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第三章『焔魔仙教編』
第二百四十七話 地獄の魔王【後】
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早梅はふり返ると、黒皇へ問う。
「木王父さまって、どんな方なの?」
「お恥ずかしながら、私も数えるほどしか、父上にお会いしたことはございません。それも小慧……末の弟、黒慧が生まれた、千年あまり前のことです。当時まだ幼かった黒俊も、ほとんど記憶にないことでしょう」
「そうですね。俺もおぼろげとしか覚えておらず……おそらく、ひとことふたこと、お声をかけていただいた程度かと。ご多忙な方ですので」
「まぁ、毎日どこかでだれかが死にゆく世の中ですし、ご多忙なのも当然でしょうね」
天界やら地獄やら、神が関わる話となってくると、憂炎も薄笑いを浮かべるしかない。
「黒皇によく似た、若い男だったぞ。だから不思議とおそれはなかったな」
「私がお会いした木霞帝君は、少女と見まごうような、華奢な美少年だったわ」
「僕の場合は、厳かなご老人のときもあれば、遊び人のような若者のときもありました」
おどろくべきことに、紫月、二星、一心が目にした木王父の人物像は、ことごとくかけ離れ、みじんも一致していない。
「木王父さまは、死者の生前の所業を精査し、沙汰をくだされます。死者の心理状態を反映したお姿をとられることが多いせいか、私も本当の父上のお姿というのが、よくわからないのです」
まさに変幻自在。これも神のなせる業なのか。
「俺も、慧坊が生まれたときに金玲山に来てたのは聞いたが、会ったことがねぇ。地獄の魔王さまともなりゃ、いろいろ事情があるんだろうがね」
木王父がなにを考え、なにを成そうとしているのか。それを勝手に議論するのは、おこがましいだろう。
「私たち猫族は、木霞帝君とは切っても切れない関係にあるの。よみがえるためには、それに見合った対価が必要となる。私たちは『なにかを成し遂げようとする意志』や『生きる覚悟』を、審判の際に提示しなければならないの。それこそ、よみがえりの対価として、木霞帝君が望まれていることだから」
「もうひとつ。僕ら猫族は『数名』が四を切ると、よみがえりの審判が段違いに厳しくなります。命の数がすくなくなるほど、能力の強さが増すためです」
「能力というのは、一心さまの空間を支配する力のような?」
「えぇ。ですから強大な力に目覚める可能性の高い寡い名──一から三のいわゆる『寡名』の猫族は、よみがえるまでにかなりの時間を要するのです。それこそ何年も、何十年も」
「事実、『四宵』が死んで次に目覚めたときには、十三年もたっていたわ……」
「地獄で審判を受けているあいだ、僕らは死者とおなじ状態ですから、年をとりません」
六夜や五音も三十代だが、早梅たちとそう変わらない十代後半の見た目だ。一心すら、二十代なかばの外見。
憂炎もようやく納得したようにうなずく。
「猫族のみなさんが若々しいのは、そのような理由があったのですね」
「えぇ。僕も実年齢は、四十をすぎています。若いころにやんちゃをして、死にすぎましたからねぇ。はは」
「一心さま……」
一心は冗談めかすが、その笑みが、早梅にはどこかさびしげに思えた。
九つの命をもつ猫族の秘密。
地獄の魔王の存在。
さまざまな真実が、次々と明かされてゆく。
「君が私たち兄妹を救ってくれたのだな、紅娘。だが命を譲渡できるといっても、容易ではないだろう」
「もちろん、危険をともなう禁術よ。だれにでも好き放題命を渡せるわけではない。猫族同士ですら、命の譲渡は忌避されているわ」
「危険を承知で、君は……」
「桃英も、桜雨も、私にとってたいせつなひとなの。かけがえのない唯一無二の存在なの。旭月をさがして、私は百杜に向かったわ。あなたたちとも再会できる期待に胸をふくらませて。そこでぴくりとも動かない血まみれのあなたたちを目にしたとき、私がどれだけ絶望したかわかる? 私が、どうしてもこの手で救いたかったのよ!」
「……紅娘」
そこまで矢継ぎ早に桃英へ吐露した二星が、ぐっと唇を噛みしめる。
「だけど、私、うまくできなくて……あなたたちに半分ずつしか、命をあげられなかったの」
弱々しい二星の言葉に、はっとしたように桃英が身じろぐ。
そうだ。紫月をかばって『四宵』が命を落とした時点で、残りの数は三。
そこから桃英と桜雨へそれぞれ命を譲渡したなら、彼女がいま『二星』であるはずがないのだ。
「桃英さまと二星は、男女のちぎりを交わされています。これは気交に等しいものです。ゆえに、桃英さまには耐性があった。しかし桜雨さまのおからだは、二星の命、つまり異物の侵入に耐えがたかったのでしょう」
本来命の譲渡は、成功率がきわめて低い。
