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第三章『焔魔仙教編』
第二百三十四話 手と手を取り合う【前】
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羅蒼雲。飛龍の、双子の兄。
脳内で反芻し、早梅はズキリと、こめかみに痛みを覚えた。
(なるほど。彼の声に聞き覚えがあるわけだ)
飛龍と、よく似た声音だ。
顔立ちにいたっては、ほぼ同じつくりである。
一方で、蒼雲はあまり多弁ではない。
視線も伏せ気味で、ととのった顔は、憂いが色濃くにじんでいた。
自信家で尊大な飛龍とは、正反対の振る舞いだ。
「……失礼いたします」
頭を下げ、ひとつ断った蒼雲が、歩み出す。
これに、柘榴色の双眸を細めた憂炎が、射抜くような視線を蒼雲へ寄越す。
憂炎ほどあからさまではなくとも、紫月や桃英、一心ら猫族も、すくなくない警戒心でもって、蒼雲の動向を注視していた。
不自由な右足を引きずり、よたよたと早梅たちの前を通りすぎた蒼雲は、空鼠色の毛並みの狼、迅が倒れ込んでいる場所までやってくると、ひざを折る。
顔をしかめ、よろめくようにして両ひざをついたなら、そのまま迅へ腕を伸ばす。
そして蒼雲は、左手で迅の口をひらかせると、驚くべきことに、むき出しになった牙へ、右手の指を押し当てた。
「────」
蒼雲が何事かをささやいた刹那、蛍の光のようなものが浮かんでは、消える。
早梅がまばたきをし、目を凝らすと、迅の牙に何やら紋様が刻まれているのが見て取れた。
「呪をかけました。一時的なものではありますが、これでしばらく、彼は誰かに噛みつくことができません。舌を噛んで自害することを含めた、自傷行為もです」
「咬傷による反撃のすべと、血功を封じ込めたのか。そりゃあどうも」
静かな蒼雲の言葉を受け、ハッと鼻を鳴らした紫月が、大股で一歩、詰め寄った。
「そんな小細工しなくとも、そいつをバラバラにしてしまえば済む話だ。退け。さもなくば、そいつと一緒に肉塊になるぞ」
早梅を傷つけられたことで、紫月は殺気だっている。脅しではなく、このままでは、本気で蒼雲もろとも、迅を殺すだろう。
だがぎらついた藍玉の眼光を前にして、蒼雲は動こうとはしない。
「……紫月兄さま、待ってください」
見かねて、早梅は声を上げる。
「梅雪、おまえは黙って──」
「紫月」
早梅はもう一度紫月を呼ぶと、真正面から見据えた。
「こいつを生かしておく利益なんて、あるのか?」
「ある」
「なんだって?」
相次ぐ紫月の追及に、早梅はまぶたを閉じ、しばし思案する。
──いずれは、陛下よりも強く。
思い出されるのは、迅の意味深長な言葉。
ひと呼吸を置いた早梅は、瑠璃の瞳をひらいた。
「迅は、飛龍に忠誠を誓っているわけではないように思えた。それでも迅は、飛龍や、宮中の事情について詳しい。あちらの情報を聞き出せば、私たちに有利にはたらくはず」
「つまり、捕虜にして尋問すべきってわけか。おまえは優しすぎる」
「私だって、迅は許せない。でも感情のままに殺すのは、違うって思うの。彼には、彼なりの償いをしてもらう。責任は、私が取ります」
一瞬の静寂。直後、紫月の嘆息がこぼれる。
「はぁ……おまえは意外と頑固だからな。わかった。ただし、この野郎が目を覚ましたら、一発は殴る。それくらいはさせろ」
「紫月……ありがとう」
「別に。六夜おじさん、この犬よろしく」
「はぁあ? おまえ何様だぁ? おじさんじゃねぇ、お兄さまって呼べ!」
「いや、五音叔父さんのきょうだいなら、おじさんだし」
