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本編

安寧となるもの㈡

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「どうかしたか」
「どうしたもなにも、扉の前になんか珍妙な生き物が転がってたんですけど!」

ㅤ珍妙、と復唱したとき、ふと、声を荒らげるタケミカヅチの右の小脇に、なにかが抱えられていることに気づく。
 いや、なにかというか、あれは間違えようもなく。

「珍妙で悪かったな。俺の姪だ」
「姪……!?」
「おじさま~」
「お兄さま」
「おにいさま!」
「よしいい子だ。で、どうしたんだ、ニニギ」
「おしごと、まだですか?」
「……あぁ、もう八ツ時か。ちょうどいい、一息つくとするか。ニニギ、こっち来い。茶を淹れてやろうな」
「やった~!」

ㅤすとん。とてとて、ぽふり。珍妙な生き物もといニニギが、腕から抜け出し、オモイカネへ駆け寄る。
 本人に自覚はないようだが、あの強靭な仏頂面がしまりなく緩む光景に、流石のタケミカヅチも戦慄した。

「姪……オモイカネさんの、姪……ぜんっぜん似てない……」
「どういう意味だコラ」
「だってこれ、ホントあり得ないって……」

ㅤ予想外の衝撃は、目眩をも引き起こすらしい。

「わぁ!ㅤおつかれですか?ㅤおにいさんも、おやつ、たべますか?」

ㅤふらつき、壁へもたれかるタケミカヅチ。
 ぎょっと飛び跳ねて駆け寄ってきた幼子は、潤む瞳で少年を案じていた。
 その純粋な輝きに、タケミカヅチの中の崩れてはいけないなにかが崩壊する。

「超かわいすぎるんですけどぉ~っ!」
「ふぎゅっ!」
「はぁぁ……手足短い、ほっぺふにふに……ねぇきみ、マジでなんなの……かわいいかわいいかわいい……」
「おいタケミカヅチ!ㅤニニギが潰れる、離せ!」

ㅤ滅多なことでは取り乱さない。そんな神が我を忘れたとき、どうなるのか。答えは簡単。止められない。
ㅤ無我夢中でニニギを掻き抱くタケミカヅチが、力ずくで引き剥がしにかかったオモイカネの説教を食らうことになるのは、すぐ後の話。


ㅤㅤ*ㅤㅤ*ㅤㅤ*


ㅤタケミカヅチは上機嫌だった。かの神を見知った者が、目を疑うほどに。
 件の軍神は、今日も勝手知ったる我が家のごとく、オモイカネの邸を闊歩する。

「ニーニーギちゃん、みーっけ」
「きゃあ~!」
「あはは!ㅤ見つかっちゃったねぇ。ざーんねん」

ㅤ物言わぬ土人形のみが行き交う回廊にて、柱の影に小柄な身を忍ばせ、きょろきょろと見当違いの方角を警戒する幼子の、なんといじらしいことだろうか。
 気配を消すことは得意中の得意分野とはいえ、得も言われぬ感情が燃え上がり、暴れ回る。
 まるで、胸中に龍でも飼っているかのよう。

ㅤけれども、力加減を見誤ってはならない。
 知恵の神でこそないが、タケミカヅチにも学習能力は充分に備わっていた。
 歩み寄る足取りは性急に。包み込む腕は羽根のように。
 そうして待ちわびた少女との対面に、歓喜に、全身の震えを抑えられない。

「フツにいさまの、ばかぁ!」
「あれ、言うようになったね。お仕置きをしなきゃいけないのは、この口かな」
「だんこ、きょぜつします!ㅤじょせいには、やさしくすべきです!ㅤみくびらないでください!」
「難しい言葉知ってるんだねぇ。お勉強したの?ㅤえらいねぇ」
「すぐいじわるするぅ!ㅤフツにいさまは、おやつぬきです!」
「あはは、ごめんごめん」

ㅤきゃいきゃいと短い手足をばたつかせるニニギに、悪びれもなく謝りながら、それでも腕の中から逃がしてはやらない。

豊布都トヨフツ建布都タケフツ――様々な名称を持って久しいが、肝心な建御雷タケミカヅチの名で呼んではくれない。
 このひねくれ具合、オモイカネさんの影響かなぁ、とちょっぴり寂しく思うのは、秘密である。
 ただ、純粋なニニギが素直でなくなるのは、自分相手に限ったこと。自分だけなのだ。
 そう考えると特別になれたようで、嬉しくもある。
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