55 / 61
本編
新たな芽吹き㈢
しおりを挟む
──さらり。
穂花は、琥珀の双眸を見開く。
緋色の猫っ毛の、頬を擽る感触に。しっとりと吸いついた薄い唇の、存外やわらかなことに。
「……んっ……」
口づけを、されている。
遅ればせながら理解に至った穂花だが、吐息が咽頭に逆戻るのみで、真意を問うことは叶わない。
「ん……ダメじゃない、あんまり僕の思い通りの反応しちゃ」
「そ、んなこと、言われたって! いきなりキ、キスはひどい! 誰かに見られたらどうするの!」
「ははっ、うぶだね。僕たち、もっと恥ずかしいこと、してるのになぁ?」
「ストップストップ、ストーップ! それ以上はダメーっ!」
決死の思いで制止にかかる。
それさえも頬笑みながら眺める綺羅がどこまで反省しているかは、考えるだけ無駄かもしれない。
「見せつけとけばいいんだよ。誤解させとけばいい。きみと僕が恋人だってね」
「なに言ってるのかな? 私ちょっとわからないなぁ!」
「『教師と生徒』だから格好の餌食になる。『生徒と生徒』なら、まぁよくてそこそこの味でしょ。人間の好奇心とは、ひとときの退屈を潤すものだ。そのうちに、より好みの話題に食いついていくさ」
「それって……」
つまり綺羅は、自分たちが好き合っているという演出をすれば、穂花と朔馬に向けられている『目』を、緩和できる、そう言っている。
「それが、僕を利用しなよってこと。きみにはその術と、権利がある。いいかい、きみは天孫。きみの為すことは、すべてが是だ」
──もっと他人を利用したほうがいいよ。
脈絡のなかった発言が、ここに繋がる。
「同じ生徒なら、オモイカネさんって線もなくはないけど、そこは僕を選んでほしいな」
「どうして……?」
返事は、ない。ただ静かに笑みを深めた綺羅に、右手を取られる。
そうして視線を落とされた手の甲に、そっと、口づけられる。
……どくん。
脈打ったのは、この身体にある心臓か。
すぐに理解できないほど、自分の身体が自分のものではないようだった。
こんなの、知らない。こんな、おとぎ話の王子様に跪かれる、お姫様のような心地は。
一瞬のようにも、永遠のようにも感じられるその最中で、微かに空気が震えた。
いままさに己を苛む少年が、笑みをこぼしたがために。
「やればできるもんだね。さすが僕」
「何が……?」
手の甲にふれていた熱が離れる。
見てごらん、と言われるがままに視線を落として、それから。
「え──」
絶句した。
嘘でしょ、こんなこと……そんな現実逃避は、いまや無意味だ。
綺羅の口づけた右手の甲に、黄色の蕾がふくらんでいる。その事実だけが、意味を持つ。
「綺羅くんっ!」
「僕だってね、ただ意味もなく遅刻してきたわけじゃないよ。下界へ降りる前に、タカミムスビ様にお願いしてきた。僕も、天孫を巡る誓約に、参加させてくださいってね」
「そんなっ……」
「そのためには、きみとの繋がりが必要不可欠だった。だから、てっとり早く僕の血を飲ませたんだよ。きみの中に、僕の神気を刻んだ」
すらすらと紡がれる言葉は、清流のように一切の淀みがない。
故にこそ、綺羅の行動の異様さが、鮮烈なまでに背筋を貫いたのだ。
「これがどういうことか、わかってるの!? 一歩間違えたら、死んじゃうんだよ!」
「承知の上だ」
思わず声を荒らげた穂花とは対照的に、綺羅の返答は凪いでいた。
「我が名は、雷の武神、タケミカヅチ。死すらも、この心を乱すことはできない。そう、何人たりとも──きみという最愛を、失うこと以外は」
「おかしいよ、こんなの……」
「そうだね、どうかしてる。恋ってそういうもんでしょ。諦めて」
すげなく一刀両断しておきながら、にわかに抱き寄せた華奢な腕は、苦しいくらいに力強かった。幾ら泣き叫んでも、離してはくれないだろう。
「でも、これだけは忘れないで、ほのちゃん。この誓約はもう、不毛な死合じゃない。殺し合うことが、僕らの目的じゃないんだ」
椿が咲いた。白菊が咲いた。
青い花は、まだ蕾んだままだけれど……
「きみの慈悲が、愛が欲しい。そのためには命さえ懸けて、全身全霊できみを愛するという意思表示。証なのさ」
つと、視線を上げる。夜空の双眸に浮かんだ稲妻が、煌々と己を捉えている。
「刹那に燃え上がった情愛は、永久に尽きることはない──さぁ、愛を響かせ、奏で合おうか」
今一度、蕾にふれるぬくもり。
あぁ……どうしたって、逃げられない。
稲妻に、撃ち抜かれてしまったのだから。
「きっと灯してみせよう、たまゆらの花篝りを」
穂花は、琥珀の双眸を見開く。
緋色の猫っ毛の、頬を擽る感触に。しっとりと吸いついた薄い唇の、存外やわらかなことに。
「……んっ……」
口づけを、されている。
遅ればせながら理解に至った穂花だが、吐息が咽頭に逆戻るのみで、真意を問うことは叶わない。
