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本編

滲む水無月㈡

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 さぁさぁ、と。

 葉桜を散らした霧雨が、まだ目覚めきれない街を鈍色に滲ませる。
 桃色に、水色に。淡く色づく紫陽花の通学路にて透明な傘を花開かせた穂花ほのかのかたわらに、影がひとつ、ふたつ。

「寒くない? もっとこっち来ていいよ、さく」
「穂花はお優しいですね。では……お言葉に甘えまして」

 花のかんばせをほころばせて、可憐な神がぴたりと肩を寄せてきた。
 普段控えめなサクヤであるだけに、素直に甘えられる今朝は、なんだかこそばゆかった。照れ隠しに、一歩先ではしゃぐあおへと視線をやる。

 登校する穂花に付き添うのは、サクヤと蒼。朝食時に姿の見えなかったサクヤは、本日の勤務の支度をしていたらしい。
 いまこうして神体でいるのは、朔馬さくまと登校するとあらぬ誤解を招きかねないという、配慮のためだ。

「不思議だね。まちくんは学校に馴染んでるけど、さくたちは普通の人には見えないなんて」
「神体を宿す朔馬のような魂依代たまよりしろがあれば、神も常人の目にふれることができます。ただ、オモイカネ様は優れた神気をお持ちでいらっしゃいますので、器がなくとも人の姿を模すことが可能なのです」
「へぇ、まちくんってやっぱすごいんだぁ……」
「えぇ。天津神様の中でも、特に高位の方々しか成し得ぬ業です」

 その真知まちは、なにやら用事ができたとかで、昨日から高天原たかまがはらへ戻っている。
「あの馬鹿が……」と渋い顔で漏らしていたから、おそらくアマテラス関連のことだろう。

 人の目にふれないのをよいことに、いつもならそばを離れない紅も、今朝に限っては穂花の供を弟と使い魔に譲った。
 真知同様に用事ができたと。なんでも、昔お世話になった方に会いに行くのだとか。

「いやぁ、べにもまちくんも、人付き合い? 神付き合い? があっていいよね。私も友達作らなきゃ……切実に……」
「あおがいるよっ! ねーさまっ!」

 心優しい神や妖が元気づけてくれるけれど、人間社会という枠組みの中では、圧倒的弱者に分類される自分だ。己のためにも、心を鬼にして臨むべし。

「私は貴女様の伴侶でございますので、友にはなれませんが……」
「そ、そうだね」
「及ばずながら応援していますよ、穂花」
「もう、その気持ちだけで充分! ありがとう、さく!」

 曇天の下で、いじらしい桜の蕾は花開く。

 どこか寂しげな声音は、しとしとと降り続く雨音がくぐもらせていった。
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