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本編
*11* 集結
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「御刀さま……鼓御前さま!」
号を、名を呼ばれている。
そうと気づいた鼓御前がはっと意識を清明に浮かばせたとき、飛び起こした上体を、和服すがたの少女がささえてくれた。黒の瞳は潤んでいる。
「お目覚めになったのですね、鼓御前さま!」
「……ひなさん?」
ひながいるということは、ここは兎鞠神社にある、自宅を兼ねた社務所の一室なのだろう。
じぶんが先ほどまで横たえられていた羽毛のようにやわらかいものは、知っている。『布団』だ。
実際に使うことになるのは、はじめてだけれど。
「ひなさんがお世話をしてくださったのですね。ありがとうございます」
「めっそうもありません! それが私のお役目ですもの」
「……葵葉は?」
「ご無事でございます。鼓御前さまは〝慰〟を斬られた際、穢れを受けてお倒れになり……お目覚めになられて、ほんとうにようございました!」
「〝慰〟……」
はらりと安堵の涙を流すひなの言葉を、そっとくり返す。
右手をこめかみに当て、まだぼんやりとつっかえた思考をめぐらせるうちに、はたと我に返る。
『不浄のモノ』を斬り伏せた。
そのせいで受けたはずの穢れが、跡形もなく消え去っているのだ。
「〝慰〟の穢れは、九条さまが取り除いてくださいましたので、ご心配いりません」
「その、九条さん、という方は……?」
「『典薬寮』から派遣された、御手入れ専門の覡さまです。凄腕の手入れ師として有名なんです」
〝慰〟……穢れ、手入れ。
そうだ、思い出した。
たしかに穢れは祓われた。
その代わり、燭台に火を灯すようなあたたかいものが、この身を満たしている。
清廉で心地よいこれは。
どこか懐かしい、この霊力は。
(……行かなくては!)
確信に突き動かされた鼓御前のからだは、無意識のうちに布団を跳ねのけていた。
「鼓御前さま! どちらに!?」
おどろくひなの制止も、鼓御前には聞こえていない。
迷うことはない。この身に宿った霊力とおなじひとすじの糸の気配を、たどれば。
西日が射し込む鶯張りの縁側を、寝間着の袖を振り、裸足で一直線に駆け奏でる。
夕暮れの陽を迎え入れるかのごとく開放された障子の向こうが、目的地だ。
十二畳の客間に、人影がひとつ、ふたつ。
「姉さま! 起きたのか、もう具合はいいのか!」
「きゃっ……!」
鴨居をくぐるやいなや、どっと肉弾にみまわれる。
鼓御前を姉と呼び、腕いっぱいに抱擁する黒髪の少年といえば、ひとりしかいない。
「見てのとおり、だいじありませんわ。心配をかけましたね、葵葉」
「ホント?」
「えぇ」
「よかった、倒れたときはマジで焦ったよ……そばについていようにも、あの口うるさい世話役の女に部屋を追い出されるわ、面倒な野郎に目ぇつけられるわで、嫌んなるぜ」
黒猫のように鼓御前にすり寄って甘えていた葵葉が一変、ぶつくさと文句を垂れる。
その恨みがましげな常磐色のまなざしが投げやられた先をたどり、鼓御前は紫水晶の双眸を見ひらく。
──少年が。からだつきは葵葉よりもすこし華奢な袴すがたの少年が、座布団で両ひざをそろえ、背をしゃんと伸ばし、沈黙してそこに在る。
「手入れ師だかなんだか知らないけど、俺の姉さまにベタベタさわりやがったんだろ? ムカつく」
詳細は不明だが、ひとつたしかなのは、鼓御前が客間へいたる以前に築かれた葵葉らの関係は、お世辞にもよろしいとは言いがたいということ。
「問い詰めても睨みつけてくるだけでなんも言わねーし、薄気味悪いっての」
