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本編
鶯の鳴く夕㈠
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「――ということで、大事を取って、穂花には、お部屋で安静にして頂いております」
時分は黄昏時。淡く茜を帯びた居間にて、三柱が膝をつき合わせている。
腕組みをして耳を傾けていたそのうちの一柱、知恵の神たる青年が、神妙な面持ちで口を開く。
「成程、ついに俺の子が出来たか」
「黙らっしゃい。そのお耳は飾りなのですか? 穂花は疲労の為に休養なされているのです。どなた様の所為かは知りませぬがな」
すぐさま異議を申し立てる草笛の音色。容赦なくねめつける紅玉のまなざしを見据え、真知は鼻を鳴らした。
「褥を共に出来ないやつのひがみだな」
「連日のようにところ構わず求めるような節操なしには言われたくありませぬな。発情期の雄犬じゃあるまいに」
「あ? おまえこそこの数千年かけて何千回と抱いてきたんだろうが。よく言うぜ」
「失礼な。わたしを孕ませたがりのケダモノとでもお思いか。きちんと愛を込めて、百八回です!」
「煩悩の数じゃねぇか!」
「愛の数です!」
「ドヤるな!」
「兄上、オモイカネ様、どうかお静かに……! 穂花が起きてしまいます」
サクヤの仲裁を受け、渋々引き下がる両者。穂花という単語に弱いのは、総じて然りらしい。
紅は行儀よくそろえた膝に嘆息をこぼしながら、「まぁ」とはじめのひと言。
「オモイカネ殿の花が咲いたのならば、あとはサクヤのみですな。この点については、心配は無用でしょうが」
「そう……でしょうか?」
別段驚いた様子もなく真知が無言の同意を示す最中、瞳を白黒させたのは、サクヤ本人である。
「まだおまえが穂花と出会って間もなかったころ、少なくとも誓約の翌朝は、青い蕾は硬く閉ざされていた」
「それが、俺と穂花が想いを交わして高天原から戻ってきたころには、ほころんでたんだ。あの様子じゃ、五分咲きくらいにはなってる」
「五分咲き……」
「元々ニニギ様の夫であったのは、この中でおまえのみじゃ。穂花もおまえに心を赦しておられる」
「男女の契りなくしてこれなら、じきに花も満開になるだろう」
誓約は成功する。
事実上、二柱の太鼓判を得た桜の神は、しかし声をあげて喜ぶ真似はしない。
「……朔馬……」
むしろ声をひそめ、脈絡もなく、まるでうわ言のように魂依代の名を喚ぶのだ。
「サクヤ……?」
「……いえ。穂花のように可愛らしい妻を頂けるとなると、朔馬もさぞ喜ぶだろうと思いまして」
ふわりと花の頬笑みを浮かべ、そっと腰を上げるサクヤ。その拍子に桜が仄かに香る。
「じきに宵ですし、そろそろおいとま致しましょう。最後に、穂花の寝顔を見て参りますね」
華やかな笑顔も、洗練された辞儀も、見慣れたサクヤのそれだ。
足音もなく退室した桜の衣が見えなくなると、居間に静寂の帳が舞い降りる。
「〝喜ぶだろう〟……か」
先ほどの発言を繰り返してみせた真知は、ふいに、茜の射す庭へと鼈甲の視線を飛ばす。
「その朔馬は、いつ目を覚ますのか――」
真知でさえ気づいた。ならば、紅が弟の異変を見逃すはずもない。
「サクヤ……もしやおまえは、なにか大切なことを隠しているのではあるまいな……?」
しかしながら、これまでの仕打ちを思い出せば、無遠慮に問い詰められる身でもない。
それでも、兄としてただ心配に思うことだけは、赦されるだろうか。
時分は黄昏時。淡く茜を帯びた居間にて、三柱が膝をつき合わせている。
腕組みをして耳を傾けていたそのうちの一柱、知恵の神たる青年が、神妙な面持ちで口を開く。
「成程、ついに俺の子が出来たか」
「黙らっしゃい。そのお耳は飾りなのですか? 穂花は疲労の為に休養なされているのです。どなた様の所為かは知りませぬがな」
すぐさま異議を申し立てる草笛の音色。容赦なくねめつける紅玉のまなざしを見据え、真知は鼻を鳴らした。
「褥を共に出来ないやつのひがみだな」
「連日のようにところ構わず求めるような節操なしには言われたくありませぬな。発情期の雄犬じゃあるまいに」
「あ? おまえこそこの数千年かけて何千回と抱いてきたんだろうが。よく言うぜ」
「失礼な。わたしを孕ませたがりのケダモノとでもお思いか。きちんと愛を込めて、百八回です!」
「煩悩の数じゃねぇか!」
「愛の数です!」
「ドヤるな!」
「兄上、オモイカネ様、どうかお静かに……! 穂花が起きてしまいます」
サクヤの仲裁を受け、渋々引き下がる両者。穂花という単語に弱いのは、総じて然りらしい。
紅は行儀よくそろえた膝に嘆息をこぼしながら、「まぁ」とはじめのひと言。
「オモイカネ殿の花が咲いたのならば、あとはサクヤのみですな。この点については、心配は無用でしょうが」
「そう……でしょうか?」
別段驚いた様子もなく真知が無言の同意を示す最中、瞳を白黒させたのは、サクヤ本人である。
「まだおまえが穂花と出会って間もなかったころ、少なくとも誓約の翌朝は、青い蕾は硬く閉ざされていた」
「それが、俺と穂花が想いを交わして高天原から戻ってきたころには、ほころんでたんだ。あの様子じゃ、五分咲きくらいにはなってる」
「五分咲き……」
「元々ニニギ様の夫であったのは、この中でおまえのみじゃ。穂花もおまえに心を赦しておられる」
「男女の契りなくしてこれなら、じきに花も満開になるだろう」
誓約は成功する。
事実上、二柱の太鼓判を得た桜の神は、しかし声をあげて喜ぶ真似はしない。
「……朔馬……」
むしろ声をひそめ、脈絡もなく、まるでうわ言のように魂依代の名を喚ぶのだ。
「サクヤ……?」
「……いえ。穂花のように可愛らしい妻を頂けるとなると、朔馬もさぞ喜ぶだろうと思いまして」
ふわりと花の頬笑みを浮かべ、そっと腰を上げるサクヤ。その拍子に桜が仄かに香る。
「じきに宵ですし、そろそろおいとま致しましょう。最後に、穂花の寝顔を見て参りますね」
華やかな笑顔も、洗練された辞儀も、見慣れたサクヤのそれだ。
足音もなく退室した桜の衣が見えなくなると、居間に静寂の帳が舞い降りる。
「〝喜ぶだろう〟……か」
先ほどの発言を繰り返してみせた真知は、ふいに、茜の射す庭へと鼈甲の視線を飛ばす。
「その朔馬は、いつ目を覚ますのか――」
真知でさえ気づいた。ならば、紅が弟の異変を見逃すはずもない。
「サクヤ……もしやおまえは、なにか大切なことを隠しているのではあるまいな……?」
しかしながら、これまでの仕打ちを思い出せば、無遠慮に問い詰められる身でもない。
それでも、兄としてただ心配に思うことだけは、赦されるだろうか。
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