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第三章『焔魔仙教編』
第二百十五話 名も無き者【後】
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突然響きわたる、四宵の絶叫。
そのただならぬ異変に、早梅は戦慄した。
「なんだ……何が起きている!?」
巨大な氷柱に取り囲まれているせいで、桃英たちの様子をうかがい知ることができない。
「やはり、そうでしたか」
だというのに、一心は状況を理解したような口ぶりだった。
「早一族のみなさまが生まれながらに持つ体内毒を、『氷毒』……といいましたね。桃英さまは自身の血を、彼女に飲ませたのでしょう。おそらく、彼女の体内の蠱毒を滅するために」
「なんですって!?」
毒を以って毒を制す。なるほど、強力な毒性を持つ『氷毒』ならば、可能なことかもしれない。
だが『氷毒』は、即効性の致死毒だ。蠱毒を消し去ったところで、四宵が無事でいられるとは、とうてい思えない。
「おふたりを信じるのです。そして、いまの僕らにできることをしましょう」
「一心さま……」
悔しいけれど、一心の言うとおりだ。桃英と四宵のために早梅にできることは、何もなかった。
早梅は両手を組み、ひたすらに祈る。
どうか、ふたりが無事であるようにと。
「私は、私のなすべきことを」
やがて早梅は、静かにまぶたをひらく。
瑠璃の瞳で、目前にそびえ立つ黒装束の男たちを見据えて。
* * *
「あぁ、あぁあ……!」
「四宵」
「いやぁああッ!」
「大丈夫だ、四宵……大丈夫だから」
全身が凍りつく毒、『氷毒』。それが、四宵の体内に巣食う蠱毒を食い荒らさんと、猛威を奮っている。
四宵はいま、生きながらにして全身が凍てついてゆく恐怖に、苦しみ、悶えているのだ。
もがき、絶叫する四宵をきつく抱きしめながら、桃英はしきりにくり返していた。大丈夫だ、と。
「蠱毒に、忌まわしい呪いに打ち勝つんだ。君ならできる。私もそばにいる。生きよう、こんどは一緒に」
「っあ……」
ひたむきな桃英の呼びかけが届いたのだろうか。頭を掻きむしっていた四宵が、ぴたりと暴れるのをやめる。
「いき、る……」
「あぁ、そうだ。恐れるものなど何もない。家族がいるだろう?」
「か、ぞく……」
「桜雨も君に会いたがっている。だから」
呆ける四宵を引き寄せ、両腕に閉じ込めた桃英は、四宵の耳もとでささやく。
ふところから取り出した錫色の筆を、そっと、四宵へにぎらせて。
「私がそばにいる。君は独りじゃない──『紅娘』」
四宵の紫水晶の瞳が見ひらかれた刹那、まばゆい光が夜を駆け抜ける。
錫色の筆先から浮かび上がった光の文字が、くるくると宙を舞いながら、四宵の胸もとへ溶けていった。
「私が話しかけると、気恥ずかしそうにほほを染めてはにかむ君に、似合うと思って。気に入って、くれただろうか」
「あ……」
「紅娘……私だけが呼ぶ、君の名だ」
「……なまえ……そう、だわ……なまえ、私の、名前は……私は……っ!」
わなわなと唇を震わせ、四宵は紫水晶の瞳から涙をあふれさせる。けれどそれは、哀しみによるものではなく。
「桃英、桃英……っ! 思い出した……取り戻したわ、失くしたものを、ぜんぶ……っ!」
その瞳に桃英を映し出し、その声で、四宵は桃英の名を呼んだ。
「どうして、私を放っておいてくれないの……ばかっ……あなたは、本当に、ひどいひとだわ……桃英……っ!」
「……返す言葉もない」
はは、とちいさく笑い声をもらしながら、桃英は飛びつく華奢なからだを、両腕で抱きとめた。
「四宵……紅娘。私の、愛しい君」
「……うん」
「おかえり」
「っ、うんっ……!」
ずいぶんと遠回りをしたものだと、桃英はふと思った。
けれどここまでの道のりは、決して無駄ではなかった。
最愛の彼女を、もう一度抱きしめることができたのだ。
何を悔いることがあろうか。
「もう二度と、離さない……」
すがりつく四宵をかき抱きながら、桃英も、瞳からあふれる熱を堪えはしなかった。
