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本編

天界に注ぐ雨㈠

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ㅤさぁさぁと、霧雨が霞を滲ませている。
ㅤ摩訶不思議なことだ。太陽の落ちない高天原たかまがはらにも、雨は降るのか。
 否。この雨の原因は、己のみにある。

「……どうして、こうなっちゃったかなぁ」

ㅤ独りごちったところで、意味などない。わかりきったことだった。
 おかまいなく座り込んだ泥濘に、赤黒い斑模様が音もなく渦を巻く。
 冷たい雨が、疲労に包まれた身へ容赦なく打ちつける。

「……フツ兄様……」

ㅤ雫を滴らせる毛先の間から、ちらと視線を上げる。
 少女がひとり、傘も差さずに佇んで、自分を見下ろしていた。
 曇天下の薄暗い中では、悲しんでいるようにも、憐れんでいるようにも取れるまなざしだった。
 もしかすれば、嫌悪が混じっていたかもしれない。ここは、鉄錆のにおいが酷いから。

「〝仕事〟があるって、言ったよね」
「申し訳、ありません」
「まぁ……いいよ。起きちゃったもんは仕方ないんだし」

ㅤ見渡す限りの森の中、ふたりきり。
 稲妻の気配はなく、雨だけが止まない。
 この状況を、目前の少女はどのように判断するだろう。

「久々に嫌なもん斬っちゃったな……禊したほうがいいか。血は、穢れが強い。きみもおいで」

ㅤ立ち上がり様、剣を濡らしていた血糊を振り払う。
 抑揚に乏しい声音で告げたタケミカヅチの背に、はい、と消え入りそうな呟きがぶつかった。


ㅤㅤ*ㅤㅤ*ㅤㅤ*


ㅤ神のみが住まう天界、それが高天原だ。
 しかしごく稀に、妖が入り込んで来ることがある。
 中でも厄介な悪鬼の類いは、災害や飢饉、流行り病などが起こった際に爆発的な増殖を見せ、下界ではおさまりきらなくなった群れがこちらまで侵入する。

ㅤ今回は命じられるまでもなく、真っ先に討伐へ赴いた。
 数多の異形を斬り伏せ、屠り――そんな折だ。いるはずのない少女の姿を認めたのは。

ㅤ自身の邸に連れ帰り、身を清めさせた。
 生憎、それなりに頭を悩ませて見繕った着物は駄目にしてしまったため、男物の夜着で我慢してもらうほかない。
ㅤ男神の中では華奢な域にあるタケミカヅチではあったが、しずしずと部屋を訪れたニニギの纏う紺青の裾は、少しばかり引きずっているようであった。

「フツ兄様、私はなにか、ご気分を害することでもしましたか」

ㅤ禊の合間に、ニニギも思うところがあったのだろう。
 勧めた長椅子に座ることなく、単刀直入に問うた。

「どうして?」
「私が嫌だと駄々をこねても、まるで聞かないふりで連日押しかけていたあなたが、ぱたりといらっしゃらなくなったからです」
「ニニギちゃんってば、僕がいなくて寂しかったの?」
「誤魔化さないでください」

ㅤあえなく遮られ、はた、と張りつけていた笑みが剥がれ落ちる。

「フツ兄様。私はもう、幼子ではないのですよ」

ㅤ追い討ちのひと言に、諦めにも似た嘆息がこぼれ出た。
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