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第三章『焔魔仙教編』
第百九十九話 宵にまたたく【後】
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「百合の香りがする花煙草だよ! たったの十銭だ!」
「そこの美人な奥さん、南部から仕入れた反物はいかがですかー?」
落日の街。一斉にともった灯籠が、大通りを橙色に照らす。
ここ燈角で年に一度おこなわれる祭りは、大にぎわいを見せていた。
「見渡す限りの人、人、人でごった返してんな。昼間より増えてねぇか? どっから湧いてんだよ」
とある料理屋の軒先にて。大通りの様子を確認した六夜は肩をすくめながら、暖簾をくぐり、店のなかへ戻る。
店の最奥では、一般客にまぎれ、猫族が機会をうかがっていた。
「そっちはどうだ、八藍」
「ん……ばっちり。ちょうど今『きた』ところ」
六夜が声をかけると、卓につき、何事か考え込むように沈黙していた息子、八藍が、おもむろにまぶたをひらく。
八藍の右手には、箸ではなく、一本の筆がにぎられている。
「太守さまの別邸こと、羅皇室離宮は、だいたいこんな感じの構造」
料理皿を端に追いやり、卓にひろげられた料紙へ、八藍はすらすらと筆を走らせる。
その様子を、向かいの席についた桃英は、瑠璃の瞳に丸みをおびさせながら見つめた。
「おどろいたな……この情報は、どこから?」
「九詩ですよ。『心を以て心を伝う』──八藍、九詩たち双子は、離れた場所にいても意思疎通ができる能力をもっているんです」
桃英の問いに、おなじく卓についた一心が答える。
一心のかたわらで、ひとつうなずいた五音が、次いで口をひらいた。
「梅雪さまたちに九詩を同行させたのは、内部から調査した離宮の構造を、八藍を通して、こちらへ伝えてもらうためだったのです。この地図はなかなか良いものですよ。細部まで詳細に記されている。黒皇が一役買ってくれたのかもしれませんね」
「八藍、ほかに九詩からの情報はあるかい?」
「はーい一心さま、聞いてみるね。ちょっと待って。んー……へぇ……なるほど」
筆を止め、しばしまぶたを閉じる八藍。
やがて、八藍が九詩から受け取ったという情報をまとめると、こうだ。
離宮には、本日に限り、特別に一般市民に開放された場所がある。
一方で、桁違いに警備が強化されている箇所があると。
「西側の外門から入ってすぐ、石畳の通りは露店を出すことが許可されていて、だれでも自由に出入りができるんだって」
「祭りに際して門がひらかれたとなれば、『目くらまし』が目的か」
「えぇ、さすがは桃英さまですね。『太守の別邸』には広大な蓮池の名所があり、これを一目見ようと、毎年『龍宵節』には燈角の街のひとびとが殺到すると聞きます。この人だかりに乗じて、闇市に参加する『客人』の入出管理をおこなっているものではないかというのが、僕の推測です」
「たぶんそう。露店通りの向こう、長い長い三千階段をのぼった先にもうひとつ、太守がお住まいの本殿へと続く門があって、そこの警備がすごく厳しいみたい。素っ裸にされる勢いで検問されたって、九詩が文句言ってる」
「本殿へと続く門、か。太守の居住区画ともなれば、部外者を厳しく取り締まる理由も理解できるが」
「十中八九、闇市がおこなわれる場所ってのは、その門の向こう側で決まりだな」
六夜の言葉が、この場にいる全員の見解として一致した。
そこへ、さらに八藍が続ける。
「内側の門をくぐってから、配置された警備兵の数は、百。二人から五人一組になって、東西南北を交代で見回りしてる。ひとりでほっつき歩いてる警備兵は、怠けてる雑魚」
「はっ、一回厳しく検問しちまえば大丈夫だろって、余裕ぶっこいた阿呆もいるってか。舐めてくれるぜ」
「ちなみに、警備兵の配置には偏りがあって、本殿と、なぜか北東にある離れに、やたら人数が割かれてる。あ、あと四半刻で警備も交代の時間だから、奇襲に最適だってさ」
「おう、めちゃくちゃ詳しいな」
「検問されたときに、警備兵のふところから交代票をスッたんだって。爽さんが」
「やるじゃん、黒皇弟」
「となると、僕たちも動きやすくなるね。行けそうかな、五音?」
「もちろんです、一心さま」
間髪を容れず一心へ返す五音は、自信に満ちあふれた表情だ。
「『なぜか警備が強化された北東の離れ』──承知いたしました。ではみなさまに存分に動いていただけるよう、わたくし五音が、僭越ながら、魁をつとめさせていただきます」
「ときに、五音殿。如何にして、警備の厳しい内門を突破されるおつもりか」
今回の作戦において、一番の懸念はそこだ。
最初にして最大の難関。一騎当千の猛者だとはいうが、五音がどのような策を講じているのか、その仔細を、桃英はいまだに知らされていない。
桃英の疑問に答えたのは、意外にも一心だった。
「あぁ桃英さま、ご心配なく。真正面から行くのも面白くないですし、ちょっと趣向をこらしましょう」
「……一心殿?」
「ふふ、突然得体の知れない侵入者がお屋敷のど真ん中から降ってわいたら、度肝を抜かれると思いませんか?」
まさか、そんなことができるものか。
だが、目前で浮かべられた笑みが、「あり得ない」と、桃英が否定するすべを奪った。
「お任せください。僕が五音たちを『お見送り』しますので」
静かに椅子から立ち上がった一心は、卓上にひろげられた地図を、指先でなぞる。
その折、細められた琥珀色の双眸は、妖しげな輝きを放っていた。
「そこの美人な奥さん、南部から仕入れた反物はいかがですかー?」
落日の街。一斉にともった灯籠が、大通りを橙色に照らす。
ここ燈角で年に一度おこなわれる祭りは、大にぎわいを見せていた。
「見渡す限りの人、人、人でごった返してんな。昼間より増えてねぇか? どっから湧いてんだよ」
とある料理屋の軒先にて。大通りの様子を確認した六夜は肩をすくめながら、暖簾をくぐり、店のなかへ戻る。
店の最奥では、一般客にまぎれ、猫族が機会をうかがっていた。
「そっちはどうだ、八藍」
「ん……ばっちり。ちょうど今『きた』ところ」
六夜が声をかけると、卓につき、何事か考え込むように沈黙していた息子、八藍が、おもむろにまぶたをひらく。
八藍の右手には、箸ではなく、一本の筆がにぎられている。
「太守さまの別邸こと、羅皇室離宮は、だいたいこんな感じの構造」
料理皿を端に追いやり、卓にひろげられた料紙へ、八藍はすらすらと筆を走らせる。
その様子を、向かいの席についた桃英は、瑠璃の瞳に丸みをおびさせながら見つめた。
「おどろいたな……この情報は、どこから?」
「九詩ですよ。『心を以て心を伝う』──八藍、九詩たち双子は、離れた場所にいても意思疎通ができる能力をもっているんです」
桃英の問いに、おなじく卓についた一心が答える。
一心のかたわらで、ひとつうなずいた五音が、次いで口をひらいた。
「梅雪さまたちに九詩を同行させたのは、内部から調査した離宮の構造を、八藍を通して、こちらへ伝えてもらうためだったのです。この地図はなかなか良いものですよ。細部まで詳細に記されている。黒皇が一役買ってくれたのかもしれませんね」
「八藍、ほかに九詩からの情報はあるかい?」
「はーい一心さま、聞いてみるね。ちょっと待って。んー……へぇ……なるほど」
筆を止め、しばしまぶたを閉じる八藍。
やがて、八藍が九詩から受け取ったという情報をまとめると、こうだ。
離宮には、本日に限り、特別に一般市民に開放された場所がある。
一方で、桁違いに警備が強化されている箇所があると。
「西側の外門から入ってすぐ、石畳の通りは露店を出すことが許可されていて、だれでも自由に出入りができるんだって」
「祭りに際して門がひらかれたとなれば、『目くらまし』が目的か」
「えぇ、さすがは桃英さまですね。『太守の別邸』には広大な蓮池の名所があり、これを一目見ようと、毎年『龍宵節』には燈角の街のひとびとが殺到すると聞きます。この人だかりに乗じて、闇市に参加する『客人』の入出管理をおこなっているものではないかというのが、僕の推測です」
「たぶんそう。露店通りの向こう、長い長い三千階段をのぼった先にもうひとつ、太守がお住まいの本殿へと続く門があって、そこの警備がすごく厳しいみたい。素っ裸にされる勢いで検問されたって、九詩が文句言ってる」
「本殿へと続く門、か。太守の居住区画ともなれば、部外者を厳しく取り締まる理由も理解できるが」
「十中八九、闇市がおこなわれる場所ってのは、その門の向こう側で決まりだな」
六夜の言葉が、この場にいる全員の見解として一致した。
そこへ、さらに八藍が続ける。
「内側の門をくぐってから、配置された警備兵の数は、百。二人から五人一組になって、東西南北を交代で見回りしてる。ひとりでほっつき歩いてる警備兵は、怠けてる雑魚」
「はっ、一回厳しく検問しちまえば大丈夫だろって、余裕ぶっこいた阿呆もいるってか。舐めてくれるぜ」
「ちなみに、警備兵の配置には偏りがあって、本殿と、なぜか北東にある離れに、やたら人数が割かれてる。あ、あと四半刻で警備も交代の時間だから、奇襲に最適だってさ」
「おう、めちゃくちゃ詳しいな」
「検問されたときに、警備兵のふところから交代票をスッたんだって。爽さんが」
「やるじゃん、黒皇弟」
「となると、僕たちも動きやすくなるね。行けそうかな、五音?」
「もちろんです、一心さま」
間髪を容れず一心へ返す五音は、自信に満ちあふれた表情だ。
「『なぜか警備が強化された北東の離れ』──承知いたしました。ではみなさまに存分に動いていただけるよう、わたくし五音が、僭越ながら、魁をつとめさせていただきます」
「ときに、五音殿。如何にして、警備の厳しい内門を突破されるおつもりか」
今回の作戦において、一番の懸念はそこだ。
最初にして最大の難関。一騎当千の猛者だとはいうが、五音がどのような策を講じているのか、その仔細を、桃英はいまだに知らされていない。
桃英の疑問に答えたのは、意外にも一心だった。
「あぁ桃英さま、ご心配なく。真正面から行くのも面白くないですし、ちょっと趣向をこらしましょう」
「……一心殿?」
「ふふ、突然得体の知れない侵入者がお屋敷のど真ん中から降ってわいたら、度肝を抜かれると思いませんか?」
まさか、そんなことができるものか。
だが、目前で浮かべられた笑みが、「あり得ない」と、桃英が否定するすべを奪った。
「お任せください。僕が五音たちを『お見送り』しますので」
静かに椅子から立ち上がった一心は、卓上にひろげられた地図を、指先でなぞる。
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