遠雷の唄

はーこ

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第6話 荒波

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 息を吹き返すように目を覚ますと、真っ暗だった。
 部屋の机に突っ伏して、眠りこけていたらしい。

「……女々しいな、俺。そら愛想もつかされるわ」

 じぶんで言ってて悲しくなってきた。

「だめだ、陰気になる。気分転換しよう」

 そうは思い立っても、趣味らしい趣味はひとつしかない。
 寝ているおばぁを起こさないように、懐中電灯、それから釣り道具を持って、そっと家を出た。
 午前3時。真夜中のことだ。

「…………うん?」

 埠頭ふとうに着き、釣り糸を垂らしてから、しばらく。
 静かな夜の海で、突然魚の飛び跳ねる音がした。
 どこか不思議に思っていると、人の咳のような音も聞こえた。

 ──直後、俺は釣り竿を放り出していた。
 だれかが海に落ちた。そう悟ったからだ。
 懐中電灯であたりを照らすと、3メートルほど下の岸壁に、若い男がしがみついているのが見えた。

「あんた、昼間の……!」

 そこにいたのは、海岸でさわいでいた観光客のひとりだった。

「おい、大丈夫か!」
「……だ、だいじょ、れす……」

 俺の呼びかけに答えるが、ろれつが回っていない。
 酒に酔って、足をすべらせたのか……!

「待ってろ、いま助けて──!」

 海に飛び込もうと体勢を低くした、そのとき。

 ──あんたまで溺れたら、意味ないがね!

 あの日、あのときの言葉が、フラッシュバックした。

(共倒れになったらあかん。相手は子猫やないんや)

 一度冷静になり、どうすべきか、なにが最善か、頭をフル回転させる。

「おい、だれかおらんか、おい!」

 岸壁を懐中電灯で照らしながら、声を張り上げる。

「やっと見つけた!」
「あぁ……なんてこった……!」

 すると、俺の叫びを聞きつけて、昼間いっしょにバーベキューをしていた仲間の2人が駆け寄ってきた。
 うろたえる2人をふり返り、叫ぶ。

「あっちに交番がある! 人呼んでこい!」
「わっ、わかりましたっ!」

 それから釣りの荷物をひっくり返して、見つけたロープですばやく輪っかを作る。
 輪っかと反対の端を足で踏みつけ、海に向かって思いっきり投げ入れた。

(俺ひとりじゃ、この高さは引き上げられん……いや、それでも、つかまえとくことはできる!)

 左手に懐中電灯を持ちかえ、右手にロープをつかむ。

「輪っかをつかんどけ! 大丈夫や、もうすぐみんな来てくれるから、がんばれ! がんばれ!」

 意地でも離さない。もう夢中だった。
 波に飲まれ、ときおり手を離しそうになる若者を明かりで照らし、声をかけ続ける。
 どれくらいそうしていただろう。しばらくして、警官が駆けつけた。

「そこにおるのは……アラシか!」

 美波みなみの父ちゃんだった。

「おっちゃん! すまん、手ぇ貸してくれ!」
「おう、いくで、せぇーのっ!」

 おっちゃんたちと力を合わせて、ロープにつかまった若者を一気に引き上げた。

瀬良垣せらがきさーん、クルマ持ってきたさぁ!」
「すまんのう山城やましろさん! 助かった!」

 そこへ、港の近くに住んでいる漁師のおじぃが駆けつける。
 さわぎを聞きつけ、自家用車を海岸近くまで回してくれていたんだ。

「ボウズども、乗れ! 山城さんが診療所まで連れてってくれる!」
「すみません、ありがとうございます、ありがとうございます……」

 それからはもう、あっという間で。
 おっちゃんが指示を飛ばす光景を、俺はただ、ぼーっとながめるばかりだった。


  *  *  *


 島で唯一の診療所に運ばれた彼は、海水を飲んだものの、幸い命に別状はなかったそうだ。
 朝一番にうちをたずねてきたおっちゃんが、教えてくれた。
「なんね、どういうことね!?」と驚くおばぁに、真夜中の出来事を説明するのは、大変だった。

「お世話おかけしまして、助かりました」

 正直、俺ひとりじゃどうにもできなかった。
 引き上げてからは、気が抜けてほぼ放心状態だったし。

「命あっての物種ですもんね。よかったです」
「お前、大丈夫か?」
「え?」

 俺はどこも怪我してないですけど、と返そうとして、口を閉じた。
 おっちゃんが言おうとしていたのは、そういうことじゃないと気づいたからだ。

「すみません。美波のことで、やかましかったですよね。でも、もう大丈夫です」

 この際だ、白状してしまおう。

「仕事ばっかであいつにかまってやれなかった俺のせいだし……美波が幸せになるなら、俺はもう、いいです」

 いい加減、現実を見なくてはいけない。
 俺が笑ってすませたら、それで終わりだったのに。

「アラシ、ついてこい。……ミナに、会わせてやる」

 重い口を開いたおっちゃんは、悲痛な表情をしていて。

 ──それから間もなく、俺は、すべてを知る。
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