235 / 263
第三章『焔魔仙教編』
第二百三十一話 空を見上げて【後】
しおりを挟む
「生きるために、選択肢なんかなかった。そうするしかなかった。わかるよ。俺も、同じだったから」
姉妹がそろって、こわごわと視線をずらす。
すると、そばに膝をついた爽が、同じ目線まで屈んでくれていることがわかった。
「人を殺めるのは、とても正気ではできないことだ。生きるために、心を殺してきたんだろう」
優しすぎるほどの声音に、姉妹がうつむく。
ちいさく、か細い肩は、小刻みに震えていた。
「……お父さんも、お母さんも、殺されちゃった……」
「わたしたちは弱いから、冥帝と冥王が、守ってくれたの……ずっといっしょにいてくれた、わたしたちの、お友だち……」
「でも、わたしたちにもできることがあるって、だれかの役に立てるって、おにいちゃんが、言ってたから……ううん、ちがう」
「なんにも考えないで……なんにも考えないようにしてた、わたしたちが、悪いです」
「わたしたちが、弱いのが、悪いです……」
「弱いのは、悪いことじゃない」
断言する爽。姉妹が、はっとしたように顔を上げた。
「大事なのは、これからどうするかだ。過ちを知ったなら、変われる。変わるために何ができるかを考えるだけで、弱い自分から一歩抜け出して、前に進める」
爽が両腕を伸ばす。びくりと肩を跳ねさせる姉妹だが、逃げるそぶりはない。
「ねぇ、知ってる? どんな雨でも、雪の日でも、雲の上には、おひさまがいるんだよ。でも、空を見上げなきゃ、おひさまには会えない」
魅入られたように、よっつの黒い瞳が、爽へ釘付けになる。
「このままうずくまっているか。それとも、おひさまに向かって手を伸ばすのか。きみたちは、どうしたい?」
爽は静かに、語りかける。
罪は消えなくても、償うことはできるはずだと。
おのれの意思を声にすることを、選択する自由を、提示してみせる。
選ぶのは、あくまで、彼女たち自身。
「……ごめん、なさい」
やっと紡がれた言葉は、消え入りそうなほど、弱々しかった。
だが、かぶりを振った姉は、もう一度、声を絞り出す。
「ごめんなさい……わたしたち、間違えました。いっぱい、いっぱい……!」
「いろんなひとに、ひどいこと、いっぱいしました……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
妹も、嗚咽をもらしながら、声を張り上げる。
「でも、いつもこわがって、おびえるだけなのは、もうやだ……!」
「わたしたちも、つよく、なりたい……かわりたい!」
姉妹は、差し伸べられた爽の手を取り、自分の意思を叫んだ。
「そうか」
爽は姉妹の言葉を噛みしめるように、ゆっくりとうなずく。そして、姉妹の手を力強く握り返すとともに、ぐっと腕を引いた。
引き寄せられた姉と妹が、爽の右肩と左肩に、もたれ込んだ。
「自分たちの力で、殻をやぶったんだな。よくがんばった。大丈夫、きみたちは、強くなれる」
ぽん、と頭に手を置いたかと思えば、やさしく、なでてきて。
ひだまりのような爽のぬくもりに包まれた姉妹の瞳から、ぼろぼろと、涙があふれ出す。
「う……うぅ……」
「うぁ……うわぁああん!」
すがりつき、泣きじゃくる姉妹を、爽はなでる。
そこにもう、言葉などは必要なかった。
抱きしめるぬくもりが、彼女たちを、もう孤独にはさせないのだから。
──ぱちぱち、と。
穏やかな夜の静けさを、乾いた拍手が打ち壊す。
