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第三章『焔魔仙教編』

第二百五十八話 翡翠の波紋【前】

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 談話室では、緊急招集にかけられた面々が円卓を囲む。
 中でも、腕組みをした桃英タオインの表情が険しい。

一心イーシン殿……なぜそんな重大なことを」
「僕としたことが、うっかりしていました」
「うっかりにもほどがあります」

 早梅はやめも思わず口が出てしまった。
 一心が『言い忘れていたこと』に、この場に集められた全員が頭をかかえていた。
 嘆息した早梅は、まず黒皇ヘイファンへ問う。

「みんなは?」
蓮虎リェンフーおぼっちゃまや、こどもたちは、大部屋にまとめて避難していただきました。青風真君せいふうしんくんをはじめ、奥さまや二星アーシンさま、七鈴チーリンさまがついていらっしゃいます。もしもの場合にそなえ、黒俊ヘイジュンが護衛に」
フォンおじいさまたちがついているなら、大丈夫かな」
「にしたって一心さま、いまごろそんなこと思い出すなんて、物忘れのひどいじいさんよりやばいぞ」
「あはは、僕もすっかり頭から抜けちゃってて。そういえば数十年前にここを通ったことがあって、そのときに溺死しちゃったんですよねぇ」
「それだめなやつじゃん!」

 のんきな一心の発言に、紫月ズーユェはジト目を返し、早梅は卓を引っぱたいてツッコんだ。

 早梅たちを悩ませている原因、それは、現在船が進んでいる航路にあった。
 燈角とうかくから次の目的地の幸建こうけんをつなぐ直通路は、流れが速いため、通常であれば迂回が必須。
 シオン族が有する堅固な貨物船であれば、例外的に通行は可能だという話だったが、問題はほかにもあったのだという。

マオ族長を責めるな。ワタシも、言葉が足りなかった」
陽茶木ヤンチャムさま……」

 早梅よりひと回りもふた回りも体格のいい屈強な褐色肌の人物が、頭を下げる。

「しかし、安全を保証するという言葉に嘘偽りはない。ワタシたちに任せてもらえれば、目的地には着く」
「船が沈むってことは否定しなかったぞ、このひと」
「こらっ殿下、そこ指摘しちゃだめなの!」

 事前に説明を受けた早梅ですら、何が何やらさっぱり理解が追いつかないのだ。やけになって現実逃避へ向かいそうなところを、なんとか思いとどまっている。

「僕の記憶が正しければ、そろそろ『彼ら』がやってくるはずなのですが──」

 一心が口をひらきかけた、そのとき。
 ぐわん、と、船が大きな揺れに見舞われた。

「……うわさをすれば、なんとやら、ですね」

 次の瞬間、がたりと椅子を鳴らして、早梅は立ち上がった。

梅雪メイシェお嬢さま!」
「黒皇、君が来るのは危険だ。みんなのことをよろしくたのむ。私が出る!」
「こら。『俺たち』が、だろ?」
「そうだな。『私たち』ならば、問題はなかろう」
「紫月兄さま、お父さま……」
「待ってください。『その理論』なら、俺だって行けますよ」
「もちろん、僕も行きますからね。また死ぬつもりは毛頭ないので」
「殿下に、一心さまも……ありがとうございます」

 ぐずぐずしている時間はない。
 顔を見合わせた早梅たちは、一斉に駆け出した。


  *  *  *


 急ぎ、甲板へ駆けつけた早梅は、壮絶な光景を目の当たりにする。
 引き裂かれた帆。傷だらけの船壁。
 そして頭上では、けたたましい何かの鳴き声がひびいている。

「ガァ! アァアアッ!」

 それは光沢のある緑色の羽を持ち、蛇のような尾を持った怪鳥だった。ぎょろりと血走った目で、鷲よりも大きな体躯を空中でせわしなくばたつかせている。

「あれが、ちん……!」
「えぇ、志河しが南部におけるこの流域に生息している怪鳥です。毒蛇を好んで喰らうため、羽毛に含まれた成分は猛毒。獰猛な性格で、ひとを襲います。前に僕が乗っていた船も、彼らに襲われました」

 一心の説明を物語るように、甲板には不気味な緑の羽が無数に突き刺さっている。毒性のある羽を矢のごとく飛ばし、獲物を仕留める。それが鴆。

「俺たちと毒でやり合おうってか? はっ!」

 鼻で笑い飛ばした紫月は、藍玉の双眸にある瞳孔を細く引き絞る。早くも臨戦態勢だ。

「おやおや、これはまぁ。面倒ですねぇ」
「この声は……憂炎ユーエン!」
「ごきげんよう、梅雪」

 どこからともなく現れた憂炎がにこりと笑い、右手でつかんだ鴆をぼう! と蒼い炎によって燃やし尽くす。
 一瞬で灰になったそれは、風に吹かれて方々へ散った。

「わたしが一番乗りだったようなので、こうして鳥畜生の首根っこを引っつかんで燃やしていたのですが、警戒したのでしょう、ほかの仲間たちがおりてきてくれなくなりました。すこしは知能があるようですねぇ」

 空を仰げば、鴆が二十羽、いや三十羽以上。
 どれも上空高くを飛行し、早梅たちの乗る船を猛然と追跡してくる。

軽功けいこうを使って応戦しようにも、航行する船に、流れの速い水上では、足場が悪すぎる)

 離宮での闘いとは、わけが違うのだ。
 そしてかすめるだけで重篤な症状を引き起こす猛毒を有するため、鴆の相手は毒に耐性のある早梅たちザオ一族や、『千年翠玉せんねんすいぎょく』の力を制した憂炎、暗珠アンジュらに限られる。

「一心さま、船室に避難されていたほうがよろしいのでは? 殿下も病み上がりでしょう?」
「ご心配なく。僕も前回のお礼をしたいので」
「俺だって闘える。舐めるなよ」

 戦況は思わしくないが、策がないわけではなかった。

(陽茶木さまによれば、この流域を抜ける数分間だけ、持ちこたえればいいと)

 陽茶木が舵を取り、鴆の群れをまく算段なのだろう。
 鴆を全滅させる必要はない。むやみに刺激しないよう、様子をうかがっていた早梅だが。

「って、そう簡単にいくわけないよねぇっ!」
「ガァア! ギィイィイイッ!」

 鴆の群れがかん高い鳴き声をひびかせ、羽ばたきによって突風を巻き起こす。
 鋭利な緑の羽が、雨のごとく早梅たちの頭上へ降りそそいだ。

氷功ひょうこう──『月天翠雨げってんすいう』」

 桃英の周囲で、冷気が渦巻く。
 たちまちに純白の弓をかたちづくった桃英は、氷の矢を解き放つ。
 キンッと軌道を逸らされた無数の羽が、甲板の隅に散った。

「ギッ!? ヒグゥッ!」

 ヒュンッ、ヒュルンッ。
 より低空を飛行していた鴆のうち、三羽、五羽が、相次いで細いものに絡めとられ、甲板へ叩きつけられた。攻撃直後の隙をつかれたのだ。

「みなさま、お見事です」

 憂炎が柘榴色の瞳を爛爛らんらんときらめかせた刹那、蒼い火柱が上がる。
 新たに八羽の鴆が、灰と化した。

「ちっ……思ったより手応えがないな」
「風向きが最大の敵、ですね。あまり高くまでは鋼弦いとも届かないようです」

 義甲ゆびを装着した紫月、一心は、冷静に現状を分析する。

「突風の止んだ一瞬をねらって射落とすことができればよいのだろうが、それも悪手か」

 桃英の言うように、事はそう簡単にはいかない。
 射落とした鴆が、もし水中に落下したら?
 その傷口から猛毒がにじみ出し、央原おうげん全域を流れる志河を汚染してしまうだろう。
 それゆえ、早梅たちは下手に鴆へ攻撃ができない。みなそのことを理解しているからこそ、地道に対処しているのだ。

「っ、いけないっ!」

 つかの間、思案することもゆるされない。
 鴆の羽ばたきによって起こった突風が、牙をむいて襲いかかったのだ。

「舞え、白姫パイヂェン──『音吹雪おとふぶき』!」

 べべン!
 早梅の胸もとでかき鳴らされた白琵琶の音が、冷気をまとった風となり、襲いかかる風と衝突する。
 が、休む間もなく怒涛の追撃が襲う。
 相殺しきれなかった突風が、頭上高くに張りめぐらされた帆、そしてその支柱を切り裂く。

 推進力が損なわれ、船が大幅に減速する。
 さらに波立つ水面にさらわれ、船体がぐらりとかしいだ。
 早梅はとっさに白姫を抱きかかえ、背を丸めるように受け身をとった。

「くそ、鬱陶しいんだよっ!」

 なおも襲いかかろうとする鴆に向かい、暗珠がこぶしをふり上げる。
 ばちぃんっ! と電撃が駆け抜け、鴆たちが上空へ退避する。

「梅雪さんっ!」

 すぐさま暗珠が叫び、体勢を崩した早梅へ腕を伸ばす。
 しかし、その指先が早梅を捉えることはなかった。
 それよりも早く伸ばされた腕が、ぐっと早梅を引き寄せたためだ。

(なんだ……?)

 衝撃を覚悟していた早梅は、予想に反してたくましい胸に抱かれた感触に、そろりとまぶたを持ち上げる。

「お怪我はありませんか、ご主人さま。なんてな」

 そして自分を抱き寄せた男を見上げたとき、あぁ、と腑に落ちる。

「なっ……おまえ、なんでここに! 梅雪さんを離せ!」

 暗珠が興奮した様子で詰め寄る。
 けれども、早梅を抱いた空鼠そらねず色の髪の男は、不思議そうに首をかしげるだけだ。

「離せ? それは聞けない命令だな。俺は梅雪お嬢さまにしか従わないんでね」
「これはこれは……どこの誰かと思えば、死にかけていた野良犬じゃないですか」

 暗珠に、憂炎だけではない。紫月や桃英、一心も、警戒をあらわに鋭いまなざしを寄こす。

「よくもまぁ、その面で出歩けたもんだな。皇室の犬が」
「おいおい、いったいいつの話をしてるんだ? 俺はとっくに、梅雪お嬢さまのものだぞ?」
「あなた……先ほどから、何を言っているのですか?」
「時間がないので、私が手短に説明します」

 ぐい、と胸を押しやり、早梅は男の腕を抜け出す。不満げな視線を向けられたが、かまっているひまはない。

「私の判断で、シュンは処分しました。厳密には、みなさまがご存じの迅という男の存在を、ですが」
「まったく意味がわからないのですが、梅雪」
「ここにいる彼の名は、スイ。私の命令に従う、忠実なるしもべです」
「そういうことだ。よろしくたのむぜ、皆々さま方。よろしくしてくれなくてもいいけどな?」

 迅──いや、翠。
 左のまぶたを閉ざした男は、翡翠色の右眼を細め、わらった。
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