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第三章『焔魔仙教編』

第二百二十八話 蘇りし者【後】

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 一心イーシンマオ族をはじめとして、桃英タオインシアン憂炎ユーエン。そこへ、紫月ズーユェが加わった。
 臨戦態勢に入ったひとりひとりが、一騎当千のつわものだ。

「さすがの俺でも、こんだけ面倒なやつらを相手にするのは、骨が折れるぞ?」

 飄々ひょうひょうと戦況を掻き回して楽しんでいたシュンも、笑っている場合ではないことを認めた。

「せっかくの祭りの夜だってのに、物騒だなぁ」

 だが明らかな劣勢に立たされてなお、迅は慌てるそぶりを見せない。
 何かを、画策している。
 早梅はやめの直感が、そう主張している。

(慌てるな、早まってはいけない)

 先手を取ろうと、早梅たちがいた隙を狙っているのかもしれない。
 迅はまだ、最後の切り札を隠し持っているのだ。

(やつはどう動く? 正確に、確実に、見極めろ)

 早梅が瑠璃のまなざしを一身に注いだとき、こちらを見つめ返した迅が、にやりと笑った。
 直後、迅は瞬間的に身をひるがえす最中、何かを放る。
 月夜の空に、たちまち灰色の煙が立ち込めた。煙幕弾だ。

「野郎、逃がすかよ!」

 六夜リゥイが叫び、身の丈よりも長い鋼鉄の棍で、ヴン、と煙を薙ぎ払う。
 早梅は袖で鼻と口を保護しつつ、思考をめぐらせる。
 
(逃げるつもりなのか? 迅が?)

 いや、違う。
 自尊心の高いあの男が、尻尾を巻いて逃げ出す醜態をさらすとは思えない。となれば。

梅雪メイシェお嬢さま、失礼いたします」

 すぐさま、黒皇ヘイファンが早梅を抱き寄せ、周囲に視線を走らせた。
 煙幕で視界を奪い、早梅をさらおうとした前例もある。どこから現れてもおかしくはない迅を、警戒しているのだ。

 はたまた、迅が暗珠アンジュを狙う可能性もある。
 早梅をめぐって暗珠を目障りに思う迅が、疲弊した暗珠を放っておく理由がないからだ。

「殿下、ご無理はなさらずに」

 奥歯を噛みしめ、ぐぐ、と立ち上がろうとする暗珠を、爽が押しとどめた。
 蛇に咬まれた傷は止血をしたが、蠱毒はまだ体内に残っている。現状、もっとも重傷を負っているのは暗珠なのだ。

「……すみません」
「いいえ。御身のことを、第一にお考えください」

 爽は無防備な暗珠を背にかばい、黒皇同様、周囲を警戒する。
 だが、奇襲を予測していた早梅たちをよそに、戦況は思わぬ展開を見せる。

「はぁ、まさか『これ』を使う羽目になるとはな」

 やがて、早梅の視界を覆っていた煙が晴れたとき、迅の姿は、舞台をおりた岸辺にあった。
 やれやれと肩をすくめてみせるその足もとには、桃英の『月天翠雨げってんすいう』により瀕死の重傷を負った黒装束の仲間が、仰向けに倒れている。

「……うぐぅ……迅……」
「悪く思わないでくれよ、師兄にいさん」

 迅は、手にした剣を仲間の首すじに当てる。
 そして、躊躇なく刃を滑らせた。

 ぴしゃっと鮮血が飛び散る光景に、早梅は絶句する。
 むろん、早梅がいくら呆然と見つめようと、地面に倒れ伏した黒装束の男が動くことは、ない。

「まだ息のある仲間を、殺した、だと……」
「俺たちに勝ち目はないから、やけくそになって八つ当たり……ってわけじゃあないようだな」

 妙に木々がざわめき、水面が揺れている。
 ただならぬ気配を察知した紫月が、藍玉の瞳を細め、迅の一挙手一投足を注視する。

「俺のとっておきを見せてやろうか」

 迅がそう口にした、そのときだ。早梅はふと、違和感を覚える。

(左手を、怪我している……いつの間に?)

 迅の左の手掌部分が裂け、出血している。そのことに、早梅はようやく気づいたのだ。

「俺がそんな男どもより強いってことを、証明してやる。安心して俺に惚れてくれていいんだぜ? 梅雪お嬢さま」

 不敵な笑みを浮かべた迅は、右手に握った剣を、左手に持ち替える。そして刃に押し当てた右手を、ためらいなく滑らせた。
 ザシュ、と皮膚を切り裂く音とともに、今度は迅の右の手掌から、鮮血があふれ出す。

(まさか、わざと自分の両手を切り裂いたのか……なぜ!?)