「はいはい、お涙頂戴のすばらしいお芝居を、ありがとさんってね。同じ狼族だってのに、全然対応が違うじゃないか。おにーさん悲しくなっちゃうぞ、族長サマ?」
「気持ち悪いこと言わないでくれます? はなから反省する気のない下衆とあの子たちなら、あの子たちのほうがよっぽどえらいと思いますけど」
「へぇ、なんだかんだ、優しいんだな? ま、これで遠慮なく、その餓鬼どもも始末できるってわけだ」
悪びれもせずそう言ってのける迅に、姉妹が身をこわばらせる。
「できるものなら、やってみろ」
だが、すぐさま姉妹を背にかばった爽が、夜色の瞳で迅を射抜く。
「ハッ、威勢だけはいいことだな。それじゃあ、ご期待に応えようか」
何かが、来る。『それ』はおそらく、今までとは比べものにならないほど凄まじい『脅威』だと、早梅は直感した。
なぜなら、迅の周囲に、濃密な内功が渦巻いているから。
「血功──」
早梅たちが態勢をととのえる隙を、迅は与えなかった。
「『死屍涙涙』」
空高くへかざされた迅の両の手のひらから、血が弾け飛ぶ。
それは無数の血の矢となって、雨のごとく降り注いだ。
とっさに迎撃をこころみようとする早梅だが、それがまったく見当違いの行動であることを、その直後に思い知る。
早梅たちを襲うものと思われた雨のごとき血の矢は、はるか遠く、人影のまるでない岸辺に降り注いだのだ。
「さぁ、お楽しみはこれからだ。さっさと醒きろ、人形ども」
血の矢が突き刺さった地面に、突如、何かが突き出す。
「……なんだ、あれは…………人の、手?」
早梅の見間違いなどではなかった。まぎれもなく、人の手だった。
「……ウゥ…………ウァアアア…………!」
うめき声とともに、地中から『それ』が姿を現す。
土気色の肌に、落ちくぼんだ眼窩、襤褸をまとった、かろうじて人だと認識できるモノ。
脳天や、背、胸に血の矢が突き刺さり、そこから伸びる糸によって四肢を操られた死者たちが、次々と立ち上がる。
「陛下に言われたとおり、死体をただ燃やすのも、もったいないと思ってたんだよなぁ。こういうこともあろうかと、埋めといて正解だったぜ。再利用、再利用っと」
「貴様は、どこまでひとの命を弄べば気がすむのか……っ!」
事もなげに言ってのける迅に、早梅は腹の底から怒りがこみ上げるのを抑えられない。
「ざっと数えただけでも、百はいますね……それも、女性のご遺体が多いということは、やはり」
一心はそこで言葉を止めた。あまりの嫌悪感に、吐き気を催したためだ。
「あれは……朱華!」
そして、思わぬところから声が上げられる。
陳仙海が血相を変え、死者の群れへ向かって駆け出したのだ。
「ちょっとおじさん! 危ないでしょ! おとなしくしててよ!」
「お離しください! あそこにいるのは、朱華……わが娘なのです! 離してください、どうか、娘のもとにゆかせてください!」
陳仙海は、くすんだ朱色の襤褸をまとう傀儡へ向かって、手を伸ばしていた。
今に舞台から飛び降りようとする陳仙海を、八藍が押しとどめるも、陳仙海は明らかに取り乱しており、聞く耳を持たない。
「これはこれは、美しき家族愛だな。こっちに来たところで、何になる? 娘は死んでるのに?」
「朱華……どうして、なぜ……朱華……ぁあああ!!」
心ない迅の言葉に、陳仙海は泣き崩れた。
「妙だな……死後数か月以上がたっている死体にしては、腐敗があまり進んでいない。何か、細工をしているな」
「……蠱毒だよ」
紫月の疑問に答えたのは、狼族の姉妹だった。