「やかましい! 年上に敬意ってものがねぇっつってんだ、俺は!」
「そういうところに敬意を感じないのだと私は思うぞ、六夜」
「んだと五音!」
六夜には申し訳ないが、どう見ても、シャーッ! と毛を逆立てて威嚇する猫の姿である。
が、反論しながらも雑に迅を肩へ担ぎ上げるあたり、六夜の根の素直さが垣間見える。
そんな六夜を、なんだか温かい気持ちで、早梅は見つめていた。
迅を、強敵を、倒した。みんなの力で。
遅れて込み上げる実感が、早梅の目頭を、じんと熱くさせた。
「それでは、あらためてお訊きしましょうか」
やがて、憂炎が口をひらく。柘榴色のまなざしは、地面に両ひざをついた蒼雲へ注がれていた。
「皇室の関係者が、何の用ですか。わたしたちの動向を調査して、皇帝陛下に報告でもするつもりですか?」
「そのようなことは……私は、皇室から追放されておりますので」
「それはまた、なぜ?」
「…………」
「だんまりですか」
「……申し訳ありません。ですが、今の私に、皇室との繋がりはありません。それは本当です」
憂炎の追及に、蒼雲は言葉を詰まらせながらも、なんとか答えようとする。
対話をしようとする意思は、あるようだ。
「つまり、わたしたちの味方だと言いたいのですよね? あなたの目的は、何なのですか?」
「……早梅雪さまと、お話をさせていただきたく」
「許可できません。発情した畜生以下の陰湿糞下衆野郎とまったく同じ面を引っさげて、よく言えたものですよね」
「っ……」
「憂炎……!」
蒼雲への敵意を、憂炎を隠そうともしない。皇室を憎む彼ならば、仕方のないことだ。
だからといって、蒼雲の事情を考えずに突っぱねてしまうのは、いかがなものか。
早梅には、蒼雲が悪い人間には思えなかった。
「皇兄殿下……いいえ、蒼雲さまとお呼びいたしましょうか」
折を見て発言したのは、黒皇だ。
「梅雪お嬢さま、皇子殿下がお怪我をされております。まずは、おふたりの治療が最優先事項かと。つきましては、ご同行ねがいますが、よろしいでしょうか」
「はい、異論はございません。ご心配とあらば、この身に縄をかけるなり、鎖をつけるなり、如何様にでもなされませ」
蒼雲はそう言って地面へ両手をつき、深々と、頭を垂れた。
桃英が、無言で歩み出す。次いで平伏した蒼雲をつかの間見据えたのち、目前で片ひざをついた。
「立てるか」
思わず、といったように、蒼雲が顔を上げる。
桃英は、蒼雲へ肩を差し出していた。掴まれ、と言いたいらしい。
「とんでもございません。お気遣いなく……」
「先ほどの弓の腕、見事なものだった。娘を助けてくれたこと、礼を言う」
蒼雲はすぐさま遠慮するも、桃英を前に、根負けしたらしく。
「……恐縮でございます」
身をこわばらせつつも、蒼雲は、桃英の手を取っていた。
「なんか、わたしが嫌なやつみたいです。あーあ、梅雪に紫月お兄さまに桃英さまがお許しになったなら、何も言えないじゃないですか」
「憂炎さま」
「かと思ったら、今度は爽? 何ですか、物言いたげなその目は。あぁもう、好きにすればいいでしょ、好きにすれば!」
じっと爽に見つめられた憂炎は、みなまで言われずとも、爽の言わんとすることを悟ったようで。やけ気味に叫ぶ。
「ありがとうございます、憂炎さま」
ふ……と、爽のほほがゆるんだ。それから、爽が視線をやったのは、狼族の姉妹だ。
「きみたちもおいで」
「え……わたしたちも……?」
「ついてって……いいの?」
「からだを強く打って、怪我をしているだろう。手当をしないと」
「でも……」
「不安がらなくてもいいんだ。きみたちを怖がらせるものは、もう何もない。これからのこと、ゆっくり考えていこう。俺もいるから」