 何か、良からぬことが起ころうとしている。
 身構える早梅へ、漆黒と翡翠、色違いのまなざしを寄越した迅が、笑った。
 迅はおもむろに、両手を目前へかざす。

血功けっこう──『髏絡ろうらく』」

 ぽとり、ぽとり。

 手掌の裂け目からしたたる紅いしずくが、苦悶の表情で息絶えた男の口内へ、吸い込まれゆく。

「さっさときろ、人形ども」

 不気味な静けさを挟み、ずるりと、衣ずれの音。
 それは、息絶えたはずの黒装束の男が、声もなく起き上がる音だった。
 さらにひとり、ふたりと、血まみれの男たちが、迅の前へ集結する。みな一様に、濁った瞳でどことも知れぬ虚空を見つめている。

「なっ……死者を、蘇らせたのか……!?」
「いいえ梅雪さん、あちらの方々からは、生気が感じられません。僕ら猫族と違って、人間が生き返ることはあり得ませんし」
「死人に変わりはないってなると……へぇ、なるほど」

 落ち着き払った一心の言葉を受け、紫月はほっそりとしたあごを、ひとなでする。
 夜目のきく猫族の優れた視覚が、男たちと迅をつなぐ『それ』の存在を捉えた。

「自分の血をよりあわせた内功で、死体を操っているのか」
「死体を、操る……!?」

 にわかには信じられない早梅であったが、紫月の推測どおりだった。注意深く目をこらして、迅の手のひらでうねる血が、細い糸のように伸び、生気のない男たちの手足につながっているさまを捉えることができた。

「俺と同じ『いと使い』ってわけか。いや、死体を人形のように操るのなら、傀儡師くぐつしと言ったほうが正しいか? どっちにしろ、胸くそ悪いやり方だがな」

 紫月は女人のごとく美しい顔立ちで、冷たく吐き捨てる。

「ははっ、傀儡師か。言い得て妙だなぁ。なら、おまえらも俺の人形にしてやろうか?」
「俺たち猫族を殺したところで、意味がないってことがわかんないの? 馬鹿なやつめ!」
「命がいくつもあるなら、要はおまえらが九回死ねばいいってことだろ。ハッ、殺し甲斐があるなぁ!」
八藍バーラン、下がれ!」

 迅の瞳が妖しく煌めいたのを、六夜は見逃さなかった。土を蹴った男のひとりが、一歩踏み込んでいた八藍の目前へ迫る。
 
「くっ、このっ!」

 六夜の声に反応した八藍は、すんでのところで、振り下ろされた剣をかわすことができた。
 が、はらりと黒髪のひとふさを切り落とされた八藍が顔をしかめるとき、剣のきっさきは、すでに八藍の頸動脈を捉えていた。

 ガキィンッ!

 鉄と鉄の衝突音がこだまし、火花が散る。
 八藍の首が飛ばされる寸前で、駆けつけた六夜の棍が、剣をはじき返したのだ。

「ふざけんのも、大概にしろよ!」

 六夜は身をひねる勢いもそのままに、八藍を襲った男の脇腹に蹴りを叩き込む。
 重い蹴りに吹き飛ばされた男のからだが、地面へ叩きつけられた。

「父さん!」
「こいつ、はやいぞ。たかが死体だと思ってなめんな。おまえは下がってろ」
「……ごめんなさい」
「こっちは父さんに任せとけ。おまえはおまえにできることをしろ」

 うつむく八藍の頭をわしゃ、となで、六夜は向き直る。

「死体とはいえ、すくなくとも、私や六夜と同等の戦力を持つようだ。八歌バーグェ、おまえは梅雪さまたちを」
「はい、お父さん」

 五音ウーオンへうなずき返した八歌が、八藍へ目配せをし、ふたりそろって早梅たちのもとへ舞い戻る。双子は、早梅たちの護衛についた。

な……妙な血のにおいだ。あの男、もしや」

 緊迫した戦況の行方を見つめる早梅の頭上で、ふいにつぶやきがある。
 柘榴色の瞳を険しく細めた憂炎の言葉なのだが、どうやら、何かに気づいたらしかった。

「猫族のみなさま、はりきっているところ申し訳ありませんが、お下がりください。即刻、です」
「あ? 俺たちじゃ、力不足だってか?」
「六夜、やめなさい」

 前へ歩み出る憂炎を、睨みつける六夜。剣呑な空気の中、一心が六夜の肩を押しとどめ、たしなめた。

「憂炎さま、何かお気づきで?」

 落ち着いた声音で、一心が問う。一拍を置いて、憂炎は重々しくうなずいた。

「えぇ。わたしの推測が正しければ、あの迅とかいう男……想像以上に、厄介な相手です。みなさまが相手をするのは、非常に危険かと」

 あの憂炎が、そこまで警戒し、危険視するなんて。

「何がわかったの? 憂炎」

 意を決して早梅が問いかけると、憂炎は流暢に答える。

「まず、紫月お兄さまもそうですが、血功の使い手は、特殊な『血』の持ち主であるという点。そして、あの男がまとっている『におい』……とても特徴的なものです。なぜ今まで気づかなかったのか、疑問なほどに」

 憂炎は燃える炎のごときまなざしで、くだんの男を見据える。
 そして、衝撃的な言葉は紡がれるのだ。

「人の『におい』がする。同時に、獣の『におい』もする……おまえ、半獣人か。それも、人間とラン族の混血だ」

 漆黒と翡翠、二色の瞳を煌めかせ、にやりと、迅はわらう。
 鋭い牙をのぞかせたその笑みは、まさに、獰猛な獣そのもの。
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