24 / 44
本編
*24* 熱の芽生え
しおりを挟む
――心配なんです。あの子が……かえくんが。
ぼくはひたすら、天に祈っていた。
――あの子を独りにはできません。
あの子には、ぼくがいなくてはダメなんだ。ぼくが、そうであるように。
――お願いします。
今まで、何も望んではきませんでした。
でもこれだけは、どうか叶えては頂けないでしょうか。
――ぼくは、もう一度だけ、生きたいんです。
ただひたすらに願って、願って……時の流れも忘れて。
どれだけ経ったのだろうか。ある日突然、ぼくは、まばゆいばかりの光を目の当たりにしたのだ。
『生きたいか?』と問われた。
はい、と答えた。自分には、大切な人がいるから。
『生きる覚悟はあるか?』と次に問われた。
意図をはかりかねたけれども、はい、と答えた。あの子を遺してゆくなんて、考えられないから。
『では、一度だけ機会をやろう――』
それは、神様の思し召しだったのかもしれない。
ひとりの少女が、不思議と脳裏に浮かぶ。
『彼女が、おまえの生きるしるべだ。すべてはおまえに委ねよう』
――わかりました。
そうしてぼくは、言葉の重みをろくに理解しないままに、戻ってきてしまったのだ。
* * *
たしかに少女はいて、むせ返るような人ごみの中、噴水広場にほど近い通りを歩いていた。
すぐさま異変に気づく。
真新しいセーラー服の胸元を握り締め、固く引き結ばれた唇が、弱々しく動いた。
――死にたい。
頬を伝うひと雫に、目が離せなくなった。
つくづくぼくは、楽観的に過ごしてきた。
明日が来ることは当たり前。生きていくことも。そう信じて疑わなかった。
だけど、〝生きる〟ってどういうこと?
ぼくは生きたい。でも今まさに生きている少女は、死にたいと言う。
〝生きること〟と〝ただ息をすること〟は、同じようで違うんだって。
はじめて知る感情に、エラーの文字が浮かんだ。
そばにいたら、何かわかるのかな。
得体の知れない不安に、無意識下で少女を目で追うようになる。
やがて彼女が、幸ちゃんということを知った。
お父さんに捨てられたこと、お母さんを亡くしたこと、学校のみんなとなじめないことも。
同情……はじめに抱いた感情は、そう称するのが妥当だろう。
数ヶ月を経て、ふと疑問を抱く。
こんなに悲しみ、世界に絶望してすらいるきみは、口にするように何故死のうとしないのか?
答えは、誰もいないところで流される涙が教えてくれた。
そうか……きみはまだ、足掻いているんだね。
死を願う一方で、自分の存在意義を必死に探しているんだ。
とたん、アンバランスで、今にも消えてしまいそうなこの子を守ってあげたいという想いが、こみ上げてしょうがなくて。
そんなこと言ったって、ぼくは非力な幽霊なわけで。
なにもできることなんてない……落胆の息を漏らした、晩冬のことだった。
「何」
「……え?」
「あんた。さっきから見てるけど、あたしになんか用」
まさか、ウソでしょう?
夜の更けきった雪空の下、古びたブランコから見上げる黒目がちの瞳が、ぼくを捉えているなんて。
「えっと……大した用はないんですけど」
内心パニックだ。
ぼく幽霊だよね……?
しどろもどろになりながら、話題を模索する。
いくら視線を泳がせたって、子供向けの遊具しか目に入らない。
散々焦って、彼女の吐息が白く震えていることに気づいた。
「よかったら……」
「他人からホイホイ物を受け取らないことにしてんの」
……撃沈。
傘を差し出そうとした右腕が、ガクリと下がる。カッコ悪いなぁ……
「じゃあせめて、早くお家に帰ってね?」
つい口走り、しまったと後悔。
この子には帰りを待つ家族がいないのに……
「あんた変わってるね。あたしなんか気にかけて」
当の彼女は不満げどころか、キョトンと小首を傾げている。
肩を滑る黒のセミロングにドキッとしたのには、すごくヘコんだ。
中学生相手に何ときめいちゃってるの、ぼく……
「まぁいいや。気持ちだけもらっとく」
罪悪感とか、全部吹っ飛んじゃった。
少し口角が上がっただけ。年齢不相応の笑みが……綺麗すぎて。
「じゃあね。あんたも補導されないうちに帰りなよ」
「うん。……んん??」
まさかぼく、中学生に間違われてます?
