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本編

絡繰蝋人形㈡

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「お面は、やっぱりつけてないんだね」
「えぇ。この面に限っては人の目にふれませんが、肌身離さず持ち歩いております。面なくして、神体へ戻ることは叶いませぬから」
「お面は、見えない……どういうこと……?」

 べにがおもむろに手を伸ばす先は、紺青のカーディガン。
 その右ポケットから取り出された小振りの面こそ、件の狐だ。紅玉のまなざしが落とされたそこへ、ほのも釘付けとなる。

「蝋人形の身体が、人目にふれるうつしのモノ。対して、狐の面が、こいつの神気を宿したかくりのモノだ。面をつける、つまり再び神気の刺激を受けることで、元の姿に戻れる仕組みになってる。言わばスイッチみたいなもんか」
「へぇ、すごいね!」
「そうでもないぞ。生物でもなんでもない蝋人形に、魂を突っ込んだんだ。この姿だと人目にふれることは可能だが、できることにかなりの制約がある」
「制約……お人形だから、ご飯が食べられない、とか?」
「あぁ。その点については、元々こいつが食事を必要としない神だし、重要視はしていない。特に不便なのは、神気を扱えないことか。お得意の癇癪を起こしたところで、ご自慢の炎をぶっ放すなんてことができない」
「心外ですな。神気ばかりに頼るわたしではございません。なんのために、血反吐を吐く思いで武術を心得たとお思いか。たとえ人の身以下に成り下がったとて、我が偉大なる師に手解き頂いた剣の腕は、微塵も鈍ってはおりませぬ」
「おまえの剣がどれだけ優れてようが、現代日本の銃刀法って法律の壁には、太刀打ちできねぇから」

 真知まちの言葉はにべもないが、真理である。
 当然ながら未だ神としての意識の強い紅であるから、己の心の平穏のためにも、ごく一般的な人間の感覚を学んでもらわなければならない。
 そうだな、まずは、おまわりさんのご厄介にならない程度に。

「成程、承知致しました。鞘で殴るのはよろしいと」
「駄目だっつってんだろ脳筋」

 道のりは、果てしなく困難のようだが。

「えーっと、なんとなくわかってきたところで悪いんだけど、そもそもの質問いいかな?」
「勿論ですとも。なんなりと」
「紅がここまでする理由が、わかんないなぁ……って。術が使えないのもそうだし、話聞いてると、神様のときより、圧倒的にできないことのほうが多いみたいだから……不便じゃない?」

 そろりと右手を挙手して問う穂花に、顔を見合わせる紅と真知。
 三拍の後、二者二様に破顔した。

「えっ、なに? いまの笑い所? 真面目な質問だったのに!」
「いや、穂花らしいと思ってな」
「えぇ、えぇ。わたしの問題であるのに、まるでご自分のことのようにお考えなさって、ほんにお優しい御方です」

 つい先程まで口喧嘩をしていたかと思えば、互いに心得たように同意を示して。
 こうして紅と真知が頬笑みかけてくるときは、決まって居たたまれなくなる。

「〝そばでお守りしたい〟というのは、実に綺麗な表現です」
「綺麗……?」
「然り。言葉が届かぬのは、術を行使できぬこと以上に歯痒い。この身を得て、わたしは人と目を合わせられるようになった。言葉を交わせるようになった。これで気兼ねなく、貴女様がわたしのものであると、声高に主張できるというもの」
「へっ!?」
「気に入った人の子を神隠ししてしまうように、神とは本来、高慢で強欲なものなのです。人目にふれてこそ成せるのであれば、そこに至るまでの不利益など、取るに足りませぬ」
「え……えぇと、つまり」
「〝さくの弟〟であり、〝幼なじみのひとりであるたか千穂ちほ 紅〟が、貴女様を取り巻く一切の緩衝材となりましょう。わたしにお任せくださいまし」
「紅……!」
「ふふ……覚悟致せ、人間共。うぬらの独擅場はしまいじゃ。これより我が細君に仇なす不届き者は、わたしが葬ってくれようぞ……はははは!」
「その一言がなければ、最高だった」

 どこの悪者よ、とツッコミたくなる紅の高ら笑いに、穂花は新たなる悟りを開く。
 言ってることはともかく、やってることはありがたい。
 手綱を握れば、大丈夫。たぶん。そうやって自分を落ち着かせる。

 そのうちに、紅が手際よく食事の支度をととのえ、弁当箱の蓋を開けては、「なにをお召し上がりになりますか?」と小首を傾げた。
 いや、あの、まずはお箸……と喉のそこまで出かかったところで、やめた。不気味なほどにこにこと笑みを浮かべた紅が、そう簡単に右手の箸を手離すなど、考えられないためだ。

 色々と悟った末に「……卵焼きください」と絞り出す。
 甲斐甲斐しい神が、手ずから口に運んでくれた絶妙なひとくちサイズの切れ端は、苦々しい口内で、悔しいかな、ふんわり、ほんのり、甘く香るのだった。
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