なおも不平不満を並べ立てる葵葉の声をどこか遠くに感じながら、鼓御前は息を飲む。
「──その減らず口と節操のない手を、いい加減引っ込めろ。手前の唾と手垢で御刀さまが汚れたらどう責任を取るつもりだ、くそ坊主」
「なっ……!」
おもむろに口をひらいた少年の声質は、見目相応に若々しくも、高すぎない。
しかしながら流暢につむがれる辛辣な言葉の数々が、一切の容赦もなく葵葉を射抜く。
「やっとしゃべったと思えば……言ってくれるじゃねぇか……!」
「おやめなさい、葵葉」
ほほをひくつかせた葵葉が一歩を踏み出す前に、鼓御前は抱擁の腕をすり抜け、激高する弟を制した。
「なんでだよ! 姉さまはあんなやつの肩をもつのか!?」
「落ち着きなさい。あの方がだれなのか、おまえはわからないのですね。だからそんなことが言えるのです」
「姉、さま……」
ぴしゃりと言い放つ鼓御前。
人の身として顕現した姉は、穏やかな気質だった。はじめて、叱られた。
そのショックに、葵葉は言葉をうしなって打ちひしがれる。
ひとつ息を吐き出した鼓御前は、意を決して歩を進めた。
近づくほどに、少年の瞳が、おのれとおなじ紫の色彩を秘めていることを思い知らされる。
悠然と葵葉を見据えていた少年だが、つと鼓御前を瞳に宿した瞬間だった。
氷柱のごとく近寄りがたい気迫をひそめ、畳に両手を伸ばす。
「御刀さまに、ご挨拶申し上げます」
三つ指をついた、最上級の辞儀にちがいなかった。
さらりとした鳶色の髪が、少年の瞳を隠す。にわかに、鼓御前の胸がざわめいた。
「どうか、顔をお上げください」
ひざをつき、深々と頭を垂れた少年の手の甲へ指先をふれあわせる。
刹那、熱いものがこみ上げる。からだの奥底に宿ったものが、共鳴してやまない。
──嗚呼。やはり、この方を知っていると。
「そのように畏まるのもおやめくださいませ。この鼓御前がお願い申し上げます──父さま」
……静寂。
どれほどそうしていたろうか。
ややあって、無の空間に衣ずれがひびき、少年が上体を起こした。
「──天鼓丸」
たったひと言。その名を少年が口にしただけで、鼓御前の胸中は得も言われぬ熱の奔流で満たされゆく。
「……その名を知るのは、わが父だけです……お会いしとうございました、父さま……っ!」
手をにぎったなら、もう限界だった。
ひとりでに視界がにじみ、熱いものが両の目からあふれ出す。
「どういうことだ……そいつが、ととさま……? 姉さまは、なにを言って……」
いまだ状況をつかめず、困惑する葵葉。
答えたのは、嗚咽をもらす少女の肩に手を添えた、件の彼だ。
「三条小鍛冶宗近──三条派が開祖を師とあおぎ、山城伝の流れをくむ無名の刀鍛冶、九条紫榮」
「は……?」
「おまえたちが鼓御前と呼ぶ刀を打った刀工の名だ。そして僕の前世の名でもある」
「おい……冗談はやめろ」
「冗談なもんか。耳をよくかっぽじって聞くことだな」
鼓御前の肩を引き寄せた少年は、その胸に少女をもたれさせるや、凛然と告げる。
「今世の名は九条桐弥。僕の刀を汚すやつは、人だろうが妖だろうが容赦はしない」
研ぎ澄まされた刃は、ふれるだけで斬れる。
向けられた紫水晶に圧倒されたおのれを自覚した葵葉は、ぎりりと唇を噛む。
「ごめんください──おや? みなさんおそろいで」
若い男の声がひびいたのは、そんなときである。
はじかれたようにふり返る葵葉。
眉根を寄せる少年──桐弥。
そして、桐弥に抱かれながらもなんとかふり向き、紫水晶の瞳に丸みをおびさせる鼓御前。
夕焼けに濡れる縁側からすがたをあらわしたのは、漆黒の狩衣をまとい、物々しい竜頭の面をつけた男だ。
「ちょうどよかった。お知らせしたいこともありますし、仲良くおしゃべりでもいかがですか?」
ぴんと張り詰めた空気に不釣り合いな提案をもちかける男の柔和な声音に、鼓御前の胸が高鳴った。
号を、名を呼ばれている。
そうと気づいた鼓御前がはっと意識を清明に浮かばせたとき、飛び起こした上体を、和服すがたの少女がささえてくれた。黒の瞳は潤んでいる。
「お目覚めになったのですね、鼓御前さま!」
「……ひなさん?」
ひながいるということは、ここは兎鞠神社にある、自宅を兼ねた社務所の一室なのだろう。
じぶんが先ほどまで横たえられていた羽毛のようにやわらかいものは、知っている。『布団』だ。
実際に使うことになるのは、はじめてだけれど。
「ひなさんがお世話をしてくださったのですね。ありがとうございます」
「めっそうもありません! それが私のお役目ですもの」
「……葵葉は?」
「ご無事でございます。鼓御前さまは〝慰〟を斬られた際、穢れを受けてお倒れになり……お目覚めになられて、ほんとうにようございました!」
「〝慰〟……」
はらりと安堵の涙を流すひなの言葉を、そっとくり返す。
右手をこめかみに当て、まだぼんやりとつっかえた思考をめぐらせるうちに、はたと我に返る。
『不浄のモノ』を斬り伏せた。
そのせいで受けたはずの穢れが、跡形もなく消え去っているのだ。
「〝慰〟の穢れは、九条さまが取り除いてくださいましたので、ご心配いりません」
「その、九条さん、という方は……?」
「『典薬寮』から派遣された、御手入れ専門の覡さまです。凄腕の手入れ師として有名なんです」
〝慰〟……穢れ、手入れ。
そうだ、思い出した。
たしかに穢れは祓われた。
その代わり、燭台に火を灯すようなあたたかいものが、この身を満たしている。
清廉で心地よいこれは。
どこか懐かしい、この霊力は。
(……行かなくては!)
確信に突き動かされた鼓御前のからだは、無意識のうちに布団を跳ねのけていた。
「鼓御前さま! どちらに!?」
おどろくひなの制止も、鼓御前には聞こえていない。
迷うことはない。この身に宿った霊力とおなじひとすじの糸の気配を、たどれば。
西日が射し込む鶯張りの縁側を、寝間着の袖を振り、裸足で一直線に駆け奏でる。
夕暮れの陽を迎え入れるかのごとく開放された障子の向こうが、目的地だ。
十二畳の客間に、人影がひとつ、ふたつ。
「姉さま! 起きたのか、もう具合はいいのか!」
「きゃっ……!」
鴨居をくぐるやいなや、どっと肉弾にみまわれる。
鼓御前を姉と呼び、腕いっぱいに抱擁する黒髪の少年といえば、ひとりしかいない。
「見てのとおり、だいじありませんわ。心配をかけましたね、葵葉」
「ホント?」
「えぇ」
「よかった、倒れたときはマジで焦ったよ……そばについていようにも、あの口うるさい世話役の女に部屋を追い出されるわ、面倒な野郎に目ぇつけられるわで、嫌んなるぜ」
黒猫のように鼓御前にすり寄って甘えていた葵葉が一変、ぶつくさと文句を垂れる。
その恨みがましげな常磐色のまなざしが投げやられた先をたどり、鼓御前は紫水晶の双眸を見ひらく。
──少年が。からだつきは葵葉よりもすこし華奢な袴すがたの少年が、座布団で両ひざをそろえ、背をしゃんと伸ばし、沈黙してそこに在る。
「手入れ師だかなんだか知らないけど、俺の姉さまにベタベタさわりやがったんだろ? ムカつく」
詳細は不明だが、ひとつたしかなのは、鼓御前が客間へいたる以前に築かれた葵葉らの関係は、お世辞にもよろしいとは言いがたいということ。
「問い詰めても睨みつけてくるだけでなんも言わねーし、薄気味悪いっての」
なおも不平不満を並べ立てる葵葉の声をどこか遠くに感じながら、鼓御前は息を飲む。
