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本編

言霊の温度㈡

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「なんとなく顔を合わせづらくなっちゃってさ、思わず、ひとりで帰っちゃったの。そしたらさくが、ものすごい形相で仕事終わらせてきて」
「だろうな」
「……色々言われてるの、たぶん気づいてたと思うんだよね。でもさくのことだから、気を遣って、無理には訊かないでくれたんだ」
「まったくおまえらは、器用なんだか不器用なんだか」
「返す言葉もないです……」

 近すぎるゆえに遠い、とでも言おうか。
 サクヤがなにを思っているのかはなんとなくわかるのに、自分がどうすべきなのかが、とんとわからないのだ。

「気を遣うのは百歩譲ってよしとしてもだ、おまえら、慎重すぎやしないか?」
「……そう?」
「思うところがあるなら、洗いざらい吐いたほうが楽になるぞ」

 やはり、真知まちは誤魔化せない。
 真摯な鼈甲飴の双眸を前にして逃げられないことを悟り、逡巡ののち、観念した。

「花が……青い花が、半分しか、咲かなくて」
「……おう」
「さく……なにも言わなかったから。私もなにも訊かないほうがいいかなって、思って」
「サクヤが訊かなかったように、か」
「うん……それで、さくはべにのそばにいるって言ってたから……いまさくと一緒にいるべきなのは、紅なんだと思う」
「……なるほどな」

 相槌を打つ真知は、その先を求めなかった。

 広い手のひらがうつむく頭にふれ、そのまま、引き寄せられる感触。
 肩にもたれさせられたのだと、まばたきを繰り返して理解する。

「いいかほの、この世に起こるすべては、あって然るべきもの、必然だ」
「必然……」
「そう。既定伝承アカシャに記されたもの。天命に定められたもの」
「さくの花が、半分しか咲かなかったことも……?」
「あぁ。はじめ俺の花が咲かなかったように〝必要なこと〟だった。サクヤはいま、乗り越えなければならない問題と直面している。それはきっと、あいつ自身がどうにかしなきゃいけないことだ」
「私じゃ、力になれないのかな……」
「頼むから、自分は無力だとか思ってくれるなよ。そうやって穂花が滅入ってるほうが、一番堪えちまう。それは、サクヤだけじゃない」

 なにもかもを、見透かした言葉だった。
 それなのに息苦しくないのは、頭を撫で、髪を梳く指先の穏やかさと、耳朶に溶ける声音の温かさがあるから。

「おまえは友だちがいないことコンプレックスみたいに思ってるけど、大事なのは、たくさんの誰かに囲まれることじゃない。本当に辛いとき、誰がそばにいてくれたかだ」
「っ……!」
「穂花は、俺のそばにいてくれただろう。おまえが何気なくしてくれたことが、どれだけ俺を救ったことか。特別なことは必要ないんだ。ただ、そばにいてやれ。それだけで、サクヤも踏ん張れる」
「……まち、くっ……!」

 ――もしこのまま、花が満開に咲かなかったら。

 最悪の事態が脳裏をよぎった。
 不安で不安で仕方ないのに、誰に相談することもできなくて。

「穂花が安心するための知恵なら、いくらだって貸してやる。大丈夫だ」

 けれど、心細い胸の内を、真知が気づいてくれたから。

「……ありが、と」

 ――私はまだ、頑張れる。

 ほどかれゆく心の中で、そっと、言霊にしてみた。
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