「臓物を取り出して骨と皮だけにして、蠱毒を煮詰めた毒液に全身をひたらせたら、死体も、腐らなくなるの」
「蠱毒の使い方は……わたしたちが、教えた」
「なるほどな」
そうとだけ返す紫月。うつむいた姉妹が、ひざの上で握りしめたこぶしを、震わせる。
「わたしたちの、せいだ……」
「ごめん、なさい……」
「教えさせられたんだろう。謝らなくていい」
迅が姉妹に向かって「用済みだ」と言い放っていた意味を理解した爽は、すすり泣く姉妹の背をさする。
(目的のためならば、同族さえも利用する……迅は、そういう男なのだ)
どこまでも救いようのない、冷酷非情な男。
今さらながら、早梅は思い知る。
「迅」
「うん? なんだ、梅雪お嬢さま。俺と駆け落ちする気にでもなったかい?」
早梅に名を呼ばれた迅は、見るからに上機嫌になる。この期に及んで、愉快な脳のつくりをしていることだ。
「貴様は、『悪なる者』だ。今宵、ここで、断罪せねばならない」
「……っくく、はははっ! 梅雪お嬢さまが直々にもてなしてくれるのか? 嬉しいねぇ!」
からからと笑い飛ばす迅。
馬鹿に、されている。
か弱い女ごときに、何もできやしないのだと。
「百の死体どもを相手にしながら、あんたはどうやって俺を殺す? やってみせてくれないか、なぁ、梅雪お嬢さま!」
これは、挑発だ。心を乱してはならない。
冷静におのれを俯瞰することで、不思議と、身を掻きむしりたくなるような嫌悪感から、解放される。
しばし沈黙していた早梅の手に、そっとふれる手がある。
「梅雪お嬢さまは、お独りではありません。いつ何時も、それを忘れないでください」
「黒皇……うん」
私は、独りじゃない。だって、みんながいる。
胸に手を当て、黒皇の言葉を繰り返すうちに、じんとからだがあたたかくなる──
「って、あちちちっ! あっっっつ!」
比喩などではなかった。尋常でない熱を感じた早梅は、慌ててふところをさぐる。
「えっ、なになに……これって…………あっ」
早梅が夢中で取り出したのは、満月型の手鏡だった。
焼けるような熱を持った手鏡が、早梅の手を離れ、ふわりと宙へ浮く。
「宝玉が……」
紅玉、黄玉、翡翠、瑠璃、紫水晶。
手鏡に散りばめた宝玉の欠片が、きらきらと、五色の輝きを放っている。
──宝玉の霊力、それから、僕の力と想いを込めているので、離れていても、梅雪さまをお守りします。
早梅に手鏡を贈った少年は、そう言って、はにかんでいたか。
──カッ!
くるりと宙で回った手鏡が、迅へ向かって、輝きを放つ。
黄金の光が、太陽のごときまばゆさで、夜を照らす。
清かなそよ風にほほをなでられた気がして、早梅はそっと、まぶたをひらいた。
「──罪深き者。金瓏聖母のお怒りにふれた、咎人よ」
早梅は、瑠璃の瞳を極限まで見ひらいた。
目前に、それまでなかったはずの人影を認めたためだ。
いや、思わず息を飲んだのは、早梅だけではない。黒皇、そして、爽も。
「あなたが、梅雪さまに意地悪した、悪いひとですね?」
漆黒の衣をまとい、濡れ羽色の髪をなびかせる少年が、そこにいる。
少年が、髪と同じ濡れ羽色の翼で羽ばたくと──
「悪いやつは、お帰りくださーいっ!」
──ゴゥウッ!
金色の炎が、燃え上がる。
天にも届くのではないかという、すさまじい炎の柱が、早梅たちの視界を埋め尽くした。
「待って……?」
早梅はわなわなと唇を震わせながら、頭を抱える。
──もし嫌いなやつがいたら、この鏡をかざしてください。燃やしますので!
