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本編
安寧となるもの㈢
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「今日は一段とご機嫌斜めだね。寂しかった?」
「…………」
「今夜は僕のところへおいで。いっぱい遊んで、一緒にご飯を食べて、隣で寝てあげる。大丈夫、僕はそばにいるからね」
ㅤ答えはない。それが、答えだった。
ㅤちら、と邸の奥、執務室のほうを一瞥したのみで、タケミカヅチはニニギを危うげなく抱え上げた。
胸許に顔を埋める幼子の丸い背を軽く叩きながら、踵を返す。
「どうして、フツにいさまは……そんなに、いじわるで、おやさしいのですか?」
ㅤニニギは顔を上げない。ただ、問うだけだ。
「優しくなんかないよ。ただまぁ……そうだな。きみが、可愛くて可愛くてしょうがないから。ちいさい子は、特別可愛いね」
ㅤ遊び相手を買って出ているのは、己の傲慢だ。
このところオモイカネの執務が立て続き、なにかを堪えるように虚空を見つめる幼子の傷心に、漬け込んでいるだけ。
「そうですか。こどもはみんな、かわいいんですね」
ㅤなにも知らない箱入り娘の、何気ない呟きだった。
けれど、どうしてだろう。なにかを見透かされたような気がするのは。
ㅤ――子供は、みんな?
ㅤ胸の中で反芻するも、自問に対する返答を持ち合わせてはいなかった。導き出すことも叶わなかった。
たしかな困惑が、ただただ己の中に在った。
ㅤㅤ*ㅤㅤ*ㅤㅤ*
ㅤ上等な茶葉や菓子が手に入った。土産には充分な代物だろう。
近頃は稀に見る忙しさで足が遠退いていただけに、久方ぶりの邸へと向かう足取りは軽かった。
あぁそうだ。着物や簪も忘れないようにしなければ。
ㅤそうして意気揚々と訪れた邸にて、なにもかもが崩れ落ちる。
青天の霹靂。雷に撃たれたかのよう……などと、仮にも雷を司る神が、情けない。
「ご安心くださいませ、お兄様。私が、お力になりますから……」
ㅤ愛しの少女は、美しい頬笑みを浮かべて、そこにいた。
しかしながら、それを向けられるのは自分ではない。
しばし思考停止し、にわかな衝撃を受けていた事実に、再度胸がざわめく。
逃げるように身を滑り込ませた柱の影で、漏れ聞こえた会話の断片を掻き集める。
ㅤアメノワカヒコが討たれたらしい。ほかでもない、この高天原に反旗を翻した罪を問われて。
ㅤ特別親しい仲でもなかった。馬鹿なことをする。
聞き分けよく命に従っていれば、平穏に暮らせただろうに。
出る涙もなく、所詮他人事でしかなかった。
ㅤけれども、オモイカネはどうだろうか。
かの神を信頼し、故にこそ中津国へ送り出した当人は。
ㅤ寄り添う男女が、脳裏に焼きついて離れない。
ニニギは美しくなった。だからこそ、着物と簪を見繕ってきたというのに……また一段と、美しくなっていたのだ。点と点が繋がる。
ㅤオモイカネのことは嫌いではない。だがいまは無性に、妬ましく思う。
無意識に胸を掻きむしっていて、衣一枚を隔てた向こう側に燻る、仄暗い感情の存在に、そのとき初めて気がついた。
「ははっ……そっかぁ……そうなんだ」
ㅤなんと滑稽なのだろう。かつてたどり着けなかった答えを、いまになって導き出すことになろうとは。
可笑しくて可笑しくて、嗤いが止まらなかった。
嘲笑に呼応するかのように、手中でばちりばちりと火花が爆ぜ、華やかな着物や簪をたちまち炭へと変えた。
「…………」
「今夜は僕のところへおいで。いっぱい遊んで、一緒にご飯を食べて、隣で寝てあげる。大丈夫、僕はそばにいるからね」
ㅤ答えはない。それが、答えだった。
ㅤちら、と邸の奥、執務室のほうを一瞥したのみで、タケミカヅチはニニギを危うげなく抱え上げた。
胸許に顔を埋める幼子の丸い背を軽く叩きながら、踵を返す。
「どうして、フツにいさまは……そんなに、いじわるで、おやさしいのですか?」
ㅤニニギは顔を上げない。ただ、問うだけだ。
「優しくなんかないよ。ただまぁ……そうだな。きみが、可愛くて可愛くてしょうがないから。ちいさい子は、特別可愛いね」
ㅤ遊び相手を買って出ているのは、己の傲慢だ。
このところオモイカネの執務が立て続き、なにかを堪えるように虚空を見つめる幼子の傷心に、漬け込んでいるだけ。
「そうですか。こどもはみんな、かわいいんですね」
ㅤなにも知らない箱入り娘の、何気ない呟きだった。
けれど、どうしてだろう。なにかを見透かされたような気がするのは。
ㅤ――子供は、みんな?
ㅤ胸の中で反芻するも、自問に対する返答を持ち合わせてはいなかった。導き出すことも叶わなかった。
たしかな困惑が、ただただ己の中に在った。
ㅤㅤ*ㅤㅤ*ㅤㅤ*
ㅤ上等な茶葉や菓子が手に入った。土産には充分な代物だろう。
近頃は稀に見る忙しさで足が遠退いていただけに、久方ぶりの邸へと向かう足取りは軽かった。
あぁそうだ。着物や簪も忘れないようにしなければ。
ㅤそうして意気揚々と訪れた邸にて、なにもかもが崩れ落ちる。
青天の霹靂。雷に撃たれたかのよう……などと、仮にも雷を司る神が、情けない。
「ご安心くださいませ、お兄様。私が、お力になりますから……」
ㅤ愛しの少女は、美しい頬笑みを浮かべて、そこにいた。
しかしながら、それを向けられるのは自分ではない。
しばし思考停止し、にわかな衝撃を受けていた事実に、再度胸がざわめく。
逃げるように身を滑り込ませた柱の影で、漏れ聞こえた会話の断片を掻き集める。
ㅤアメノワカヒコが討たれたらしい。ほかでもない、この高天原に反旗を翻した罪を問われて。
ㅤ特別親しい仲でもなかった。馬鹿なことをする。
聞き分けよく命に従っていれば、平穏に暮らせただろうに。
出る涙もなく、所詮他人事でしかなかった。
ㅤけれども、オモイカネはどうだろうか。
かの神を信頼し、故にこそ中津国へ送り出した当人は。
ㅤ寄り添う男女が、脳裏に焼きついて離れない。
ニニギは美しくなった。だからこそ、着物と簪を見繕ってきたというのに……また一段と、美しくなっていたのだ。点と点が繋がる。
ㅤオモイカネのことは嫌いではない。だがいまは無性に、妬ましく思う。
無意識に胸を掻きむしっていて、衣一枚を隔てた向こう側に燻る、仄暗い感情の存在に、そのとき初めて気がついた。
「ははっ……そっかぁ……そうなんだ」
ㅤなんと滑稽なのだろう。かつてたどり着けなかった答えを、いまになって導き出すことになろうとは。
可笑しくて可笑しくて、嗤いが止まらなかった。
嘲笑に呼応するかのように、手中でばちりばちりと火花が爆ぜ、華やかな着物や簪をたちまち炭へと変えた。
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