワー浴びといで! タオルはすぐに持ってくからね!」
クローゼットから予備のフェイスタオルをつかんで、頭に引っかける。
わしゃわしゃとある程度水分をぬぐいながら、マジックバッグの中身をベッドにひっくり返した。
「一階のレストランでホットミルクを作ってもらって……黒胡椒って入れてもらえるかな? チーゴの花の残りで、風邪薬も作っとかなきゃ……」
備えがあるに越したことはい。ぶつぶつとひとりごとをこぼすわたしは、ひたり、ひたり、と近寄る気配に気づかなかった。
華奢な腕が腰に巻きつく。
ばさりと、布が床に落ちたような音に、一瞬思考が停止して。
「……リオ……」
掠れた声が、近い。
燃えるような体温が背中に密着していて、我に返った。
「ノア、離して?」
「……やだ」
「シャワー浴びないと、ほんとに風邪引いちゃうよ!」
「そんなこと、言わないで……俺の話、聞いて。リオ」
……来た。
わたしが知らないフリをするのを、きみが、許してくれないんだね。
「ずっと……言わなきゃって思ってた。でも、勇気が出なくて……ほんとうのことを話したら、リオに捨てられるんじゃないかって、怖かった……ねぇ、リオ」
「うん……」
「こっち……向いて、くれる?」
息を吐き出すように、ノアが言った。
腰に回された腕がゆるんで、痛いくらいの沈黙後、わたしも腹を決めて向き直る。
そして、目を見ひらいた。
ローブやシャツを脱いで、上半身裸になったノアの肩の向こうで、コウモリみたいな一対の黒い翼が広げられていたからだ。
ほの暗い影を落としたサファイアのまなざしでわたしを見つめながら、ノアは重い口をひらく。
「……さっきの占い師が言ったとおり、俺は人間じゃない……夢の中で人を食う、夢魔なんだ」
* * *
夢魔。淫魔とも呼ばれている。
夢の中で異性と交わり、精を注いだり、吸い取ったりする悪魔のこと。
女性体をサキュバス、男性体をインキュバスという。
「俺の魔力が高いのは……母さんが、聖女だったからなのかもしれない……」
聖女の血を引くインキュバス。水と油が混ざりあったかのように、信じられない話だ。
「だけど、こどものときは全然魔法とか使えなくて、みんなからは落ちこぼれって言われてて……俺は、父さんに守ってもらってばっかだった……」
生まれてすぐに、お母さんを亡くしたこと。
お父さんとふたりで暮らしてきたこと。
そんなたいせつな家族を、突然奪われたこと。
独りになってから、何年も何年もあてもなく放浪して……あの娼館街に連れて来られたこと。
言葉を詰まらせながら告白されたことは、わたしの想像以上に、壮絶な人生だった。
──どうせ帰る場所もない。
ノアがどんな思いでそう言っていたのか、いまさら思い知るだなんて。
「騙すつもりはなかった……でも、俺は悪魔だから……みんなに嫌われてる、落ちこぼれだから、言え、なくてっ……」
「……ばか」
「っ、ごめ、リオ……ごめん、ごめんなさい……俺が悪いから、あやまるから……嫌わないで。俺のこと、捨てないで……おねがい、おねがい……っ!」
悲痛な声で懇願するノアを前にしたら、もうたまらなくなった。
「ばか! なんで謝るの! ノアは悪いことなんてしてないでしょう!?」
ぺちんっと音を立てて、両ほほを叩く。一応手加減はした。
そのまま包み込んだら、濡れたサファイアが、丸みをおびる。いつ見ても、こぼれ落ちそうな瞳だ。
「え……?」
「ノア、『嫌いにならない?』ってきいたじゃん。『ならない』って、わたし答えたじゃん……なんで信じてくれないの」
だめだ……泣いちゃいけない、泣いてる場合なんかじゃないのに。
「ノアは、わたしの嫌がること、したことないでしょ? 経験もなくて、慣れないことに、一生懸命がんばってただけ。わたし、ノアがわたしの役に立ちたいって言ってくれて、すごくうれしかったんだよ……」
目頭が熱い。あーあ……もういいや。
「ノアが悪魔でも、わたしがノアを嫌う理由にはならない。きみはいい子。……いいお父さんに、育てられたんだろうね」
「ッ……!」
わたしの父親は、最低なやつだったよ。月とスッポンすぎて笑えてくる。
「独りでがんばってきたねぇ……寂しかっただろうねぇ。すごく傷ついただろうに……わたしのこと、頼りにしてくれて、ありがとうね」
「……リオ……」
「約束して、ノア。幸せになるって。きみが幸せになることが、いじわるしてきたやつらへの一番の仕返しだから!」
「リオ、リオ…………りぉおっ……!」
「ぎゃっ!?」
ノアに飛びつかれて、ぽふん、とベッドに沈み込む。乙女らしからぬ奇声を上げてしまったけど、どうかスルーしてほしい。
「ほんとに、そばにいてくれる……? 父さんみたいにどこにも行かないで、ずっとずっと、俺のそばにいてくれるって、約束してくれる……?」
「うん。指切りげんまんしよう」
「ゆびきり……?」
「絶対に約束やぶらないって誓いを立てるの。手を出して?」
こわごわと差し出された左手の小指に、右手の小指をからめたら、することは決まってるよね。
「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます、ゆーびきったっ!」
「……なにそれ、怖いな、ははっ……」
くしゃっと顔をゆがめたノアが、サファイアの瞳から、ぽろりと涙をこぼした。
「ありがとう、リオ……俺もう、絶対リオから離れないから……俺をひろった責任、取ってよね……っ!」
「ははは、苦しゅうないぞよ」
「リオ……俺のリオ……んん」
ぼろぼろに泣いてるのは、安堵の現れだろう。
甘えたようにほおずりをしてくるノアに、わたしも気分がよくなって、頭をなでなでしてあげていたんだけども。
「……もっと近くにいきたい、リオ……はぁっ」
ふと、気づくことがある。
なんだろう……ノアの呼吸が、荒いような?
そして気のせいでなければ、わたしを至近距離で見下ろすまなざしが、煮つめた砂糖みたいに蕩けているような?
「もう、がまんできないっ……」
はぁはぁと肩で息をするノアが、ベッドで仰向けになったわたしへなだれ込んでくる。
「んむぅっ……」
その直後だった。噛みつくように、唇をふさがれたのは。
「シャワー浴びといで! タオルはすぐに持ってくからね!」
クローゼットから予備のフェイスタオルをつかんで、頭に引っかける。
わしゃわしゃとある程度水分をぬぐいながら、マジックバッグの中身をベッドにひっくり返した。
「一階のレストランでホットミルクを作ってもらって……黒胡椒って入れてもらえるかな? チーゴの花の残りで、風邪薬も作っとかなきゃ……」
備えがあるに越したことはい。ぶつぶつとひとりごとをこぼすわたしは、ひたり、ひたり、と近寄る気配に気づかなかった。
華奢な腕が腰に巻きつく。
ばさりと、布が床に落ちたような音に、一瞬思考が停止して。
「……リオ……」
掠れた声が、近い。
燃えるような体温が背中に密着していて、我に返った。
「ノア、離して?」
「……やだ」
「シャワー浴びないと、ほんとに風邪引いちゃうよ!」
「そんなこと、言わないで……俺の話、聞いて。リオ」
……来た。
わたしが知らないフリをするのを、きみが、許してくれないんだね。
「ずっと……言わなきゃって思ってた。でも、勇気が出なくて……ほんとうのことを話したら、リオに捨てられるんじゃないかって、怖かった……ねぇ、リオ」
「うん……」
「こっち……向いて、くれる?」
息を吐き出すように、ノアが言った。
腰に回された腕がゆるんで、痛いくらいの沈黙後、わたしも腹を決めて向き直る。
そして、目を見ひらいた。
ローブやシャツを脱いで、上半身裸になったノアの肩の向こうで、コウモリみたいな一対の黒い翼が広げられていたからだ。
ほの暗い影を落としたサファイアのまなざしでわたしを見つめながら、ノアは重い口をひらく。
「……さっきの占い師が言ったとおり、俺は人間じゃない……夢の中で人を食う、夢魔なんだ」
* * *
夢魔。淫魔とも呼ばれている。
夢の中で異性と交わり、精を注いだり、吸い取ったりする悪魔のこと。
女性体をサキュバス、男性体をインキュバスという。
「俺の魔力が高いのは……母さんが、聖女だったからなのかもしれない……」
聖女の血を引くインキュバス。水と油が混ざりあったかのように、信じられない話だ。
「だけど、こどものときは全然魔法とか使えなくて、みんなからは落ちこぼれって言われてて……俺は、父さんに守ってもらってばっかだった……」
生まれてすぐに、お母さんを亡くしたこと。
お父さんとふたりで暮らしてきたこと。
そんなたいせつな家族を、突然奪われたこと。
独りになってから、何年も何年もあてもなく放浪して……あの娼館街に連れて来られたこと。
言葉を詰まらせながら告白されたことは、わたしの想像以上に、壮絶な人生だった。
──どうせ帰る場所もない。
ノアがどんな思いでそう言っていたのか、いまさら思い知るだなんて。
「騙すつもりはなかった……でも、俺は悪魔だから……みんなに嫌われてる、落ちこぼれだから、言え、なくてっ……」
「……ばか」
「っ、ごめ、リオ……ごめん、ごめんなさい……俺が悪いから、あやまるから……嫌わないで。俺のこと、捨てないで……おねがい、おねがい……っ!」
悲痛な声で懇願するノアを前にしたら、もうたまらなくなった。
「ばか! なんで謝るの! ノアは悪いことなんてしてないでしょう!?」
ぺちんっと音を立てて、両ほほを叩く。一応手加減はした。
そのまま包み込んだら、濡れたサファイアが、丸みをおびる。いつ見ても、こぼれ落ちそうな瞳だ。
「え……?」
「ノア、『嫌いにならない?』ってきいたじゃん。『ならない』って、わたし答えたじゃん……なんで信じてくれないの」
だめだ……泣いちゃいけない、泣いてる場合なんかじゃないのに。
「ノアは、わたしの嫌がること、したことないでしょ? 経験もなくて、慣れないことに、一生懸命がんばってただけ。わたし、ノアがわたしの役に立ちたいって言ってくれて、すごくうれしかったんだよ……」
目頭が熱い。あーあ……もういいや。
「ノアが悪魔でも、わたしがノアを嫌う理由にはならない。きみはいい子。……いいお父さんに、育てられたんだろうね」
「ッ……!」
わたしの父親は、最低なやつだったよ。月とスッポンすぎて笑えてくる。
「独りでがんばってきたねぇ……寂しかっただろうねぇ。すごく傷ついただろうに……わたしのこと、頼りにしてくれて、ありがとうね」
「……リオ……」
「約束して、ノア。幸せになるって。きみが幸せになることが、いじわるしてきたやつらへの一番の仕返しだから!」
「リオ、リオ…………りぉおっ……!」
「ぎゃっ!?」
ノアに飛びつかれて、ぽふん、とベッドに沈み込む。乙女らしからぬ奇声を上げてしまったけど、どうかスルーしてほしい。
「ほんとに、そばにいてくれる……? 父さんみたいにどこにも行かないで、ずっとずっと、俺のそばにいてくれるって、約束してくれる……?」
「うん。指切りげんまんしよう」
「ゆびきり……?」
「絶対に約束やぶらないって誓いを立てるの。手を出して?」
こわごわと差し出された左手の小指に、右手の小指をからめたら、することは決まってるよね。
「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます、ゆーびきったっ!」
「……なにそれ、怖いな、ははっ……」
くしゃっと顔をゆがめたノアが、サファイアの瞳から、ぽろりと涙をこぼした。
「ありがとう、リオ……俺もう、絶対リオから離れないから……俺をひろった責任、取ってよね……っ!」
「ははは、苦しゅうないぞよ」
「リオ……俺のリオ……んん」
ぼろぼろに泣いてるのは、安堵の現れだろう。
甘えたようにほおずりをしてくるノアに、わたしも気分がよくなって、頭をなでなでしてあげていたんだけども。
「……もっと近くにいきたい、リオ……はぁっ」
ふと、気づくことがある。
なんだろう……ノアの呼吸が、荒いような?
そして気のせいでなければ、わたしを至近距離で見下ろすまなざしが、煮つめた砂糖みたいに蕩けているような?
「もう、がまんできないっ……」
はぁはぁと肩で息をするノアが、ベッドで仰向けになったわたしへなだれ込んでくる。
「んむぅっ……」
その直後だった。噛みつくように、唇をふさがれたのは。
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