「燃やすってそういうことなの、黒慧!?」
これには、さすがの早梅も絶句。
現役バリバリの太陽さま、まさかのご登場である。
姉妹がそろって、こわごわと視線をずらす。
すると、そばに膝をついた爽が、同じ目線まで屈んでくれていることがわかった。
「人を殺めるのは、とても正気ではできないことだ。生きるために、心を殺してきたんだろう」
優しすぎるほどの声音に、姉妹がうつむく。
ちいさく、か細い肩は、小刻みに震えていた。
「……お父さんも、お母さんも、殺されちゃった……」
「わたしたちは弱いから、冥帝と冥王が、守ってくれたの……ずっといっしょにいてくれた、わたしたちの、お友だち……」
「でも、わたしたちにもできることがあるって、だれかの役に立てるって、おにいちゃんが、言ってたから……ううん、ちがう」
「なんにも考えないで……なんにも考えないようにしてた、わたしたちが、悪いです」
「わたしたちが、弱いのが、悪いです……」
「弱いのは、悪いことじゃない」
断言する爽。姉妹が、はっとしたように顔を上げた。
「大事なのは、これからどうするかだ。過ちを知ったなら、変われる。変わるために何ができるかを考えるだけで、弱い自分から一歩抜け出して、前に進める」
爽が両腕を伸ばす。びくりと肩を跳ねさせる姉妹だが、逃げるそぶりはない。
「ねぇ、知ってる? どんな雨でも、雪の日でも、雲の上には、おひさまがいるんだよ。でも、空を見上げなきゃ、おひさまには会えない」
魅入られたように、よっつの黒い瞳が、爽へ釘付けになる。
「このままうずくまっているか。それとも、おひさまに向かって手を伸ばすのか。きみたちは、どうしたい?」
爽は静かに、語りかける。
罪は消えなくても、償うことはできるはずだと。
おのれの意思を声にすることを、選択する自由を、提示してみせる。
選ぶのは、あくまで、彼女たち自身。
「……ごめん、なさい」
やっと紡がれた言葉は、消え入りそうなほど、弱々しかった。
だが、かぶりを振った姉は、もう一度、声を絞り出す。
「ごめんなさい……わたしたち、間違えました。いっぱい、いっぱい……!」
「いろんなひとに、ひどいこと、いっぱいしました……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
妹も、嗚咽をもらしながら、声を張り上げる。
「でも、いつもこわがって、おびえるだけなのは、もうやだ……!」
「わたしたちも、つよく、なりたい……かわりたい!」
姉妹は、差し伸べられた爽の手を取り、自分の意思を叫んだ。
「そうか」
爽は姉妹の言葉を噛みしめるように、ゆっくりとうなずく。そして、姉妹の手を力強く握り返すとともに、ぐっと腕を引いた。
引き寄せられた姉と妹が、爽の右肩と左肩に、もたれ込んだ。
「自分たちの力で、殻をやぶったんだな。よくがんばった。大丈夫、きみたちは、強くなれる」
ぽん、と頭に手を置いたかと思えば、やさしく、なでてきて。
ひだまりのような爽のぬくもりに包まれた姉妹の瞳から、ぼろぼろと、涙があふれ出す。
「う……うぅ……」
「うぁ……うわぁああん!」
すがりつき、泣きじゃくる姉妹を、爽はなでる。
そこにもう、言葉などは必要なかった。
抱きしめるぬくもりが、彼女たちを、もう孤独にはさせないのだから。
──ぱちぱち、と。
穏やかな夜の静けさを、乾いた拍手が打ち壊す。
「はいはい、お涙頂戴のすばらしいお芝居を、ありがとさんってね。同じ狼族だってのに、全然対応が違うじゃないか。おにーさん悲しくなっちゃうぞ、族長サマ?」
「気持ち悪いこと言わないでくれます? はなから反省する気のない下衆とあの子たちなら、あの子たちのほうがよっぽどえらいと思いますけど」
「へぇ、なんだかんだ、優しいんだな? ま、これで遠慮なく、その餓鬼どもも始末できるってわけだ」