「おにいちゃあん……!」
瞳たっぷりに涙をためた姉妹が、ぎゅうっと爽に抱きつく。
姉妹を抱きしめ返す爽の手に、迷いはなかった。
脳内で反芻し、早梅はズキリと、こめかみに痛みを覚えた。
(なるほど。彼の声に聞き覚えがあるわけだ)
飛龍と、よく似た声音だ。
顔立ちにいたっては、ほぼ同じつくりである。
一方で、蒼雲はあまり多弁ではない。
視線も伏せ気味で、ととのった顔は、憂いが色濃くにじんでいた。
自信家で尊大な飛龍とは、正反対の振る舞いだ。
「……失礼いたします」
頭を下げ、ひとつ断った蒼雲が、歩み出す。
これに、柘榴色の双眸を細めた憂炎が、射抜くような視線を蒼雲へ寄越す。
憂炎ほどあからさまではなくとも、紫月や桃英、一心ら猫族も、すくなくない警戒心でもって、蒼雲の動向を注視していた。
不自由な右足を引きずり、よたよたと早梅たちの前を通りすぎた蒼雲は、空鼠色の毛並みの狼、迅が倒れ込んでいる場所までやってくると、ひざを折る。
顔をしかめ、よろめくようにして両ひざをついたなら、そのまま迅へ腕を伸ばす。
そして蒼雲は、左手で迅の口をひらかせると、驚くべきことに、むき出しになった牙へ、右手の指を押し当てた。
「────」
蒼雲が何事かをささやいた刹那、蛍の光のようなものが浮かんでは、消える。
早梅がまばたきをし、目を凝らすと、迅の牙に何やら紋様が刻まれているのが見て取れた。
「呪をかけました。一時的なものではありますが、これでしばらく、彼は誰かに噛みつくことができません。舌を噛んで自害することを含めた、自傷行為もです」
「咬傷による反撃のすべと、血功を封じ込めたのか。そりゃあどうも」
静かな蒼雲の言葉を受け、ハッと鼻を鳴らした紫月が、大股で一歩、詰め寄った。
「そんな小細工しなくとも、そいつをバラバラにしてしまえば済む話だ。退け。さもなくば、そいつと一緒に肉塊になるぞ」
早梅を傷つけられたことで、紫月は殺気だっている。脅しではなく、このままでは、本気で蒼雲もろとも、迅を殺すだろう。
だがぎらついた藍玉の眼光を前にして、蒼雲は動こうとはしない。
「……紫月兄さま、待ってください」
見かねて、早梅は声を上げる。
「梅雪、おまえは黙って──」
「紫月」
早梅はもう一度紫月を呼ぶと、真正面から見据えた。
「こいつを生かしておく利益なんて、あるのか?」
「ある」
「なんだって?」
相次ぐ紫月の追及に、早梅はまぶたを閉じ、しばし思案する。
──いずれは、陛下よりも強く。
思い出されるのは、迅の意味深長な言葉。
ひと呼吸を置いた早梅は、瑠璃の瞳をひらいた。
「迅は、飛龍に忠誠を誓っているわけではないように思えた。それでも迅は、飛龍や、宮中の事情について詳しい。あちらの情報を聞き出せば、私たちに有利にはたらくはず」
「つまり、捕虜にして尋問すべきってわけか。おまえは優しすぎる」
「私だって、迅は許せない。でも感情のままに殺すのは、違うって思うの。彼には、彼なりの償いをしてもらう。責任は、私が取ります」
一瞬の静寂。直後、紫月の嘆息がこぼれる。
「はぁ……おまえは意外と頑固だからな。わかった。ただし、この野郎が目を覚ましたら、一発は殴る。それくらいはさせろ」
「紫月……ありがとう」
「別に。六夜おじさん、この犬よろしく」
「はぁあ? おまえ何様だぁ? おじさんじゃねぇ、お兄さまって呼べ!」
「いや、五音叔父さんのきょうだいなら、おじさんだし」
「やかましい! 年上に敬意ってものがねぇっつってんだ、俺は!」
「そういうところに敬意を感じないのだと私は思うぞ、六夜」
「んだと五音!」