奇跡的に成功したとしても、相性によっては拒絶反応が起きてしまう可能性が高いのだという。
その拒絶反応こそ、桜雨が長らく意識不明であった原因。
「譲渡の成功率は、命のもち主の肉体的、精神的状態に大きく依存します。無理な命の譲渡による反動で二星は記憶をなくしてしまいましたが、無事記憶を取り戻したことで、桜雨さまもお目覚めになったのです」
「でも、桃英を傷つけてしまったわ……こんなに愛しているあなたを忘れるなんて、酷い女よね」
うつむく二星。すると、桃英が静かに椅子から立ち上がる。
桃英は二星のもとへ歩み寄ると、ひざをつき、ゆれる紫水晶の瞳とおなじ目線までかがみ込んだ。
「私は平気だ。君が気に病むことはない」
「桃英、でも……私は生命の理をねじ曲げて、あなたたちを無理やり生き返らせたのよ。今のあなたたちは、人ではない。猫族の命を宿した、私の眷属のような状態なの。私が死んだら、あなたたちも死ぬわ。あなたたちはふたりでひとつの命だから、どちらかが欠けてもいけない」
「それでいい。なにを恐れることがあろうか」
「え……?」
「私と、桜雨と、君は、運命共同体。決して切れぬ強いえにしでつながっているということだろう。歓喜することはあっても、悲観することなどない」
「そうですね。お兄様のおっしゃるとおりです」
間髪をいれず、桜雨は断言する。
すぐさま桜雨は、呆けた二星の手を取った。
「私たちのために、必死にがんばってくれたんでしょう? こんなにうれしいことはないわ。また梅雪や紫月に会えたのも、あなたのおかげよ。本当にありがとう、二星」
「桜雨……」
「ねぇ、あなたはもっと自信をもっていいわ。愛されているっていう自信よ。お兄様なんてあなたを娶る気満々なんだから、観念してはやくお嫁においでなさいな。私、あなたと姉妹になりたかったの。本当の家族になりましょうよ」
「家族……私たちが……?」
「そうよ。家族。楽しい想い出を、みんなでつくっていきましょう。ね、二星、だいすきよ」
「っ、桜雨……私のほうが、だいすきなんだからぁ~っ!」
桜雨の殺し文句に、二星も涙腺が決壊。がばりと抱きつき、号泣する。
「あらあら。うふふ、泣き虫なお姉様ね」
ほほをゆるめる桜雨は、まんざらでもなさそうだ。
瑠璃の瞳をゆらめかせた桃英は、言葉をかける代わりに、抱き合うふたりを両腕でつつみ込む。
力強い、慈愛に満ちあふれた腕だった。
(あぁお父さま、お母さま、二星さま……よかった。本当に)
目の前の光景を見守る早梅の胸にも、じんわりとぬくもりがともった。
「木王父さまって、どんな方なの?」
「お恥ずかしながら、私も数えるほどしか、父上にお会いしたことはございません。それも小慧……末の弟、黒慧が生まれた、千年あまり前のことです。当時まだ幼かった黒俊も、ほとんど記憶にないことでしょう」
「そうですね。俺もおぼろげとしか覚えておらず……おそらく、ひとことふたこと、お声をかけていただいた程度かと。ご多忙な方ですので」
「まぁ、毎日どこかでだれかが死にゆく世の中ですし、ご多忙なのも当然でしょうね」
天界やら地獄やら、神が関わる話となってくると、憂炎も薄笑いを浮かべるしかない。
「黒皇によく似た、若い男だったぞ。だから不思議とおそれはなかったな」
「私がお会いした木霞帝君は、少女と見まごうような、華奢な美少年だったわ」
「僕の場合は、厳かなご老人のときもあれば、遊び人のような若者のときもありました」
おどろくべきことに、紫月、二星、一心が目にした木王父の人物像は、ことごとくかけ離れ、みじんも一致していない。
「木王父さまは、死者の生前の所業を精査し、沙汰をくだされます。死者の心理状態を反映したお姿をとられることが多いせいか、私も本当の父上のお姿というのが、よくわからないのです」
まさに変幻自在。これも神のなせる業なのか。
「俺も、慧坊が生まれたときに金玲山に来てたのは聞いたが、会ったことがねぇ。地獄の魔王さまともなりゃ、いろいろ事情があるんだろうがね」
木王父がなにを考え、なにを成そうとしているのか。それを勝手に議論するのは、おこがましいだろう。
「私たち猫族は、木霞帝君とは切っても切れない関係にあるの。よみがえるためには、それに見合った対価が必要となる。私たちは『なにかを成し遂げようとする意志』や『生きる覚悟』を、審判の際に提示しなければならないの。それこそ、よみがえりの対価として、木霞帝君が望まれていることだから」
「もうひとつ。僕ら猫族は『数名』が四を切ると、よみがえりの審判が段違いに厳しくなります。命の数がすくなくなるほど、能力の強さが増すためです」
「能力というのは、一心さまの空間を支配する力のような?」
「えぇ。ですから強大な力に目覚める可能性の高い寡い名──一から三のいわゆる『寡名』の猫族は、よみがえるまでにかなりの時間を要するのです。それこそ何年も、何十年も」