悪びれもせずそう言ってのける迅に、姉妹が身をこわばらせる。
「できるものなら、やってみろ」
だが、すぐさま姉妹を背にかばった爽が、夜色の瞳で迅を射抜く。
「ハッ、威勢だけはいいことだな。それじゃあ、ご期待に応えようか」
何かが、来る。『それ』はおそらく、今までとは比べものにならないほど凄まじい『脅威』だと、早梅は直感した。
なぜなら、迅の周囲に、濃密な内功が渦巻いているから。
「血功──」
早梅たちが態勢をととのえる隙を、迅は与えなかった。
「『死屍涙涙』」
空高くへかざされた迅の両の手のひらから、血が弾け飛ぶ。
それは無数の血の矢となって、雨のごとく降り注いだ。
とっさに迎撃をこころみようとする早梅だが、それがまったく見当違いの行動であることを、その直後に思い知る。
早梅たちを襲うものと思われた雨のごとき血の矢は、はるか遠く、人影のまるでない岸辺に降り注いだのだ。
「さぁ、お楽しみはこれからだ。さっさと醒きろ、人形ども」
血の矢が突き刺さった地面に、突如、何かが突き出す。
「……なんだ、あれは…………人の、手?」
早梅の見間違いなどではなかった。まぎれもなく、人の手だった。
「……ウゥ…………ウァアアア…………!」
うめき声とともに、地中から『それ』が姿を現す。
土気色の肌に、落ちくぼんだ眼窩、襤褸をまとった、かろうじて人だと認識できるモノ。
脳天や、背、胸に血の矢が突き刺さり、そこから伸びる糸によって四肢を操られた死者たちが、次々と立ち上がる。
「陛下に言われたとおり、死体をただ燃やすのも、もったいないと思ってたんだよなぁ。こういうこともあろうかと、埋めといて正解だったぜ。再利用、再利用っと」
「貴様は、どこまでひとの命を弄べば気がすむのか……っ!」
事もなげに言ってのける迅に、早梅は腹の底から怒りがこみ上げるのを抑えられない。
「ざっと数えただけでも、百はいますね……それも、女性のご遺体が多いということは、やはり」
一心はそこで言葉を止めた。あまりの嫌悪感に、吐き気を催したためだ。
「あれは……朱華!」
そして、思わぬところから声が上げられる。
陳仙海が血相を変え、死者の群れへ向かって駆け出したのだ。
「ちょっとおじさん! 危ないでしょ! おとなしくしててよ!」
「お離しください! あそこにいるのは、朱華……わが娘なのです! 離してください、どうか、娘のもとにゆかせてください!」
陳仙海は、くすんだ朱色の襤褸をまとう傀儡へ向かって、手を伸ばしていた。
今に舞台から飛び降りようとする陳仙海を、八藍が押しとどめるも、陳仙海は明らかに取り乱しており、聞く耳を持たない。
「これはこれは、美しき家族愛だな。こっちに来たところで、何になる? 娘は死んでるのに?」
「朱華……どうして、なぜ……朱華……ぁあああ!!」
心ない迅の言葉に、陳仙海は泣き崩れた。
「妙だな……死後数か月以上がたっている死体にしては、腐敗があまり進んでいない。何か、細工をしているな」
「……蠱毒だよ」
紫月の疑問に答えたのは、狼族の姉妹だった。
「臓物を取り出して骨と皮だけにして、蠱毒を煮詰めた毒液に全身をひたらせたら、死体も、腐らなくなるの」
「蠱毒の使い方は……わたしたちが、教えた」
「なるほどな」
そうとだけ返す紫月。うつむいた姉妹が、ひざの上で握りしめたこぶしを、震わせる。
「わたしたちの、せいだ……」
「ごめん、なさい……」
「教えさせられたんだろう。謝らなくていい」
迅が姉妹に向かって「用済みだ」と言い放っていた意味を理解した爽は、すすり泣く姉妹の背をさする。
(目的のためならば、同族さえも利用する……迅は、そういう男なのだ)
どこまでも救いようのない、冷酷非情な男。
今さらながら、早梅は思い知る。
「迅」
