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第三章『焔魔仙教編』

第二百四十八話 はじまりの物語【前】

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 泣きはらした二星アーシンが落ち着くころ。
 二星の錫色すずいろの頭をひとなでした桃英タオインが、腰を上げる。

マオ族の方々には、世話になってばかりだな」

 桃英の声音は、とても静かなものだ。
 その静けさのなかに強い意志を宿した、鮮やかな瑠璃の瞳をしている。

ザオ家当主として、感謝と敬意を」

 一心イーシンをまっすぐに見つめた桃英は、拱手きょうしゅでもって、深々と頭を垂れた。

「一族の秘密を明かしてくださったあなた方の信頼に、私たちも応えたい」
「……と、おっしゃいますと?」

 ただならぬ気配を察したのだろう。慎重に一心が問う。
 しばしの静寂をへて、ついに桃英が口をひらいた。

「われら早一族の機密。早家が生み出した秘薬、『千年翠玉せんねんすいぎょく』について、お教えする」
 
 刹那、この場に居合わせただれもに、戦慄が走る。

 ──『灼毒しゃくどく』を解毒する、たったひとつの方法がある。
 ──殿下を助けたいなら、急ぎな。
 ──お父上に、『千年翠玉』の作り方を訊くんだ。

 早梅はやめの脳裏に、よみがえる言葉がある。

シュンが、殿下を助けるためには『千年翠玉』が必要だと……お父さま、そもそも『千年翠玉』とは何物なんですか? いったいどうしたら、『千年翠玉』を作ることが……っ!」
「落ち着きなさい、梅雪メイシェ

 桃英になだめられ、はっと我に返る。

「……申し訳、ありません」

 焦る気持ちをぐっとこらえ、早梅は居住まいをただした。
 表情に暗い影を落とした娘を前に、桃英がふと瑠璃のまなざしをやわらげる。

「梅雪、おまえの気持ちはわかる。殿下の御身を案じるならば、このまま私の話を聞いてくれ」
「お父さま……それって」

 思わず聞き返した早梅に、桃英はうなずく。
『すべて』を話すつもりなのだと、早梅は悟った。

「摂取した者の内功を爆発的に増幅させ、強大な力を養わせる秘薬、それが『千年翠玉』だ」

 実物を目にしたことはある。が、その詳細を、早梅は知らない。

『千年翠玉』とは、いったいなんなのか。
 どのようにしてうまれたのか。

 早梅は息をのみ、じっと桃英の言葉を待つ。
 やがて、決定的な言葉がつむがれる。

「『千年翠玉』の原料は、入手がとても困難であり、容易でもある」
「どういうこと、ですか……?」
「早一族の者の血液。それが、『千年翠玉』の原料であるからだ」
「なっ……血液ですって!」
「そうだ」

 にわかには信じがたい話だ。
 しかし、桃英はこんな冗談を言う性分ではない。

(『千年翠玉』の原料が、早一族の……私たちの、血液? それじゃあ……)

 その事実が意味することに、早梅は気づいてしまった。

「『千年翠玉』の主成分は、『氷毒ひょうどく』だ。われらの生体内でのみ産生される体内毒を抽出し、氷功ひょうこうをもちいて濃縮したものこそ、『千年翠玉』なのだ。ゆえに早一族でなければ、この秘薬を作ることはできない。逆に早一族であれば、製造自体は容易といえるのだ」

 あぁ、そうか。

 ──早一族のみにつたわる秘薬。
 ──それがなぜうまれたのか、なにを原料としているのか、考えたことはあるか?
 ──その答えは、そなたの身近にあるぞ。

 思わせぶりな言葉の意味が、ようやく理解できた。

飛龍フェイロンは本当に、『すべて』を知っていたのだな)

 だとするなら、飛龍の凶行の理由も説明がつく。

 桃英らを惨殺し、早梅のみを連れ去ろうとしたのは、か弱い早家の娘がひとりいれば、事足りるからだ。
 そして飛龍の予想に反し、奪い取ろうとした最後の『千年翠玉』は、早梅が摂取してしまった。

 求めていた秘薬は、すでにない。
 生き残った早家の娘は、製造法を知らない。
 となれば、飛龍が取る行動はひとつ。

(私の血から、直接『氷毒』を摂取していたのか)

 事あるごとに早梅の首すじに食らいつき、血を啜っていたのは、『千年翠玉』の原料である『氷毒』を体内に取り込むため。
 早梅の血を啜り、弱るどころか力をみなぎらせていたのは、『氷毒』の作用を完璧に制御し、我が物にしたがためなのだ。

