【完結】ユキイロノセカイ

はーこ

文字の大きさ
上 下
31 / 44
本編

*31* 0は1になり得ない

しおりを挟む
せつッ!!」

 すがりつくように、細い身体へ雪崩れ込む。
 耳をすませば、トクン……トクンと規則正しい心音。胸だって、上下してる。呼吸が、聞こえる。

「生きてる……っ! 雪っ、あたしだよ、幸っ!!」

 うるさいくらい呼びかけても、彫りの深いまぶたは固く閉じられたまま。
 優しい微笑みをたたえていた口元も、酸素マスクのようなものに覆い隠されて……現実を、突きつけられた気がした。

「気道確保のための、チューブだよ。……それがなかったら、寝てるみたいだろ?」
「うん……ねぇかえで、雪、生きてるんだよね……?」
「生きてるよ。だけどこの5年、一度も目を覚ましたことはない」
「それって……」
「植物状態、ということです。お気の毒ですが」
「だから……あたしに黙って」
「楓くんも悩まれていたんですよ。真実を伝えるべきか、否か」
「なにも知らせないままのほうが、ユキさんは喜ばない。……そう思ったから」

 確かに会えはした、けど。
 雪が、目を覚まさない……?
 自分で息をしてるのに……?

「ずっとこのまま……話もできない……?」
「5年間も意識不明ですから、脳に機能的な障害が残っているのかもしれません。仮に意識を取り戻したとして、日常生活……いえ、意思疎通をはかることも、難しいかと」
「……そんなぁっ!」

 目を覚ましても、あたしのことを覚えていないかもしれない。かと言って、新しい想い出を作ることさえ難しいだなんて。

「こんなのって、ない……っ!」

 最愛の人は、物言わぬ人形。それはあたしにとって、ある種の死刑宣告に等しい。

「……笹原ささはらさん、少し外してくれませんか」
「楓くん……」
「なにかあればすぐに連絡します。いまは、俺たちだけにしてください」
「……わかりました」

 丁寧なお辞儀を残し、そっと退室する笹原さん。彼を見送った楓は、雪にすがりつくあたしのそばにしゃがみ込む。

「俺、いまはじめて雪兄さんのこと恨めしく思った。……なにユキさん泣かせてんだよ」

 雪だって、なりたくてこんな状態になったわけじゃない。そんなの百も承知。
 それでも、ぶつけどころのない感情が、楓とあたしに恨みつらみを並べ立てさせる。

「最低だ、俺ら置いてくし」
「自分勝手」
「言いたいことだけ言うし」
「独りよがり」
「……こうして文句ばっか垂れてるから、戻って来づらいのかな……」
「……それもあるかもしんない」
「会いたいね」
「うん……会いたい」
「雪兄さん、可愛い弟が首を長くして待ってます。可愛い可愛い彼女さんもいます」
「います……」
「ずっと寝てると、俺がもらっちゃうよ?」
「もらわれちゃいます……ピンチです」
「目を覚ましてくれ……雪兄さん」
「声聞かせて……雪」

 長い長い、沈黙。返ってくるのは、静かな呼吸音のみ。絶望って、このことを言うんだ……

「端から見たら、あたしたち、すっごいシュールだよね……」
「笑うやつは、俺がブッ飛ばしてやるよ」

 辛いのは同じはずなのに、楓は気丈に振る舞ってる。あたしだって、いつまでもへこたれてるわけには行かないんだ。

「雪……」

 梳いたクセ毛は、ふわふわ。なでられるの、好きだったよね。あたしはそんな雪が、大好きだよ。
 髪を流して、あらわになった額に、口付けをひとつ。
 ゆっくり顔を上げる。雪は、安らかに眠ったまま。

「やっぱダメかぁ……」

 姫でもなんでもないあたしのキスは、力不足もいいところだ。白雪王子の眠りを、覚まさせてあげられない。

「……仕方ないよね。0は1になり得ないんだから」
「…………ユキ、さん」
「楓、連れて来てくれてありがと。……戻ろ」

 我ながら、よくできた作り笑いだった。
 なのに、クンッと引っ張られる腕。

「0は1に、なり得ない……」

 オウム返しのように繰り返す楓を、見上げる。

「……かしいだろ、これ」
「楓……?」
「おかしいよ! ユキさん言ってたじゃん、雪兄さんは自分を犠牲にしたって!」
「……そうだよ。あたしを助けるために、雪は自分の未来を、捨てたの」
「だからおかしいんだ! この状況が!」
「楓、意味がよく……」
「0は1に、なり得ないんだ!」

 気づいてよ、と。
 肩を揺さぶる訴えに、いま一度だけ思考を巡らせる。

(0は1に、なり得ない……?)

 ――あたしは、筋金入りのアホなんだろうか。
 散々思い悩んでおいて、あと1歩の領域に、踏み出せなかったなんて。

「楓っ! どうしよう……あたし、とんでもない勘違いして……っ!」

 言いたいことが言葉にならない。頭の中がグルグルしてる。ドクンドクンと鼓動がうるさくて、息苦しくさえ感じる。

「やることは、ひとつしかないだろ!」

 0は1になり得ない。その法則は変わらないけれど。

 いまあたしたちの手の中には、起爆装置のスイッチがある。託したのは、きっと神様。

 手を握り合い、顔を上げる。胸をいっぱいにふくらませるくらい、息を吸い込む。

 それが、闘いの合図。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...