「うん? なんだ、梅雪お嬢さま。俺と駆け落ちする気にでもなったかい?」
早梅に名を呼ばれた迅は、見るからに上機嫌になる。この期に及んで、愉快な脳のつくりをしていることだ。
「貴様は、『悪なる者』だ。今宵、ここで、断罪せねばならない」
「……っくく、はははっ! 梅雪お嬢さまが直々にもてなしてくれるのか? 嬉しいねぇ!」
からからと笑い飛ばす迅。
馬鹿に、されている。
か弱い女ごときに、何もできやしないのだと。
「百の死体どもを相手にしながら、あんたはどうやって俺を殺す? やってみせてくれないか、なぁ、梅雪お嬢さま!」
これは、挑発だ。心を乱してはならない。
冷静におのれを俯瞰することで、不思議と、身を掻きむしりたくなるような嫌悪感から、解放される。
しばし沈黙していた早梅の手に、そっとふれる手がある。
「梅雪お嬢さまは、お独りではありません。いつ何時も、それを忘れないでください」
「黒皇……うん」
私は、独りじゃない。だって、みんながいる。
胸に手を当て、黒皇の言葉を繰り返すうちに、じんとからだがあたたかくなる──
「って、あちちちっ! あっっっつ!」
比喩などではなかった。尋常でない熱を感じた早梅は、慌ててふところをさぐる。
「えっ、なになに……これって…………あっ」
早梅が夢中で取り出したのは、満月型の手鏡だった。
焼けるような熱を持った手鏡が、早梅の手を離れ、ふわりと宙へ浮く。
「宝玉が……」
紅玉、黄玉、翡翠、瑠璃、紫水晶。
手鏡に散りばめた宝玉の欠片が、きらきらと、五色の輝きを放っている。
──宝玉の霊力、それから、僕の力と想いを込めているので、離れていても、梅雪さまをお守りします。
早梅に手鏡を贈った少年は、そう言って、はにかんでいたか。
──カッ!
くるりと宙で回った手鏡が、迅へ向かって、輝きを放つ。
黄金の光が、太陽のごときまばゆさで、夜を照らす。
清かなそよ風にほほをなでられた気がして、早梅はそっと、まぶたをひらいた。
「──罪深き者。金瓏聖母のお怒りにふれた、咎人よ」
早梅は、瑠璃の瞳を極限まで見ひらいた。
目前に、それまでなかったはずの人影を認めたためだ。
いや、思わず息を飲んだのは、早梅だけではない。黒皇、そして、爽も。
「あなたが、梅雪さまに意地悪した、悪いひとですね?」
漆黒の衣をまとい、濡れ羽色の髪をなびかせる少年が、そこにいる。
少年が、髪と同じ濡れ羽色の翼で羽ばたくと──
「悪いやつは、お帰りくださーいっ!」
──ゴゥウッ!
金色の炎が、燃え上がる。
天にも届くのではないかという、すさまじい炎の柱が、早梅たちの視界を埋め尽くした。
「待って……?」
早梅はわなわなと唇を震わせながら、頭を抱える。
──もし嫌いなやつがいたら、この鏡をかざしてください。燃やしますので!
「燃やすってそういうことなの、黒慧!?」
これには、さすがの早梅も絶句。
現役バリバリの太陽さま、まさかのご登場である。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
【完結】帰れると聞いたのに……
ウミ
恋愛
聖女の役割が終わり、いざ帰ろうとしていた主人公がまさかの聖獣にパクリと食べられて帰り損ねたお話し。
※登場人物※
・ゆかり:黒目黒髪の和風美人
・ラグ:聖獣。ヒト化すると銀髪金眼の細マッチョ
【R18】××××で魔力供給をする世界に聖女として転移して、イケメン魔法使いに甘やかされ抱かれる話
もなか
恋愛
目を覚ますと、金髪碧眼のイケメン──アースに抱かれていた。
詳しく話を聞くに、どうやら、私は魔法がある異世界に聖女として転移をしてきたようだ。
え? この世界、魔法を使うためには、魔力供給をしなきゃいけないんですか?
え? 魔力供給って、××××しなきゃいけないんですか?