「ん……ダメじゃない、あんまり僕の思い通りの反応しちゃ」
「そ、んなこと、言われたって! いきなりキ、キスはひどい! 誰かに見られたらどうするの!」
「ははっ、うぶだね。僕たち、もっと恥ずかしいこと、してるのになぁ?」
「ストップストップ、ストーップ! それ以上はダメーっ!」
決死の思いで制止にかかる。
それさえも頬笑みながら眺める綺羅がどこまで反省しているかは、考えるだけ無駄かもしれない。
「見せつけとけばいいんだよ。誤解させとけばいい。きみと僕が恋人だってね」
「なに言ってるのかな? 私ちょっとわからないなぁ!」
「『教師と生徒』だから格好の餌食になる。『生徒と生徒』なら、まぁよくてそこそこの味でしょ。人間の好奇心とは、ひとときの退屈を潤すものだ。そのうちに、より好みの話題に食いついていくさ」
「それって……」
つまり綺羅は、自分たちが好き合っているという演出をすれば、穂花と朔馬に向けられている『目』を、緩和できる、そう言っている。
「それが、僕を利用しなよってこと。きみにはその術と、権利がある。いいかい、きみは天孫。きみの為すことは、すべてが是だ」
──もっと他人を利用したほうがいいよ。
脈絡のなかった発言が、ここに繋がる。
「同じ生徒なら、オモイカネさんって線もなくはないけど、そこは僕を選んでほしいな」
「どうして……?」
返事は、ない。ただ静かに笑みを深めた綺羅に、右手を取られる。
そうして視線を落とされた手の甲に、そっと、口づけられる。
……どくん。
脈打ったのは、この身体にある心臓か。
すぐに理解できないほど、自分の身体が自分のものではないようだった。
こんなの、知らない。こんな、おとぎ話の王子様に跪かれる、お姫様のような心地は。
一瞬のようにも、永遠のようにも感じられるその最中で、微かに空気が震えた。
いままさに己を苛む少年が、笑みをこぼしたがために。
「やればできるもんだね。さすが僕」
「何が……?」
手の甲にふれていた熱が離れる。
見てごらん、と言われるがままに視線を落として、それから。
「え──」
絶句した。
嘘でしょ、こんなこと……そんな現実逃避は、いまや無意味だ。
綺羅の口づけた右手の甲に、黄色の蕾がふくらんでいる。その事実だけが、意味を持つ。
「綺羅くんっ!」
「僕だってね、ただ意味もなく遅刻してきたわけじゃないよ。下界へ降りる前に、タカミムスビ様にお願いしてきた。僕も、天孫を巡る誓約に、参加させてくださいってね」
「そんなっ……」
「そのためには、きみとの繋がりが必要不可欠だった。だから、てっとり早く僕の血を飲ませたんだよ。きみの中に、僕の神気を刻んだ」
すらすらと紡がれる言葉は、清流のように一切の淀みがない。
故にこそ、綺羅の行動の異様さが、鮮烈なまでに背筋を貫いたのだ。
「これがどういうことか、わかってるの!? 一歩間違えたら、死んじゃうんだよ!」
「承知の上だ」
思わず声を荒らげた穂花とは対照的に、綺羅の返答は凪いでいた。
「我が名は、雷の武神、タケミカヅチ。死すらも、この心を乱すことはできない。そう、何人たりとも──きみという最愛を、失うこと以外は」
「おかしいよ、こんなの……」
「そうだね、どうかしてる。恋ってそういうもんでしょ。諦めて」
すげなく一刀両断しておきながら、にわかに抱き寄せた華奢な腕は、苦しいくらいに力強かった。幾ら泣き叫んでも、離してはくれないだろう。
「でも、これだけは忘れないで、ほのちゃん。この誓約はもう、不毛な死合じゃない。殺し合うことが、僕らの目的じゃないんだ」
椿が咲いた。白菊が咲いた。
青い花は、まだ蕾んだままだけれど……
「きみの慈悲が、愛が欲しい。そのためには命さえ懸けて、全身全霊できみを愛するという意思表示。証なのさ」
つと、視線を上げる。夜空の双眸に浮かんだ稲妻が、煌々と己を捉えている。
「刹那に燃え上がった情愛は、永久に尽きることはない──さぁ、愛を響かせ、奏で合おうか」
今一度、蕾にふれるぬくもり。
あぁ……どうしたって、逃げられない。
稲妻に、撃ち抜かれてしまったのだから。
「きっと灯してみせよう、たまゆらの花篝りを」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本
しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。
関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください
ご自由にお使いください。
イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる