上 下
217 / 263
第三章『焔魔仙教編』

第二百十三話 琵琶を奏でるは【後】

しおりを挟む
(『空間支配能力』……私たちが地下牢からここへ連れてこられたのも、摩訶不思議な力によるものだった)

 努めて冷静になり、思い返す早梅はやめは、とあることを思い出した。

(そうだ、あのとき、琵琶の音が聞こえた……!)

 そして、つい先ほども。

 意識を集中させて首をめぐらせた早梅は、やがて舞台の奥、蓮池の対岸で、木陰に身をひそめた人影を捉える。

 ベン、ベン……

 琵琶の音は、外套に身を包み、笠をまぶかにかぶったその人物が奏でるものだ。

(どこか、似ている……けれど、違う)

 琵琶の音に懐かしさのようなものを感じたのも、一瞬の夢だった。
 幼いころ、こちらがせがむと、飽くほどに琵琶を聴かせてくれた最愛の彼は、この世にはもういないのだから。
 早梅は唇を噛みしめ、静かにかぶりを振る。

一心イーシンさま、あちらの琵琶奏者が、私たちをここへ連れてきた妙な術の使い手かもしれません」

 警戒を、と続けようとして、早梅は異変に気づく。
 琥珀の双眸を見ひらいた一心が、くだんの奏者を凝視していたのだ。

「この音色は……」
「一心さま……?」

 様子を一変させたのは、一心だけではなかった。

「まさか……そんなことが、あるのか」
「お父さままで、どうなされたのですか……?」

 驚くべきことに、桃英タオインが動揺を見せていた。
 どんなときも冷静沈着だった桃英が、だ。
 だが瑠璃の瞳を極限まで見ひらき、唇をわなわなと震わせている桃英のすがたは、幻覚ではない。

「間違うはずがない。この琵琶の音は、たしかに……っ!」
「お父さまっ!?」

 うわ言のようにこぼしていた桃英が、ついにたまりかねたように、土を蹴る。
 桃英に、早梅の呼び声は聞こえていなかった。
 水面を蹴り、小舟を蹴り、広大な蓮池を疾走する。

早桃英ザオタオインだな」
「邪魔だてするな!」

 黒装束の男が行く手を阻むも、かっと眼を見ひらいた桃英が、純白の剣で薙ぎ払う。
 刃が男を捉えることは、やはりなかった。
 が、煙のごとく消え失せた男に目もくれず、桃英は闇夜を駆ける。

 早梅は、あっけに取られていた。
 ここまで激情を剥き出しにする桃英を、はじめて目の当たりにしたためだ。

「お父さま、いったいどうして……?」

 早梅は困惑の末に、その答えを、知ることになる。

 とっ……と、対岸に降り立つ桃英。
 桃英はそれまでの高ぶりを嘘のようにひそめ、静かなまなざしで、木陰に腰をおろした人物を見つめる。
 ゆるやかに奏でられていた琵琶の音が、止んだ。

 長い長い、沈黙が流れる。
 早梅たちが息を飲んで見守る中、絞り出すように、桃英が言葉を紡いだ。

「……君なのか」

 桃英の問いに、琵琶を抱く人物は、答えない。
 わずかに、首をかしげるのみだ。
『何を言っているのか』と、言外に問い返すように。

「──ッ!」

 一歩、桃英が踏み込む。

 ぱさり、と。

 桃英の右手に叩き払われた笠が、地面へ落ちた。
 そして早梅は、言葉を失う。

 琵琶を抱く人物。あらわになった素顔は、紫水晶の瞳をした、美しい女性だった。
 その髪は、すず色。そう、ちょうど、桃英が後生大事にふところへしまっていた一本の筆と、おなじ色。

