40 / 61
本編
緋を駆ける竜㈠
しおりを挟む
昼下がりの保健室は、静かなものである。
「高千穂先生って、葦原さんと仲がいいですよね」
一瞬の思考停止。そして、成程、という状況把握。
耳にたこが出来るほど投げかけられた言葉への対応は、すでに心得ている。
「僕のような新米でも、頼りにしてもらって、嬉しいことですね」
これでも、精一杯口調を崩しているつもりだ。
父に仕込まれた天孫の花婿として恥じぬ振る舞いは、現代日本において異彩を放つだけ。
「ふぅん」
要領を得た返答であったか否かは、腕を組んでパイプ椅子にもたれる少年が、窓ガラスに視線を向けていることから、窺い知ることが困難だ。
彼はふらりと野良猫のごとくやってきて、6時限目開始のチャイムを他人事のように聞き流した。
それから、早10分ほど経つ。
月にひと枠任せられている保健室便りを書き上げられさえもしない短時間に、初対面も同然な少年の人となりを、見極められるはずもなく。
「まぁ、お人好しなのは認めます。最初はどうしたものかと思ったけど、日和見主義やめたのは、よくできました、ですよね。花丸あげてもいいくらい」
そこで、とうとうパソコン画面からも意識を外して、抑揚に乏しい声音の主を振り返りざるを得なくなる。
やけに、知ったふうな口をきくものだ。
たしかに穂花の口から名前を聞いたことはあれども、少年――綺羅との接点は、あくまで一クラスメイトの範疇に留まっていたはずでは。
「〝彼女のなにを知っているんだ〟……って?」
「――!」
「ふふ……先生って、案外わかりやすいんですね。特に相手が男だと。そんな顔もできるんだぁ」
我に返ったときすでに、いつの間にか窓から視線を外していた少年が、ゆるりと口角を上げて笑んでいた。
やってしまったと気づいたところで、唇を噛むことしかできない。
羨望や嫉妬の混ざった女子生徒のあしらい方は学べていても、彼のように野次馬根性ではない、純粋に愉しむような、なにかを見透かした優越のまなざしは、はじめてだ。
「おいたが過ぎますよ、雨宮くん」
争いは好きではない。しかしこの身の根底には、男の矜持というものが存在している。
愛しいひとのために、凛然と声音を張らねばならない。いまがそのときだ。
「あぁ、怒らせちゃいました? すみません」
くつくつと喉の奥を鳴らす綺羅に、悪びれた様子などあるものか。
堪らず言い募ろうとしたサクヤはしかし、言の葉を紡げない。
「でも、折角なので。――僕は彼女のことを知っている。きみよりもずっとよく、ね――コノハナサクヤヒメ」
声が、やけに近くに在る。
いや、比喩ではない。
「……な」
……いつだ。いつからだ。
窓のそばに座っていた彼が、反射的に振り仰いだ先で自分を見下ろしているのは、あと一歩までに詰められた距離は、一体いつから。
身を引こうにも、四肢が言うことをまるで聞かない。
視界を占めるは、鮮やかな緋色の絹糸。
それは、足音もなくやってきた黄昏。逢魔ヶ時。
「一瞬だ。たったの一瞬さえあれば、僕は、きみの首を斬り落とすことができる」
「……っ!?」
「きみは優しい。戦場に、それは要らない」
つ……と、皮膚越しに頸動脈を横切る指先。
断頭の軌道を彷彿とさせるそれは、恐怖を超越した、言語では形容し難い感情をもたらす。
「あんまり失望させないでもらえるかな。きみがそんなだと、あの子を僕のところへ返してもらわないといけなくなる。っていうか、あーあ。思い返して悲しくなってくる。オモイカネさんなんかよりよっぽど可愛がってあげてたのに、いつの間にかオモイカネさんばっかに懐いてるし。ホント罪なお姫様だよ、ねぇ?」
「――ッ!!」
まつげに縁取られた瞳を向けられた刹那、ぶわり、全身の肌が粟立つ。
――これは、まずい。
無我夢中だった。本能の知らせるまま、張り詰めた空気に身を躍らせる。
ひらひら、はらはら。
薄桃色の花弁が舞う。ふわりと浮いた一瞬後、足は地に着く……はずが、床を捉え損ね、膝から崩れ落ちた。
「っ……はぁっ、はぁっ!」
ぱさり。桜色の袖が、裾が、力なく床に広がる。
幾度となく肩で息を繰り返しても、呼吸が整わない。
依然として、床にふれた手足も動かず。
まるで、凄まじい磁力によって引きつけられているようで。
「高千穂先生って、葦原さんと仲がいいですよね」
一瞬の思考停止。そして、成程、という状況把握。
耳にたこが出来るほど投げかけられた言葉への対応は、すでに心得ている。
「僕のような新米でも、頼りにしてもらって、嬉しいことですね」
これでも、精一杯口調を崩しているつもりだ。
父に仕込まれた天孫の花婿として恥じぬ振る舞いは、現代日本において異彩を放つだけ。
「ふぅん」
要領を得た返答であったか否かは、腕を組んでパイプ椅子にもたれる少年が、窓ガラスに視線を向けていることから、窺い知ることが困難だ。
彼はふらりと野良猫のごとくやってきて、6時限目開始のチャイムを他人事のように聞き流した。
それから、早10分ほど経つ。
月にひと枠任せられている保健室便りを書き上げられさえもしない短時間に、初対面も同然な少年の人となりを、見極められるはずもなく。
「まぁ、お人好しなのは認めます。最初はどうしたものかと思ったけど、日和見主義やめたのは、よくできました、ですよね。花丸あげてもいいくらい」
そこで、とうとうパソコン画面からも意識を外して、抑揚に乏しい声音の主を振り返りざるを得なくなる。
やけに、知ったふうな口をきくものだ。
たしかに穂花の口から名前を聞いたことはあれども、少年――綺羅との接点は、あくまで一クラスメイトの範疇に留まっていたはずでは。
「〝彼女のなにを知っているんだ〟……って?」
「――!」
「ふふ……先生って、案外わかりやすいんですね。特に相手が男だと。そんな顔もできるんだぁ」
我に返ったときすでに、いつの間にか窓から視線を外していた少年が、ゆるりと口角を上げて笑んでいた。
やってしまったと気づいたところで、唇を噛むことしかできない。
羨望や嫉妬の混ざった女子生徒のあしらい方は学べていても、彼のように野次馬根性ではない、純粋に愉しむような、なにかを見透かした優越のまなざしは、はじめてだ。
「おいたが過ぎますよ、雨宮くん」
争いは好きではない。しかしこの身の根底には、男の矜持というものが存在している。
愛しいひとのために、凛然と声音を張らねばならない。いまがそのときだ。
「あぁ、怒らせちゃいました? すみません」
くつくつと喉の奥を鳴らす綺羅に、悪びれた様子などあるものか。
堪らず言い募ろうとしたサクヤはしかし、言の葉を紡げない。
「でも、折角なので。――僕は彼女のことを知っている。きみよりもずっとよく、ね――コノハナサクヤヒメ」
声が、やけに近くに在る。
いや、比喩ではない。
「……な」
……いつだ。いつからだ。
窓のそばに座っていた彼が、反射的に振り仰いだ先で自分を見下ろしているのは、あと一歩までに詰められた距離は、一体いつから。
身を引こうにも、四肢が言うことをまるで聞かない。
視界を占めるは、鮮やかな緋色の絹糸。
それは、足音もなくやってきた黄昏。逢魔ヶ時。
「一瞬だ。たったの一瞬さえあれば、僕は、きみの首を斬り落とすことができる」
「……っ!?」
「きみは優しい。戦場に、それは要らない」
つ……と、皮膚越しに頸動脈を横切る指先。
断頭の軌道を彷彿とさせるそれは、恐怖を超越した、言語では形容し難い感情をもたらす。
「あんまり失望させないでもらえるかな。きみがそんなだと、あの子を僕のところへ返してもらわないといけなくなる。っていうか、あーあ。思い返して悲しくなってくる。オモイカネさんなんかよりよっぽど可愛がってあげてたのに、いつの間にかオモイカネさんばっかに懐いてるし。ホント罪なお姫様だよ、ねぇ?」
「――ッ!!」
まつげに縁取られた瞳を向けられた刹那、ぶわり、全身の肌が粟立つ。
――これは、まずい。
無我夢中だった。本能の知らせるまま、張り詰めた空気に身を躍らせる。
ひらひら、はらはら。
薄桃色の花弁が舞う。ふわりと浮いた一瞬後、足は地に着く……はずが、床を捉え損ね、膝から崩れ落ちた。
「っ……はぁっ、はぁっ!」
ぱさり。桜色の袖が、裾が、力なく床に広がる。
幾度となく肩で息を繰り返しても、呼吸が整わない。
依然として、床にふれた手足も動かず。
まるで、凄まじい磁力によって引きつけられているようで。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本
しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。
関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください
ご自由にお使いください。
イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる