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第三章『焔魔仙教編』

第二百五十六話 呪縛の枷【中】

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 志河しがを航行する船の一室で、蒼雲ツァンユンは奮闘していた。

「殿下、見てください。いいお天気ですね」
「曇りですけどね……」
「あ、お饅頭をいただいたんです。甘くておいしいですよ」
「こどもたちにあげてください、そのほうが饅頭も喜びます……」
「そうだ! 小蓮シャオリェンと遊びませんか? かけっこをしたら、私より足が速くて……」
「俺、弟に嫌われてるんで……」
「殿下ぁ……」

 撃沈。早くも蒼雲は泣きそうになる。
 一命を取りとめ、体力も回復した暗珠アンジュだが、以前のような覇気がない。
 へやの隅でひざをかかえ、壁と向き合い一日を過ごしている。室内なのに、どよんとした局地的な曇り空と高湿度がものすごい。じめじめしすぎて茸でも生えそうだ。
 ただ追い出されないだけ、蒼雲はいくらかましだった。暗珠が蒼雲しか室に入れないので、必然的に蒼雲が生存確認を行っている。

(どうにか力になってさし上げたいのだけど……)

 肝心の暗珠が、思い悩む胸の内を明かそうとしない。
 ならばと気分転換にさまざまなことを試みるが、どれも不発。蒼雲は、もどかしい気持ちをかかえたまま見守ることしかできなかった。

「……あの」
「はい、なんでしょうか?」
「俺のことは、気にしないでください。ここにいても、時間を無駄にさせてしまうだけなので」

 退室する気配がないためか、暗珠からそう告げられる。

(気にしないでなんて、そんなこと……っ!)

 できるわけがない。その背中が、さびしい、つらいと訴えているのに。
 言葉にできない感情がこみ上げてきた蒼雲は、涙がこぼれそうになるのをぐっと堪え、静かに口をひらいた。

「無駄ではないです。私はもう皇室の人間ではありませんが、あなたの伯父ですから」
「…………」
「家族を心配するのは、当たり前のことです」
「っ……」

 そこではじめて、暗珠が動揺の気配を見せる。

(皇室という異様な場所は、肉親であっても平気で殺し合いをする。権力のため? 名声のため? 私には理解できない……)

 何も持たなかったゆえにこそ、蒼雲だけに見えていた景色がある。

(それでも飛龍フェイロンは……ひとときでも、私のことを必要としてくれた)

 何も持たない自分でも、だれかがそばにいてくれた。
 そんなささいなことがたまらなくうれしくて、愛おしいのだと、蒼雲は知っている。

(飛龍は私を殺さなかった。そして、この子を離宮に……私のところへ向かわせた。これは意味があることだ)

 ──蒼雲さまには、蒼雲さまにしかできないことが、きっとあります。

 だとするなら、それは暗珠に寄り添うことなのだと、蒼雲は確信を得た。

「殿下──」

 ゆっくりと、ゆっくりと。
 歩みを進め、左ひざをついた蒼雲は、暗珠へ腕をのばす。

「あなたは独りではない。助けを求めることを、恐れないで」

 月並みな言葉でもいい。抱きしめて、ともにぬくもりを分かち合うことができるのなら。
 蒼雲に包み込まれた暗珠の肩が、ぴくりと身じろいだ。

「……どうしたらいいのか、わからなくて」

 うなだれた暗珠が、ゆらりとふり返る。
 その虚ろな薔薇輝石の瞳には、涙の粒がにじんでいた。

「だれよりも大切なひとを、ほかでもない自分の手で傷つけていたと知ったら……頭の中がぐちゃぐちゃになって」

 ぽつりぽつりとこぼす暗珠の話は、抽象的だ。それはだれを指し、何を意味するのか。

「俺は、取り返しのつかないことをした……この身は血に濡れている……俺は、俺は……罪深い人間なんだ……どうやって償えば……っ!」
「落ち着いてください、殿下」

 半狂乱になって頭を掻きむしる暗珠の両肩を、蒼雲は押しとどめる。

(この子はいったい、どこを見ている?)

 まるで暗珠ではないだれかに取り憑かれ、幻覚を見せられているような取り乱し方だ。

(何を言っているのか、私にはわからない……むしろ中途半端に理解しては、いけない気がする)

 それはまやかしだ、気にすることはないのだと、安易にあつかってはならない。蒼雲はそう直感した。
 蒼雲は暗珠と向き合い、対話することを選ぶ。

「この世のすべては必然です。ことごとくが、天命にさだめられているのです」
「……どういう、ことですか」
「罪深いあなたがこの世に生まれ落ちたというのなら、それもまた、運命であるということです」
「運命……」
「えぇ、神がおさだめになったこと。すくなくとも、地獄の業火で魂を灼かれるのではなく、生きて、人生をかけてその業をすすぐこと。木霞帝君ぼっかていくんは、そうあなたにお命じになられたのではないでしょうか?」
「──!」

 薔薇輝石の瞳が、極限まで丸みを帯びる。
 蒼雲は緋色のまなざしをことさら和らげ、呆ける暗珠の頭に手を置いた。

「もしあなたがおのれに生きる資格がないと思っているなら、それは間違いです。それならば、毒に倒れ、戻ることはなかったはずですから。『生きろ』と、天は仰せです。あなたには、生きて成し遂げなければならないことがある。違いますか? 暗珠」
「っ……俺……」
「大丈夫ですから。……大丈夫」
「おじ、うえっ……!」
 
 声を上ずらせた暗珠が、蒼雲の背にすがりつく。

「うっ……くぅ……!」

 嗚咽にふるえる暗珠を抱きしめ、蒼雲はまぶたを閉じた。

(あぁ、どうか……この子に救いと幸福がおとずれますように)

 ただひたすらに、それだけを願って。
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