「──その減らず口と節操のない手を、いい加減引っ込めろ。手前の唾と手垢で御刀さまが汚れたらどう責任を取るつもりだ、くそ坊主」
「なっ……!」
おもむろに口をひらいた少年の声質は、見目相応に若々しくも、高すぎない。
しかしながら流暢につむがれる辛辣な言葉の数々が、一切の容赦もなく葵葉を射抜く。
「やっとしゃべったと思えば……言ってくれるじゃねぇか……!」
「おやめなさい、葵葉」
ほほをひくつかせた葵葉が一歩を踏み出す前に、鼓御前は抱擁の腕をすり抜け、激高する弟を制した。
「なんでだよ! 姉さまはあんなやつの肩をもつのか!?」
「落ち着きなさい。あの方がだれなのか、おまえはわからないのですね。だからそんなことが言えるのです」
「姉、さま……」
ぴしゃりと言い放つ鼓御前。
人の身として顕現した姉は、穏やかな気質だった。はじめて、叱られた。
そのショックに、葵葉は言葉をうしなって打ちひしがれる。
ひとつ息を吐き出した鼓御前は、意を決して歩を進めた。
近づくほどに、少年の瞳が、おのれとおなじ紫の色彩を秘めていることを思い知らされる。
悠然と葵葉を見据えていた少年だが、つと鼓御前を瞳に宿した瞬間だった。
氷柱のごとく近寄りがたい気迫をひそめ、畳に両手を伸ばす。
「御刀さまに、ご挨拶申し上げます」
三つ指をついた、最上級の辞儀にちがいなかった。
さらりとした鳶色の髪が、少年の瞳を隠す。にわかに、鼓御前の胸がざわめいた。
「どうか、顔をお上げください」
ひざをつき、深々と頭を垂れた少年の手の甲へ指先をふれあわせる。
刹那、熱いものがこみ上げる。からだの奥底に宿ったものが、共鳴してやまない。
──嗚呼。やはり、この方を知っていると。
「そのように畏まるのもおやめくださいませ。この鼓御前がお願い申し上げます──父さま」
……静寂。
どれほどそうしていたろうか。
ややあって、無の空間に衣ずれがひびき、少年が上体を起こした。
「──天鼓丸」
たったひと言。その名を少年が口にしただけで、鼓御前の胸中は得も言われぬ熱の奔流で満たされゆく。
「……その名を知るのは、わが父だけです……お会いしとうございました、父さま……っ!」
手をにぎったなら、もう限界だった。
ひとりでに視界がにじみ、熱いものが両の目からあふれ出す。
「どういうことだ……そいつが、ととさま……? 姉さまは、なにを言って……」
いまだ状況をつかめず、困惑する葵葉。
答えたのは、嗚咽をもらす少女の肩に手を添えた、件の彼だ。
「三条小鍛冶宗近──三条派が開祖を師とあおぎ、山城伝の流れをくむ無名の刀鍛冶、九条紫榮」
「は……?」
「おまえたちが鼓御前と呼ぶ刀を打った刀工の名だ。そして僕の前世の名でもある」
「おい……冗談はやめろ」
「冗談なもんか。耳をよくかっぽじって聞くことだな」
鼓御前の肩を引き寄せた少年は、その胸に少女をもたれさせるや、凛然と告げる。
「今世の名は九条桐弥。僕の刀を汚すやつは、人だろうが妖だろうが容赦はしない」
研ぎ澄まされた刃は、ふれるだけで斬れる。
向けられた紫水晶に圧倒されたおのれを自覚した葵葉は、ぎりりと唇を噛む。
「ごめんください──おや? みなさんおそろいで」
若い男の声がひびいたのは、そんなときである。
はじかれたようにふり返る葵葉。
眉根を寄せる少年──桐弥。
そして、桐弥に抱かれながらもなんとかふり向き、紫水晶の瞳に丸みをおびさせる鼓御前。
夕焼けに濡れる縁側からすがたをあらわしたのは、漆黒の狩衣をまとい、物々しい竜頭の面をつけた男だ。
「ちょうどよかった。お知らせしたいこともありますし、仲良くおしゃべりでもいかがですか?」
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