 彼女を目にするのは、はじめてだ。
 だがその面影を、早梅は知っていた。

「あぁ……!」

 感嘆をもらした桃英が、崩れ落ちるようにひざをつく。
 そして、琵琶を抱く女性の手に、歓喜で打ち震える手をかさねた。

「生きていたのか、四宵スーシャオ……っ! 私の……愛しい……」

 一瞬の沈黙。
 直後、ぱしんと、乾いた音が響く。

 女性を抱きしめようとした桃英の手は、無情にも、叩き払われた。

「私に、人間の知人はおりません」
「……何を、言っている、四宵」
「私は、そのような名ではありません」

 女性はわずかばかり桃英を見上げ、こう続ける。

「私は、呼ばれる名すらもたない、がらくたです」

 それは、呆然と立ち尽くす桃英に対する、容赦ない追い討ちにほかならなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】××××で魔力供給をする世界に聖女として転移して、イケメン魔法使いに甘やかされ抱かれる話

もなか
恋愛
目を覚ますと、金髪碧眼のイケメン──アースに抱かれていた。 詳しく話を聞くに、どうやら、私は魔法がある異世界に聖女として転移をしてきたようだ。 え? この世界、魔法を使うためには、魔力供給をしなきゃいけないんですか? え? 魔力供給って、××××しなきゃいけないんですか? え? 私、アースさん専用の聖女なんですか? 魔力供給(性行為)をしなきゃいけない聖女が、イケメン魔法使いに甘やかされ、快楽の日々に溺れる物語──。 ※n番煎じの魔力供給もの。18禁シーンばかりの変態度高めな物語です。 ※ムーンライトノベルズにも載せております。ムーンライトノベルズさんの方は、題名が少し変わっております。 ※ヒーローが変態です。ヒロインはちょろいです。 R18作品です。18歳未満の方(高校生も含む)の閲覧は、御遠慮ください。

異世界転移したら、推しのガチムチ騎士団長様の性癖が止まりません

冬見 六花
恋愛
旧題:ロングヘア=美人の世界にショートカットの私が転移したら推しのガチムチ騎士団長様の性癖が開花した件 異世界転移したアユミが行き着いた世界は、ロングヘアが美人とされている世界だった。 ショートカットのために醜女&珍獣扱いされたアユミを助けてくれたのはガチムチの騎士団長のウィルフレッド。 「…え、ちょっと待って。騎士団長めちゃくちゃドタイプなんですけど!」 でもこの世界ではとんでもないほどのブスの私を好きになってくれるわけない…。 それならイケメン騎士団長様の推し活に専念しますか! ―――――【筋肉フェチの推し活充女アユミ × アユミが現れて突如として自分の性癖が目覚めてしまったガチムチ騎士団長様】 そんな2人の山なし谷なしイチャイチャエッチラブコメ。 ●ムーンライトノベルズで掲載していたものをより糖度高めに改稿してます。 ●11/6本編完結しました。番外編はゆっくり投稿します。 ●11/12番外編もすべて完結しました! ●ノーチェブックス様より書籍化します!

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた

愛丸 リナ
恋愛
 少女は綺麗過ぎた。  整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。  最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?  でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。  クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……  たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた  それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない ______________________________ ATTENTION 自己満小説満載 一話ずつ、出来上がり次第投稿 急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする 文章が変な時があります 恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定 以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】ヤンデレ設定の義弟を手塩にかけたら、シスコン大魔法士に育ちました!?

三月よる
恋愛
14歳の誕生日、ピフラは自分が乙女ゲーム「LOVE/HEART(ラブハート)」通称「ラブハ」の悪役である事に気がついた。シナリオ通りなら、ピフラは義弟ガルムの心を病ませ、ヤンデレ化した彼に殺されてしまう運命。生き残りのため、ピフラはガルムのヤンデレ化を防止すべく、彼を手塩にかけて育てる事を決意する。その後、メイドに命を狙われる事件がありながらも、良好な関係を築いてきた2人。 そして10年後。シスコンに育ったガルムに、ピフラは婚活を邪魔されていた。姉離れのためにガルムを結婚させようと、ピフラは相手のヒロインを探すことに。そんなある日、ピフラは謎の美丈夫ウォラクに出会った。彼はガルムと同じ赤い瞳をしていた。そこで「赤目」と「悪魔と黒魔法士」の秘密の相関関係を聞かされる。その秘密が過去のメイド事件と重なり、ピフラはガルムに疑心を抱き始めた。一方、ピフラを監視していたガルムは自分以外の赤目と接触したピフラを監禁して──?

処理中です...