六夜には申し訳ないが、どう見ても、シャーッ! と毛を逆立てて威嚇する猫の姿である。
が、反論しながらも雑に迅を肩へ担ぎ上げるあたり、六夜の根の素直さが垣間見える。
そんな六夜を、なんだか温かい気持ちで、早梅は見つめていた。
迅を、強敵を、倒した。みんなの力で。
遅れて込み上げる実感が、早梅の目頭を、じんと熱くさせた。
「それでは、あらためてお訊きしましょうか」
やがて、憂炎が口をひらく。柘榴色のまなざしは、地面に両ひざをついた蒼雲へ注がれていた。
「皇室の関係者が、何の用ですか。わたしたちの動向を調査して、皇帝陛下に報告でもするつもりですか?」
「そのようなことは……私は、皇室から追放されておりますので」
「それはまた、なぜ?」
「…………」
「だんまりですか」
「……申し訳ありません。ですが、今の私に、皇室との繋がりはありません。それは本当です」
憂炎の追及に、蒼雲は言葉を詰まらせながらも、なんとか答えようとする。
対話をしようとする意思は、あるようだ。
「つまり、わたしたちの味方だと言いたいのですよね? あなたの目的は、何なのですか?」
「……早梅雪さまと、お話をさせていただきたく」
「許可できません。発情した畜生以下の陰湿糞下衆野郎とまったく同じ面を引っさげて、よく言えたものですよね」
「っ……」
「憂炎……!」
蒼雲への敵意を、憂炎を隠そうともしない。皇室を憎む彼ならば、仕方のないことだ。
だからといって、蒼雲の事情を考えずに突っぱねてしまうのは、いかがなものか。
早梅には、蒼雲が悪い人間には思えなかった。
「皇兄殿下……いいえ、蒼雲さまとお呼びいたしましょうか」
折を見て発言したのは、黒皇だ。
「梅雪お嬢さま、皇子殿下がお怪我をされております。まずは、おふたりの治療が最優先事項かと。つきましては、ご同行ねがいますが、よろしいでしょうか」
「はい、異論はございません。ご心配とあらば、この身に縄をかけるなり、鎖をつけるなり、如何様にでもなされませ」
蒼雲はそう言って地面へ両手をつき、深々と、頭を垂れた。
桃英が、無言で歩み出す。次いで平伏した蒼雲をつかの間見据えたのち、目前で片ひざをついた。
「立てるか」
思わず、といったように、蒼雲が顔を上げる。
桃英は、蒼雲へ肩を差し出していた。掴まれ、と言いたいらしい。
「とんでもございません。お気遣いなく……」
「先ほどの弓の腕、見事なものだった。娘を助けてくれたこと、礼を言う」
蒼雲はすぐさま遠慮するも、桃英を前に、根負けしたらしく。
「……恐縮でございます」
身をこわばらせつつも、蒼雲は、桃英の手を取っていた。
「なんか、わたしが嫌なやつみたいです。あーあ、梅雪に紫月お兄さまに桃英さまがお許しになったなら、何も言えないじゃないですか」
「憂炎さま」
「かと思ったら、今度は爽? 何ですか、物言いたげなその目は。あぁもう、好きにすればいいでしょ、好きにすれば!」
じっと爽に見つめられた憂炎は、みなまで言われずとも、爽の言わんとすることを悟ったようで。やけ気味に叫ぶ。
「ありがとうございます、憂炎さま」
ふ……と、爽のほほがゆるんだ。それから、爽が視線をやったのは、狼族の姉妹だ。
「きみたちもおいで」
「え……わたしたちも……?」
「ついてって……いいの?」
「からだを強く打って、怪我をしているだろう。手当をしないと」
「でも……」
「不安がらなくてもいいんだ。きみたちを怖がらせるものは、もう何もない。これからのこと、ゆっくり考えていこう。俺もいるから」
「おにいちゃあん……!」
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