きつく抱き合うふたりのそばで、音もなく、氷柱がとけゆく。
長い長い孤独な冬を越え、春がおとずれたかのように。
そのただならぬ異変に、早梅は戦慄した。
「なんだ……何が起きている!?」
巨大な氷柱に取り囲まれているせいで、桃英たちの様子をうかがい知ることができない。
「やはり、そうでしたか」
だというのに、一心は状況を理解したような口ぶりだった。
「早一族のみなさまが生まれながらに持つ体内毒を、『氷毒』……といいましたね。桃英さまは自身の血を、彼女に飲ませたのでしょう。おそらく、彼女の体内の蠱毒を滅するために」
「なんですって!?」
毒を以って毒を制す。なるほど、強力な毒性を持つ『氷毒』ならば、可能なことかもしれない。
だが『氷毒』は、即効性の致死毒だ。蠱毒を消し去ったところで、四宵が無事でいられるとは、とうてい思えない。
「おふたりを信じるのです。そして、いまの僕らにできることをしましょう」
「一心さま……」
悔しいけれど、一心の言うとおりだ。桃英と四宵のために早梅にできることは、何もなかった。
早梅は両手を組み、ひたすらに祈る。
どうか、ふたりが無事であるようにと。
「私は、私のなすべきことを」
やがて早梅は、静かにまぶたをひらく。
瑠璃の瞳で、目前にそびえ立つ黒装束の男たちを見据えて。
* * *
「あぁ、あぁあ……!」
「四宵」
「いやぁああッ!」
「大丈夫だ、四宵……大丈夫だから」
全身が凍りつく毒、『氷毒』。それが、四宵の体内に巣食う蠱毒を食い荒らさんと、猛威を奮っている。
四宵はいま、生きながらにして全身が凍てついてゆく恐怖に、苦しみ、悶えているのだ。
もがき、絶叫する四宵をきつく抱きしめながら、桃英はしきりにくり返していた。大丈夫だ、と。
「蠱毒に、忌まわしい呪いに打ち勝つんだ。君ならできる。私もそばにいる。生きよう、こんどは一緒に」
「っあ……」
ひたむきな桃英の呼びかけが届いたのだろうか。頭を掻きむしっていた四宵が、ぴたりと暴れるのをやめる。
「いき、る……」
「あぁ、そうだ。恐れるものなど何もない。家族がいるだろう?」
「か、ぞく……」
「桜雨も君に会いたがっている。だから」
呆ける四宵を引き寄せ、両腕に閉じ込めた桃英は、四宵の耳もとでささやく。
ふところから取り出した錫色の筆を、そっと、四宵へにぎらせて。
「私がそばにいる。君は独りじゃない──『紅娘』」
四宵の紫水晶の瞳が見ひらかれた刹那、まばゆい光が夜を駆け抜ける。
錫色の筆先から浮かび上がった光の文字が、くるくると宙を舞いながら、四宵の胸もとへ溶けていった。
「私が話しかけると、気恥ずかしそうにほほを染めてはにかむ君に、似合うと思って。気に入って、くれただろうか」
「あ……」
「紅娘……私だけが呼ぶ、君の名だ」
「……なまえ……そう、だわ……なまえ、私の、名前は……私は……っ!」
わなわなと唇を震わせ、四宵は紫水晶の瞳から涙をあふれさせる。けれどそれは、哀しみによるものではなく。
「桃英、桃英……っ! 思い出した……取り戻したわ、失くしたものを、ぜんぶ……っ!」
その瞳に桃英を映し出し、その声で、四宵は桃英の名を呼んだ。
「どうして、私を放っておいてくれないの……ばかっ……あなたは、本当に、ひどいひとだわ……桃英……っ!」
「……返す言葉もない」
はは、とちいさく笑い声をもらしながら、桃英は飛びつく華奢なからだを、両腕で抱きとめた。
「四宵……紅娘。私の、愛しい君」
「……うん」
「おかえり」
「っ、うんっ……!」
ずいぶんと遠回りをしたものだと、桃英はふと思った。
けれどここまでの道のりは、決して無駄ではなかった。
最愛の彼女を、もう一度抱きしめることができたのだ。
何を悔いることがあろうか。
「もう二度と、離さない……」
すがりつく四宵をかき抱きながら、桃英も、瞳からあふれる熱を堪えはしなかった。
きつく抱き合うふたりのそばで、音もなく、氷柱がとけゆく。
長い長い孤独な冬を越え、春がおとずれたかのように。
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