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第三章『焔魔仙教編』

第二百三十八話 朝の訪れ【前】

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 燈角とうかくの街を後にし、早いものでもう三日目となる朝。
 寝台に腰かけた早梅はやめは、寝間着姿のまま、紫月ズーユェに髪を梳かれていた。

「いやぁ、しんどかった……」
「猛毒にやられたんだぞ。普通なら死ぬところを、しんどい程度で済んでるほうが奇跡だっての」

 この三日間、早梅はほぼ寝たきりであったため、ろくな身支度ができなかった。
 燈角での闘いの後、寝込んでしまったのだ。
 張り詰めていた緊張の糸が切れ、疲労がどっと押し寄せた末に、『灼毒しゃくどく』の影響で高熱を出してしまったわけだ。

梅雪メイシェ、もう起き上がって大丈夫なんですか?」
「あぁ、うん。紫月兄さまがついていてくれたしね。今は微熱程度まで熱は下がってるよ」
「早くよくなるといいですね。そうだ、元気が出るように、わたしが愛の口づけを」
「病人だっつってんだろが」

 ぱしん。
 今日も朝一番にやってきて、隙あらば早梅の寝台に忍び込もうとする憂炎ユーエンの頭を、すかさず紫月がはたく。

「なんで? 紫哥哥ズーおにいちゃんだけずっと一緒にいて、ず~る~い~」
「俺は、梅雪の看病を、してんの!」

 事実である。紫月は手際よく看病をするだけに留まらず、早梅に近寄る男どもを追い返すのにも貢献している。口は悪いが、妹想いのお兄さまである。
 ちなみに、駄々をこねる憂炎は紫月ですら対応に苦戦するほど厄介なのだが、さらにその上をゆく強敵が、今まさに襲来しようとしていた。

「こーら、だめだって。あっ、おい!」

 どこからか聞こえたのは、晴風チンフォンの焦った声。
 直後、換気のために開放していた扉の向こうから、ちいさな影が飛び込んできた。

「まぁま!」
小蓮シャオリェン!」
「まぁま、まぁま~!」

 つぶらな緋色の瞳を潤ませた蓮虎リェンフーが、わっと泣き出しながら、早梅へ駆け寄ってくる。
 寝台へ上がろうとするも、それができないことを悟った蓮虎は、さらに大きな声で愚図る。

「まぁま、ねんね……うぅ……うぁあん!」
蓮蓮リェンリェン、まぁまはお熱が出てるから、ねんねは大じぃじとしような?」
「やぁ! まぁま~!」

 三日も離れていると、蓮虎も我慢の限界に達したようだ。
 晴風があやしても、早梅のそばから離れたがらない。

「ではおぼっちゃま、ふぁんふぁんはいかがでしょうか」

 ここで登場するのは、安心と信頼の愛烏、黒皇ヘイファンだ。

「かぁかぁも一緒ですよ」
「ギュー」
「ギュッ!」

 黒皇は長身をかがめて蓮虎をのぞき込むと、手のひらに乗せた子烏、シャオチェンを見せる。
 双子の子烏たちは思い思いに鳴きながら、ちょこちょこと黒皇の手のひらを移動し、蓮虎の両肩に飛び乗った。

「ふぁんふぁん……かぁかぁ……うぅ」

 おとなしくなった隙を見逃さず、黒皇は蓮虎を抱き上げる。
 そのころには蓮虎も泣き疲れて、うとうとし始めていた。

「黒皇ごめんね……小蓮のこと、任せっきりで。夜泣きしちゃって、君も眠れてないだろう?」
「いいえ。交代で黒俊ヘイジュンも見てくれていますので、お気になさらず。お嬢さまは、安静になさっていてください。紫月さまがいらっしゃいますから、黒皇がいなくても大丈夫でしょう」

 にっこり。
 淀みなく言葉を並べた黒皇が、満面の笑みを浮かべる。基本的に表情が変わらない、あの黒皇が、だ。
 刹那、早梅は戦慄した。それは紫月も同様であったようで、紫月らしからぬどぎまぎした様子で、黒皇を見上げる。

「おまえ……まだ怒ってんのかよ」
「そんなことは。こちらでご兄妹水入らずの時間をお過ごしいただければと思ったまでですよ。そのほうがいいですよね、何も言わずにいなくなってしまわれた紫月さまと、すぐに無理をなさる梅雪お嬢さま?」
「いい加減機嫌直せって……」
「黒皇、ごめんよぉ、ゆるしてぇ……」

 一件落着すると、色々と思うところも出てくるようで。
 燈角を出てからというもの、黒皇がにこやかに紫月と早梅を叱りつけるという構図が爆誕していた。「つべこべ言わずに、ここでおとなしくしておいてください」という意だ。
 さすがの紫月も相棒の烏にめっぽう弱く、黒皇に笑顔で凄まれてはうろたえているし、早梅にいたっては半泣きである。

「おぼっちゃまは、私にお任せを。どうぞ、ごゆっくり」

 黒皇はことさらゆっくり言い残すと、蓮虎を抱いたまま室を後にする。

「おっかない烏ですね……」

 憂炎ですら失笑して二の腕をさすったことは、本人のみぞ知る秘密である。

「ま、黒皇もそんだけ心配してたってことだ。わかってくれや。今までの疲れも出たんだろうし、たまにはゆっくり休んだってバチは当たらないぜ、梅梅メイメイ?」
「あれ、朝からにぎやかじゃない。もしかしてお取り込み中?」

 晴風が白い歯をのぞかせて笑った頃合いで、湯気を立てる膳をかかえた少女が、入り口から声をかけてくる。
 フー族の少女、凜花リンファだ。

「おはよ、梅雪。食事を持ってきたよ。重湯からお粥にしてみたんだけど、食べられそう?」
「わざわざ持ってきてくれたの? ありがとう凜花! おなかペコペコだよ~」
「食欲が戻ったみたいね。よかった。はい、まだすこし熱いから気をつけて」

 寝台横の台に盆を置き、粥の器を差し出す凜花は、手慣れたものだ。

「玉子粥かい? ん~、ふわふわ! ごはんが食べられるって、奇跡なんだねぇ」
「そうね。わたしもそう思う」

 昨日までは重湯以外ほとんど食事がのどを通らなかったのが、嘘のようだ。
 ぱくぱくと粥を食べ進める早梅を目にし、凜花も満足げだ。

「そうだ。調子がよさそうなら、会ってほしい子たちがいるんだけど、大丈夫そう?」
「かまわないよ」

 間髪をいれずに早梅が返すと、凜花はうなずいて、寝室の入り口を振り返った。

「だってさ。入っといで」

 凜花に次いで、早梅も入り口を見やる。
 すると、大と小ふたつの人影が、そろそろと扉をくぐるところだった。
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