【完結】ユキイロノセカイ

はーこ

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本編

*24* 熱の芽生え

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 ――心配なんです。あの子が……かえくんが。

 ぼくはひたすら、天に祈っていた。

 ――あの子を独りにはできません。

 あの子には、ぼくがいなくてはダメなんだ。ぼくが、そうであるように。

 ――お願いします。

 今まで、何も望んではきませんでした。
 でもこれだけは、どうか叶えては頂けないでしょうか。

 ――ぼくは、もう一度だけ、生きたいんです。

 ただひたすらに願って、願って……時の流れも忘れて。
 どれだけ経ったのだろうか。ある日突然、ぼくは、まばゆいばかりの光を目の当たりにしたのだ。

『生きたいか?』と問われた。
 はい、と答えた。自分には、大切な人がいるから。

『生きる覚悟はあるか?』と次に問われた。
 意図をはかりかねたけれども、はい、と答えた。あの子を遺してゆくなんて、考えられないから。

『では、一度だけ機会をやろう――』

 それは、神様の思し召しだったのかもしれない。
 ひとりの少女が、不思議と脳裏に浮かぶ。

『彼女が、おまえの生きるしるべだ。すべてはおまえに委ねよう』

 ――わかりました。

 そうしてぼくは、言葉の重みをろくに理解しないままに、戻ってきてしまったのだ。


  *  *  *


 たしかに少女はいて、むせ返るような人ごみの中、噴水広場にほど近い通りを歩いていた。
 すぐさま異変に気づく。
 真新しいセーラー服の胸元を握り締め、固く引き結ばれた唇が、弱々しく動いた。

 ――死にたい。

 頬を伝うひと雫に、目が離せなくなった。

 つくづくぼくは、楽観的に過ごしてきた。
 明日が来ることは当たり前。生きていくことも。そう信じて疑わなかった。

 だけど、〝生きる〟ってどういうこと?

 ぼくは生きたい。でも今まさに生きている少女は、死にたいと言う。
〝生きること〟と〝ただ息をすること〟は、同じようで違うんだって。

 はじめて知る感情に、エラーの文字が浮かんだ。

 そばにいたら、何かわかるのかな。
 得体の知れない不安に、無意識下で少女を目で追うようになる。

 やがて彼女が、ゆきちゃんということを知った。
 お父さんに捨てられたこと、お母さんを亡くしたこと、学校のみんなとなじめないことも。

 同情……はじめに抱いた感情は、そう称するのが妥当だろう。
 数ヶ月を経て、ふと疑問を抱く。
 こんなに悲しみ、世界に絶望してすらいるきみは、口にするように何故死のうとしないのか?

 答えは、誰もいないところで流される涙が教えてくれた。
 そうか……きみはまだ、足掻いているんだね。
 死を願う一方で、自分の存在意義を必死に探しているんだ。

 とたん、アンバランスで、今にも消えてしまいそうなこの子を守ってあげたいという想いが、こみ上げてしょうがなくて。

 そんなこと言ったって、ぼくは非力な幽霊なわけで。
 なにもできることなんてない……落胆の息を漏らした、晩冬のことだった。

「何」
「……え?」
「あんた。さっきから見てるけど、あたしになんか用」

 まさか、ウソでしょう?
 夜の更けきった雪空の下、古びたブランコから見上げる黒目がちの瞳が、ぼくを捉えているなんて。

「えっと……大した用はないんですけど」

 内心パニックだ。
 ぼく幽霊だよね……?
 しどろもどろになりながら、話題を模索する。

 いくら視線を泳がせたって、子供向けの遊具しか目に入らない。
 散々焦って、彼女の吐息が白く震えていることに気づいた。

「よかったら……」
「他人からホイホイ物を受け取らないことにしてんの」

 ……撃沈。
 傘を差し出そうとした右腕が、ガクリと下がる。カッコ悪いなぁ……

「じゃあせめて、早くお家に帰ってね?」

 つい口走り、しまったと後悔。
 この子には帰りを待つ家族がいないのに……

「あんた変わってるね。あたしなんか気にかけて」

 当の彼女は不満げどころか、キョトンと小首を傾げている。
 肩を滑る黒のセミロングにドキッとしたのには、すごくヘコんだ。
 中学生相手に何ときめいちゃってるの、ぼく……

「まぁいいや。気持ちだけもらっとく」

 罪悪感とか、全部吹っ飛んじゃった。
 少し口角が上がっただけ。年齢不相応の笑みが……綺麗すぎて。

「じゃあね。あんたも補導されないうちに帰りなよ」
「うん。……んん??」

 まさかぼく、中学生に間違われてます?
 一応社会人なんですけど……ぼくの事情など知るわけもなく、スタスタ遠ざかるセーラー服姿。

 頼りない街灯に照らされてではあったけど、その足取りがいつもよりちょっとだけ軽い気がして、頬がほころぶ。

 ぼくが、あの子を笑わせられた。
 ぼくでも、あの子を手助けできるんだ。
 ……嬉しい。

「……幸ちゃん」

 少女の名前を、初めて声に出してみる。
 不思議なことに、体温を忘れた身体の芯が、熱を持ったように疼いた。

 この日を境に、もっときみを見ていたいと思うようになったんだ。
 きみはもう独りじゃないって、いつか伝えたくて。
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