一応社会人なんですけど……ぼくの事情など知るわけもなく、スタスタ遠ざかるセーラー服姿。
頼りない街灯に照らされてではあったけど、その足取りがいつもよりちょっとだけ軽い気がして、頬がほころぶ。
ぼくが、あの子を笑わせられた。
ぼくでも、あの子を手助けできるんだ。
……嬉しい。
「……幸ちゃん」
少女の名前を、初めて声に出してみる。
不思議なことに、体温を忘れた身体の芯が、熱を持ったように疼いた。
この日を境に、もっときみを見ていたいと思うようになったんだ。
きみはもう独りじゃないって、いつか伝えたくて。
ぼくはひたすら、天に祈っていた。
――あの子を独りにはできません。
あの子には、ぼくがいなくてはダメなんだ。ぼくが、そうであるように。
――お願いします。
今まで、何も望んではきませんでした。
でもこれだけは、どうか叶えては頂けないでしょうか。
――ぼくは、もう一度だけ、生きたいんです。
ただひたすらに願って、願って……時の流れも忘れて。
どれだけ経ったのだろうか。ある日突然、ぼくは、まばゆいばかりの光を目の当たりにしたのだ。
『生きたいか?』と問われた。
はい、と答えた。自分には、大切な人がいるから。
『生きる覚悟はあるか?』と次に問われた。
意図をはかりかねたけれども、はい、と答えた。あの子を遺してゆくなんて、考えられないから。
『では、一度だけ機会をやろう――』
それは、神様の思し召しだったのかもしれない。
ひとりの少女が、不思議と脳裏に浮かぶ。
『彼女が、おまえの生きるしるべだ。すべてはおまえに委ねよう』
――わかりました。
そうしてぼくは、言葉の重みをろくに理解しないままに、戻ってきてしまったのだ。
* * *
たしかに少女はいて、むせ返るような人ごみの中、噴水広場にほど近い通りを歩いていた。
すぐさま異変に気づく。
真新しいセーラー服の胸元を握り締め、固く引き結ばれた唇が、弱々しく動いた。
――死にたい。
頬を伝うひと雫に、目が離せなくなった。
つくづくぼくは、楽観的に過ごしてきた。
明日が来ることは当たり前。生きていくことも。そう信じて疑わなかった。
だけど、〝生きる〟ってどういうこと?
ぼくは生きたい。でも今まさに生きている少女は、死にたいと言う。
〝生きること〟と〝ただ息をすること〟は、同じようで違うんだって。
はじめて知る感情に、エラーの文字が浮かんだ。
そばにいたら、何かわかるのかな。
得体の知れない不安に、無意識下で少女を目で追うようになる。
やがて彼女が、幸ちゃんということを知った。
お父さんに捨てられたこと、お母さんを亡くしたこと、学校のみんなとなじめないことも。
同情……はじめに抱いた感情は、そう称するのが妥当だろう。
数ヶ月を経て、ふと疑問を抱く。
こんなに悲しみ、世界に絶望してすらいるきみは、口にするように何故死のうとしないのか?
答えは、誰もいないところで流される涙が教えてくれた。
そうか……きみはまだ、足掻いているんだね。
死を願う一方で、自分の存在意義を必死に探しているんだ。
とたん、アンバランスで、今にも消えてしまいそうなこの子を守ってあげたいという想いが、こみ上げてしょうがなくて。
そんなこと言ったって、ぼくは非力な幽霊なわけで。
なにもできることなんてない……落胆の息を漏らした、晩冬のことだった。
「何」
「……え?」
「あんた。さっきから見てるけど、あたしになんか用」
まさか、ウソでしょう?
夜の更けきった雪空の下、古びたブランコから見上げる黒目がちの瞳が、ぼくを捉えているなんて。
「えっと……大した用はないんですけど」
内心パニックだ。
ぼく幽霊だよね……?
しどろもどろになりながら、話題を模索する。
いくら視線を泳がせたって、子供向けの遊具しか目に入らない。
散々焦って、彼女の吐息が白く震えていることに気づいた。
「よかったら……」
「他人からホイホイ物を受け取らないことにしてんの」
……撃沈。
傘を差し出そうとした右腕が、ガクリと下がる。カッコ悪いなぁ……
「じゃあせめて、早くお家に帰ってね?」
つい口走り、しまったと後悔。
この子には帰りを待つ家族がいないのに……
「あんた変わってるね。あたしなんか気にかけて」
当の彼女は不満げどころか、キョトンと小首を傾げている。
肩を滑る黒のセミロングにドキッとしたのには、すごくヘコんだ。
中学生相手に何ときめいちゃってるの、ぼく……
「まぁいいや。気持ちだけもらっとく」
罪悪感とか、全部吹っ飛んじゃった。
少し口角が上がっただけ。年齢不相応の笑みが……綺麗すぎて。
「じゃあね。あんたも補導されないうちに帰りなよ」
「うん。……んん??」
まさかぼく、中学生に間違われてます?
一応社会人なんですけど……ぼくの事情など知るわけもなく、スタスタ遠ざかるセーラー服姿。
頼りない街灯に照らされてではあったけど、その足取りがいつもよりちょっとだけ軽い気がして、頬がほころぶ。
ぼくが、あの子を笑わせられた。
ぼくでも、あの子を手助けできるんだ。
……嬉しい。
「……幸ちゃん」
少女の名前を、初めて声に出してみる。
不思議なことに、体温を忘れた身体の芯が、熱を持ったように疼いた。
この日を境に、もっときみを見ていたいと思うようになったんだ。
きみはもう独りじゃないって、いつか伝えたくて。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる