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第三章『焔魔仙教編』

第二百四十九話 はじまりの物語【後】

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 しばらくして、三人が談話室へ戻ってきた。
 一心イーシンの手には、硝子製の鉢がふたつ。
 一心はその鉢を、早梅はやめたちの目前の円卓上にならべた。
 透きとおった硝子のかこいの中では、小魚が一匹ずつ泳いでいる。

「それではお祖父様、よろしくお願いいたします」
「おうよ」

 桃英タオイン晴風チンフォンへ目配せをした後、ふところから小刀を取り出し、左手の親指を切りつけた。晴風も同様に、刃をその身に突き立てる。

「お父さま、フォンおじいさま、なにを……!」
「まて梅雪メイシェ

 すぐさま、紫月ズーユェの制止が入る。
 その直後だった。
 鉢のほうへ腕を伸ばした桃英と晴風の親指の傷口から、血液がしたたり落ち、水面をゆらす。

「……えっ!?」

 やがて、早梅は驚愕した。
 桃英の血液が混入した鉢の小魚は、腹を見せてぷかりと浮かんだ。
 だが晴風の血液が混入した鉢の小魚は、まったく変化がなかったのだ。

「おいおい、こりゃあ……」
「『氷毒ひょうどく』は即効性の致死毒です。しかしお祖父様の血液には、小魚は反応しない──つまりお祖父様の体内には、『氷毒』が存在しないという見解になります」

 早一族の祖先ならば、晴風の体内にも『氷毒』が存在するはず。
 その仮説が、見事打ち砕かれたのだ。
 桃英は早梅へ向き直り、続ける。

「『氷毒』とは何なのか。歴代の当主にも、それを語る者はいなかった。だが私は早家につたわる伝承を調べるうちに、それがいつ早一族の身に宿ったのか、解き明かすことができた」
「宿った……? お父さま、それでは『氷毒』は、早一族生来のものではなく、後天的に現れたものであるということですか?」
「あぁ。お祖父様の血液に毒性がない時点で、それは明らかだ」
「んん? そんじゃあれか? 『氷毒』とかいうたいそうな代物が出てきたのは、俺が仙人になった後の話ってか? いったいなにが起きたっていうのかねぇ」
ルオ皇室、はじまりの物語……『射陽伝説』」
「──!」

 うわ言のようにつぶやく黒皇ヘイファン
 とたん、晴風の顔から血の気が引く。
 それは、早梅もおなじ。

央原おうげんの空に突如として十の太陽が現れ、九つの太陽が射落とされた。その後太陽を射落とした青年は、灼熱の地獄に苦しみあえぐ民衆を救った英雄として称えられ、羅皇室初代皇帝となった──そうですよね、旦那さま」

 問いかける黒皇の声音は、硬い。
 桃英はつかの間の沈黙を挟み、うなずいてみせた。

「一般的に知られている伝承は、そうだ。そして『射陽伝説』には、限られたごく一部の者しか知らない『物語』がある」

 ──はじまりの物語……わが祖先、ルオ緋龍フェイロンが太陽を射落とした伝説には、続きがある。

 飛龍フェイロンはそう言っていた。なにもかもを、知ったまなざしで。

「初代皇帝、羅緋龍将軍には、盃を交わした義兄弟がいた。その者の名は──ザオ梅花メイファ。年若い少女ながら、羅緋龍とともに勇猛果敢に戦場を駆け抜けた武人であるという。羅皇室初代皇妃の名でもある」
「なん、ですって……初代皇妃!?」
「桃英さまのお話を踏まえますと、梅花妃は、早家の祖先であると。つまり……現在の羅皇室には早家の血が流れており、早家には羅皇室の血が流れているということになりますが」
「相違はない。……われら早一族は、皇族の血すじでもあるのだ」

 明かされる真実。
 これには早梅のみならず、一心すらも絶句する。

「でも、それじゃあなんで早一族は、北の辺境に住みついてたんですか、父上」

 紫月も困惑を隠せない。無理もないだろう。

「早家につたわる伝承によると、皇子と姫を出産後、梅花妃は病をわずらった。療養のため、羅緋龍は梅花妃を彼女の故郷の北方へ送り出したが、その際、姫も同行したと。別れのとき、羅緋龍は梅花妃の回復を祈り、黄金に輝く枝を渡したらしい。太陽を射落とした際、空高くから落ちてきた不思議な枝だそうだ」
「おい……ちょっと待て」

 わなわなと唇をふるわせた晴風が、頭を抱える。

「そんなことは……いや、待て、待ってくれ……そういえば、あのとき……フゥイ坊が餓鬼から取り返した翠桃すいとうの枝は、どこに行った……!?」

 ここまで来れば、桃英がなにを語ろうとしているのか、否応なしに理解させられる。

「梅花妃は黄金の枝を故郷の地に植え、だいじに育てた。やがて黄金の木となり、不思議な実をつけ、それを口にした梅花妃の病は、たちまちに消え失せた。だがその後、なぜか梅花妃は羅緋龍のもとには戻らなかった。彼女の死後、黄金の木は跡形もなく枯れてしまったらしい。歴代早家当主の手記の中で、『鹿や猪をも卒倒させる毒性』の『体内毒』の記述が散見されはじめるのは、そのころだ」
「なんてこった……」

 信じがたい話だ。けれど、否定しようがない。

「では……私たち早一族のもつ『氷毒』の正体は、翠桃、ということになります……」
「そりゃあ仙桃を食ったなら、ばかみてぇな力に目覚めたっておかしくはねぇよ。……ちくしょう」

 あまりの情報量に、ぐるぐると目が回りそうだ。
 早梅は気が遠くなりそうな衝撃をこらえ、なんとか頭をはたらかせる。

(『黄金に輝く枝』が不思議な力をもつことはたしかでも、それが仙桃であったことまでは、飛龍は知らないはずだ)

『射陽伝説』の際、天界で起こったことを、地上の人間が知るはずがないのだ。

「神仙のみなさまが翠桃を口にしても、毒性は発揮されません。ですが、梅花妃は人間──翠桃がその体内で変容し、『氷毒』として定着してしまったのでしょう」
「てことは……『氷毒』から作る『千年翠玉せんねんすいぎょく』は、突き詰めれば擬似的な仙桃を作り出しているのとおなじってことじゃないのか」
「っ! 黒皇、紫月兄さま!」
「そのとおりだ。そして『千年翠玉』は、より梅花妃に近い血を受け継いだ早家の人間の手で作らねば、失敗してしまう。それゆえ、わが一族は近親婚が鉄則となったのだ。神なる力を宿した『純血』を、後世へつなぐために」

『氷毒』と、翠桃。
 羅皇室と、早一族。
 すべては、つながっていた。

(いろんなことが押し寄せて、頭の中がぐちゃぐちゃだよ……)

 じぶんは、何者なのだろう。
 どのような立場で、どうすべきなのだろう。
 目の前に濃い霧がかかったように、行く先が見えない。

「梅雪、おまえが望むなら、私が『千年翠玉』を用意しよう」

 戸惑う早梅を見かね、桃英がそう提案する。

「だが憂炎ユーエン殿とは違い、殿下が『千年翠玉』の力に打ち勝てる保証はできない」

 それはすなわち、失敗すれば、死を意味する。

「どうするかは、おまえ自身の意思で決めなさい。それもまた、殿下にさだめられた天命なのだ」

 桃英はあくまで、早梅自身の選択を促している。

(私がすべきことは──)

 その答えを、早梅はすぐには見つけられなかった。
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