上 下
49 / 61
本編

安寧となるもの㈢

しおりを挟む
「今日は一段とご機嫌斜めだね。寂しかった?」
「…………」
「今夜は僕のところへおいで。いっぱい遊んで、一緒にご飯を食べて、隣で寝てあげる。大丈夫、僕はそばにいるからね」

ㅤ答えはない。それが、答えだった。
ㅤちら、と邸の奥、執務室のほうを一瞥したのみで、タケミカヅチはニニギを危うげなく抱え上げた。
 胸許に顔を埋める幼子の丸い背を軽く叩きながら、踵を返す。

「どうして、フツにいさまは……そんなに、いじわるで、おやさしいのですか?」

ㅤニニギは顔を上げない。ただ、問うだけだ。

「優しくなんかないよ。ただまぁ……そうだな。きみが、可愛くて可愛くてしょうがないから。ちいさい子は、特別可愛いね」

ㅤ遊び相手を買って出ているのは、己の傲慢だ。
 このところオモイカネの執務が立て続き、なにかを堪えるように虚空を見つめる幼子の傷心に、漬け込んでいるだけ。

「そうですか。こどもはみんな、かわいいんですね」

ㅤなにも知らない箱入り娘の、何気ない呟きだった。
 けれど、どうしてだろう。なにかを見透かされたような気がするのは。

ㅤ――子供は、みんな?

ㅤ胸の中で反芻するも、自問に対する返答を持ち合わせてはいなかった。導き出すことも叶わなかった。
 たしかな困惑が、ただただ己の中に在った。


ㅤㅤ*ㅤㅤ*ㅤㅤ*


ㅤ上等な茶葉や菓子が手に入った。土産には充分な代物だろう。
 近頃は稀に見る忙しさで足が遠退いていただけに、久方ぶりの邸へと向かう足取りは軽かった。
 あぁそうだ。着物や簪も忘れないようにしなければ。

ㅤそうして意気揚々と訪れた邸にて、なにもかもが崩れ落ちる。
 青天の霹靂。雷に撃たれたかのよう……などと、仮にも雷を司る神が、情けない。

「ご安心くださいませ、お兄様。私が、お力になりますから……」

ㅤ愛しの少女は、美しい頬笑みを浮かべて、そこにいた。
 しかしながら、それを向けられるのは自分ではない。
 しばし思考停止し、にわかな衝撃を受けていた事実に、再度胸がざわめく。
 逃げるように身を滑り込ませた柱の影で、漏れ聞こえた会話の断片を掻き集める。

ㅤアメノワカヒコが討たれたらしい。ほかでもない、この高天原たかまがはらに反旗を翻した罪を問われて。

ㅤ特別親しい仲でもなかった。馬鹿なことをする。
 聞き分けよく命に従っていれば、平穏に暮らせただろうに。
 出る涙もなく、所詮他人事でしかなかった。
ㅤけれども、オモイカネはどうだろうか。
 かの神を信頼し、故にこそ中津国なかつくにへ送り出した当人は。

ㅤ寄り添う男女が、脳裏に焼きついて離れない。
 ニニギは美しくなった。だからこそ、着物と簪を見繕ってきたというのに……また一段と、美しくなっていたのだ。点と点が繋がる。

ㅤオモイカネのことは嫌いではない。だがいまは無性に、妬ましく思う。
 無意識に胸を掻きむしっていて、衣一枚を隔てた向こう側に燻る、仄暗い感情の存在に、そのとき初めて気がついた。

「ははっ……そっかぁ……そうなんだ」

ㅤなんと滑稽なのだろう。かつてたどり着けなかった答えを、いまになって導き出すことになろうとは。
 可笑しくて可笑しくて、嗤いが止まらなかった。
 嘲笑に呼応するかのように、手中でばちりばちりと火花が爆ぜ、華やかな着物や簪をたちまち炭へと変えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

女ハッカーのコードネームは @takashi

一宮 沙耶
大衆娯楽
男の子に、子宮と女性の生殖器を移植するとどうなるのか? その後、かっこよく生きる女性ハッカーの物語です。 守護霊がよく喋るので、聞いてみてください。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

処理中です...