「通常、『氷毒』は猛毒だ。摂取したほとんどの者を死にいたらしめる。だが見事制御し、糧とできたならば、王たる毒すらかき消す力をもたらす」
「思い返せば、燈角とうかくで蠱毒に侵された二星へ、桃英さまは自身の血を分け与えていましたものね。早家のもつ『氷毒』には、単なる『毒』では言い表せない、秘められた力があるのではないか……と、僕も感じておりました」

 すくない情報から物事の核心にせまるさまは、さすが一心といったところか。

「梅雪、それから紫月ズーユェ。おまえたちも『千年翠玉』を口にしたそうだな」
「はい。俺はとくに、問題はありませんでした」
「私は内功が暴走する寸前でしたが、紫月兄さまが制御法を教えてくださったおかげで、事なきを得ました」
「そうか。おまえたちが摂取した『千年翠玉』は、私の血と氷功によって作り出したものだ。とくに近しい血縁者の場合は、拒絶反応もすくない。そのために、うまく肉体になじんだのだろう」
「そうだったのですね……」

 ほっと胸をなで下ろす早梅だが、はたと気づくことがある。
 同様に、反応を見せる人物がいた。憂炎ユーエンだ。

「お待ちください。二年前、わたしも梅雪に『千年翠玉』を分けてもらいました。拒絶反応もまったく現れませんでした」
「なんと……それは本当か、梅雪」
「あぁそうだ、なんであんなばかげたことになってたのか、説教するの忘れてたわ」

 早梅はぎくり、とした。
「おいしかったから、ノリでシェアしちゃったんです~」とは、口が裂けても言えない。

「えっと、それはその……」

 助けを求めて黒皇ヘイファンをふり返るも、ため息まじりにかぶりをふられるだけ。「観念なさってください」という意だ。

「ったく、いくら可愛いわんこ相手でも、危険なものをホイホイ食わせんな」
「ごめんなさい……」

 紫月に小突かれる。これでもかなり手加減をされているほうだ。

「紫月の言うとおりだ。何事もなかったからよかったものの、一歩間違えば憂炎殿の命を奪っていたかもしれないのだぞ」
「はい……二度と、このようなことがないように気をつけます……」

 ずぅん……と重い空気をまとって消沈する早梅に、桃英は嘆息をひとつ。

「わかればいい。拒絶反応がなかったということは、憂炎殿の内功と『千年翠玉』の相性がよかったのだろう。奇跡的なことだ」
「だとすれば、わたしのような若輩者がラン族の長の地位につくことができたのは、早家のみなさまのおかげだと言えますね。お礼申し上げます」
「うん、まぁただでさえラスボス補正があるのに、そこに最強強化アイテムを投入しちゃったら、なおさらやばいことになるもんね」
「え? なにか言いましたか、梅雪?」
「なんでもないです」

 ちなみに、『氷花君子伝ひょうかくんしでん』に『千年翠玉』がどうのこうのといったエピソードはない。
 つまり、原作の『憂炎』よりも強化された状態なのだ。
 いろいろぶち壊しちゃったかな……と焦りを覚える早梅だが、いまさらである。
 早梅は咳ばらいをひとつ。気を取り直して、桃英へたずねる。

「もうひとつ、お父さまにお聞きしたいことがございます。飛龍は、なぜ『千年翠玉』の存在を知っていたのでしょうか?」

 とたん、桃英の面持ちが険しくなる。

「飛龍は、皇室と早家が、古くから切り離せない関係にあると話していました。ルオ皇室のはじまりの物語と関わりがあるとも……それはいったい、どういう意味なのでしょうか?」

 意を決し、桃英へ問う早梅。
 にわかに緊張が走る。
 長い長い沈黙ののち、ようやく桃英が言葉をつむぐ。

「『そのこと』について話す前に……お祖父様にご協力いただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

 ここで名を呼ばれたのは、晴風チンフォン

「んお? 俺か? おう、べつにかまわねぇけどよ」

 晴風も、まさかじぶんが名指しされるとは思わなかったのだろう。
 首をかしげつつも、桃英の申し出にふたつ返事で了承した。

「一心殿、少々用意していただきたいものがあるのだが」
「承知いたしました。すぐにご用意しましょう」

 そうこうしているうちに一心も席を立ち、桃英、晴風とともに退室してしまう。

「お父さま……なにをなさるおつもりなの?」

 いったいなにが起ころうとしているのか。
 ざわつく胸を、早梅はどうすることもできなかった。
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