「事実、『四宵』が死んで次に目覚めたときには、十三年もたっていたわ……」
「地獄で審判を受けているあいだ、僕らは死者とおなじ状態ですから、年をとりません」
六夜や五音も三十代だが、早梅たちとそう変わらない十代後半の見た目だ。一心すら、二十代なかばの外見。
憂炎もようやく納得したようにうなずく。
「猫族のみなさんが若々しいのは、そのような理由があったのですね」
「えぇ。僕も実年齢は、四十をすぎています。若いころにやんちゃをして、死にすぎましたからねぇ。はは」
「一心さま……」
一心は冗談めかすが、その笑みが、早梅にはどこかさびしげに思えた。
九つの命をもつ猫族の秘密。
地獄の魔王の存在。
さまざまな真実が、次々と明かされてゆく。
「君が私たち兄妹を救ってくれたのだな、紅娘。だが命を譲渡できるといっても、容易ではないだろう」
「もちろん、危険をともなう禁術よ。だれにでも好き放題命を渡せるわけではない。猫族同士ですら、命の譲渡は忌避されているわ」
「危険を承知で、君は……」
「桃英も、桜雨も、私にとってたいせつなひとなの。かけがえのない唯一無二の存在なの。旭月をさがして、私は百杜に向かったわ。あなたたちとも再会できる期待に胸をふくらませて。そこでぴくりとも動かない血まみれのあなたたちを目にしたとき、私がどれだけ絶望したかわかる? 私が、どうしてもこの手で救いたかったのよ!」
「……紅娘」
そこまで矢継ぎ早に桃英へ吐露した二星が、ぐっと唇を噛みしめる。
「だけど、私、うまくできなくて……あなたたちに半分ずつしか、命をあげられなかったの」
弱々しい二星の言葉に、はっとしたように桃英が身じろぐ。
そうだ。紫月をかばって『四宵』が命を落とした時点で、残りの数は三。
そこから桃英と桜雨へそれぞれ命を譲渡したなら、彼女がいま『二星』であるはずがないのだ。
「桃英さまと二星は、男女のちぎりを交わされています。これは気交に等しいものです。ゆえに、桃英さまには耐性があった。しかし桜雨さまのおからだは、二星の命、つまり異物の侵入に耐えがたかったのでしょう」
本来命の譲渡は、成功率がきわめて低い。
奇跡的に成功したとしても、相性によっては拒絶反応が起きてしまう可能性が高いのだという。
その拒絶反応こそ、桜雨が長らく意識不明であった原因。
「譲渡の成功率は、命のもち主の肉体的、精神的状態に大きく依存します。無理な命の譲渡による反動で二星は記憶をなくしてしまいましたが、無事記憶を取り戻したことで、桜雨さまもお目覚めになったのです」
「でも、桃英を傷つけてしまったわ……こんなに愛しているあなたを忘れるなんて、酷い女よね」
うつむく二星。すると、桃英が静かに椅子から立ち上がる。
桃英は二星のもとへ歩み寄ると、ひざをつき、ゆれる紫水晶の瞳とおなじ目線までかがみ込んだ。
「私は平気だ。君が気に病むことはない」
「桃英、でも……私は生命の理をねじ曲げて、あなたたちを無理やり生き返らせたのよ。今のあなたたちは、人ではない。猫族の命を宿した、私の眷属のような状態なの。私が死んだら、あなたたちも死ぬわ。あなたたちはふたりでひとつの命だから、どちらかが欠けてもいけない」
「それでいい。なにを恐れることがあろうか」
「え……?」
「私と、桜雨と、君は、運命共同体。決して切れぬ強いえにしでつながっているということだろう。歓喜することはあっても、悲観することなどない」
「そうですね。お兄様のおっしゃるとおりです」
間髪をいれず、桜雨は断言する。
すぐさま桜雨は、呆けた二星の手を取った。
「私たちのために、必死にがんばってくれたんでしょう? こんなにうれしいことはないわ。また梅雪や紫月に会えたのも、あなたのおかげよ。本当にありがとう、二星」
「桜雨……」
「ねぇ、あなたはもっと自信をもっていいわ。愛されているっていう自信よ。お兄様なんてあなたを娶る気満々なんだから、観念してはやくお嫁においでなさいな。私、あなたと姉妹になりたかったの。本当の家族になりましょうよ」
「家族……私たちが……?」
「そうよ。家族。楽しい想い出を、みんなでつくっていきましょう。ね、二星、だいすきよ」
「っ、桜雨……私のほうが、だいすきなんだからぁ~っ!」
桜雨の殺し文句に、二星も涙腺が決壊。がばりと抱きつき、号泣する。
「あらあら。うふふ、泣き虫なお姉様ね」
ほほをゆるめる桜雨は、まんざらでもなさそうだ。
瑠璃の瞳をゆらめかせた桃英は、言葉をかける代わりに、抱き合うふたりを両腕でつつみ込む。
力強い、慈愛に満ちあふれた腕だった。
(あぁお父さま、お母さま、二星さま……よかった。本当に)
目の前の光景を見守る早梅の胸にも、じんわりとぬくもりがともった。
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