え? 私、アースさん専用の聖女なんですか?
魔力供給(性行為)をしなきゃいけない聖女が、イケメン魔法使いに甘やかされ、快楽の日々に溺れる物語──。
※n番煎じの魔力供給もの。18禁シーンばかりの変態度高めな物語です。
※ムーンライトノベルズにも載せております。ムーンライトノベルズさんの方は、題名が少し変わっております。
※ヒーローが変態です。ヒロインはちょろいです。
R18作品です。18歳未満の方(高校生も含む)の閲覧は、御遠慮ください。
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
転生先が羞恥心的な意味で地獄なんだけどっ!!
高福あさひ
恋愛
とある日、自分が乙女ゲームの世界に転生したことを知ってしまったユーフェミア。そこは前世でハマっていたとはいえ、実際に生きるのにはとんでもなく痛々しい設定がモリモリな世界で羞恥心的な意味で地獄だった!!そんな世界で羞恥心さえ我慢すればモブとして平穏無事に生活できると思っていたのだけれど…?※カクヨム様、ムーンライトノベルズ様でも公開しています。不定期更新です。タイトル回収はだいぶ後半になると思います。前半はただのシリアスです。
転生したので猫被ってたら気がつけば逆ハーレムを築いてました
市森 唯
恋愛
前世では極々平凡ながらも良くも悪くもそれなりな人生を送っていた私。
……しかしある日突然キラキラとしたファンタジー要素満載の異世界へ転生してしまう。
それも平凡とは程遠い美少女に!!しかも貴族?!私中身は超絶平凡な一般人ですけど?!
上手くやっていけるわけ……あれ?意外と上手く猫被れてる?
このままやっていけるんじゃ……へ?婚約者?社交界?いや、やっぱり無理です!!
※小説家になろう様でも投稿しています
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
王宮の片隅で、醜い王子と引きこもりライフ始めました(私にとってはイケメン)。
花野はる
恋愛
平凡で地味な暮らしをしている介護福祉士の鈴木美紅(20歳)は休日外出先で西洋風異世界へ転移した。
フィッティングルームから転移してしまったため、裸足だった美紅は、街中で親切そうなおばあさんに助けられる。しかしおばあさんの家でおじいさんに襲われそうになり、おばあさんに騙され王宮に売られてしまった。
王宮では乱暴な感じの宰相とゲスな王様にドン引き。
王妃様も優しそうなことを言っているが信用できない。
そんな中、奴隷同様な扱いで、誰もやりたがらない醜い第1王子の世話係をさせられる羽目に。
そして王宮の離れに連れて来られた。
そこにはコテージのような可愛らしい建物と専用の庭があり、美しい王子様がいた。
私はその専用スペースから出てはいけないと言われたが、元々仕事以外は引きこもりだったので、ゲスな人たちばかりの外よりここが断然良い!
そうして醜い王子と異世界からきた乙女の楽しい引きこもりライフが始まった。
ふたりのタイプが違う引きこもりが、一緒に暮らして傷を癒し、外に出て行く話にするつもりです。
私の婚約者は6人目の攻略対象者でした
みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
王立学園の入学式。主人公のクラウディアは婚約者と共に講堂に向かっていた。
すると「きゃあ!」と、私達の行く手を阻むように、髪色がピンクの女生徒が転けた。『バターン』って効果音が聞こえてきそうな見事な転け方で。
そういえば前世、異世界を舞台にした物語のヒロインはピンク色が定番だった。
確か…入学式の日に学園で迷って攻略対象者に助けられたり、攻略対象者とぶつかって転けてしまったところを手を貸してもらったり…っていうのが定番の出会いイベントよね。
って……えっ!? ここってもしかして乙女ゲームの世界なの!?
ヒロイン登場に驚きつつも、婚約者と共に無意識に攻略対象者のフラグを折っていたクラウディア。
そんなクラウディアが幸せになる話。
※本編完結済※番外編更新中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる