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第三章『焔魔仙教編』
第百九十四話 嵐の前の昼下がり【前】
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「遅ればせながら、おはようございます、梅雪お嬢さま」
「おそようございます」
「申し上げたいことはいろいろとあるのですが」
「は、はい」
「とりあえず、仕舞われてください」
「しま……へっ、ちょっ、へいふぁ……むぐっ!」
そういえば、昨晩おやすみを言ってから顔を合わせていないなぁと思いだした、昼下がりのこと。
庭で見つけた愛烏もとい黒皇に、一歩で距離を詰められ、その黒い袍の袖で囲われる。
かくして、黒皇の腕のなかに問答無用で仕舞われてしまった早梅である。
「私がなぜ怒っているのか、おわかりですよね」
「え、えぇっと……」
「青風真君と添い寝をなさった理由と、猫族のみなさまと『なに』があったのかは総じて把握済みですので、あしからず」
「ひぃっ……ごめんよぉっ……!」
どうしよう、心当たりがありすぎるぞと返答にまごついていたら、流暢な追及を食らってしまった。
詳細を知らされないまま子守りを任された一晩のうちに、早梅が陰湿糞下衆野郎と巷で話題の皇帝陛下に、陸でも海でもなく夢経路で殴り込みに行き、かと思えば猫三匹に朝っぱらから手篭めにされていたのだ。
それらすべてを事後報告されたのだから、さすがの黒皇も堪忍袋の緒が切れた次第である。
「ぷっははは! あのすまし顔黒皇が拗ねてやがる! あ~いい気分!」
「おやおや。私の花妻を、あまりいじめないでくださいね」
「お先に失礼してるよ、黒皇~」
「そこの猫さま方! ちょっと一発殴らせてください!」
ふてくされた黒皇を相手にしているだけでもたいへんなのに、さらに煽る六夜、五音、一心たち。
もしかしなくても、男女のアレソレを嬉々として言いふらしたであろう彼らのせいである。
「いけません。それでは一心さまたちの思うつぼになるのがおわかりになりませんか、お嬢さま」
「あうあうあう」
これは、早梅へ向かってにこやかに腕をひろげている猫たちを目にし、さらに眉間のしわを深くした黒皇の言葉だ。
抱く腕の力が強まり、絞め殺されるのかと、早梅はわりと本気で危機感をおぼえた。
「皇兄上がこんなに怒るなんて……すごいです」
「そこ感心するとこじゃないよ、爽」
一連の出来事を、夜色の瞳をまたたかせながら見守っていた爽に、早梅のツッコミが炸裂する。
爽としては、黒皇がここまで感情を乱すほど早梅をたいせつにしていることに、感動しただけなのだが。
早梅たちがわちゃわちゃとさわぐ一方で、庭の片隅に、神妙な面持ちをした暗珠がいた。
「……蓮虎」
強ばった声音で、のぞき込んだ赤ん坊の名を呼ぶ。
暗珠とおなじ緋色の瞳をぱちくりさせた蓮虎は、一変。
「うぅ……やぁああ!」
「なっ、なんだ、どうした!?」
「やぁ、やぁあああ~! まぁま~、ふぁんふぁ~ん!」
「あだぁっ!」
うりゅっと瞳を潤ませた蓮虎が、わんわんと泣きだす。
その拍子にバタつかせたちいさい手に顔面をはたかれ、二重の意味で暗珠はダメージを食らった。
「こいつぁ傑作だ! 弟に嫌われてやがる! ぎゃははははっ!」
「なっ、なんで! なにもしてないのに……!」
「やぁあ! うぁあああん!」
「おーよしよし蓮蓮、大じぃじがいいこいいこしてやろうな~」
蓮虎が暗珠を嫌がったことが、よほど愉快だったのだろう。
ゲラゲラと笑い飛ばしたかと思えば、晴風が抱っこした泣き虫坊主を猫なで声であやす。
これみよがしに祖先の立場を見せつける晴風に、「解せない……!」と暗珠は歯ぎしりをした。
「はっ、うちの子が泣いている! ただちに急行せねば!」
「かしこまりました。すぐに」
「って離してくれないんかーいっ!」
早梅をひょいと横抱きにした黒皇が、颯爽と泣き声のひびく庭の片隅へ駆けてゆく。
なにがあろうと早梅を手放さないさまは、もはや手遅れ……いや、筋金入りだ。なにがとは言わないが。
「小蓮、まぁまとふぁんふぁんが来たよ~」
とうとう早梅も開きなおり、すこしゆるめられた黒皇の腕から手を伸ばしながら、にっこりと蓮虎に笑いかける。やけくそと言ってはいけない。
「んぅ……まぁま、ふぁんふぁん!」
「はーい、おいでおいで~」
「きゃっ、きゃっ!」
さすがといったところか。晴風から早梅へうつった蓮虎は、母の胸のなかで無邪気に笑っていた。直前まで泣きわめいていたことなど、けろっと忘れている。
ちなみに現在、蓮虎を抱いた早梅を、黒皇が抱いているという構図である。
つくづくのこの烏、手放そうとしない。
「なんでだ、意味がわかりません。落ち込みました、慰めてください」
その瞬間、ニヤニヤとながめていた晴風に戦慄が走る。
涙目でむっとした表情の暗珠が、スタスタと早梅へ歩み寄り、すとんともたれかかったからである。
「あれ? クラ……じゃなかった殿下、どうしちゃったのかしら……?」
「殿下とか皇子とかもうどうでもいいです、俺すっごい悲しいので慰めてください、ハヤ……梅雪さん」
「あ、そういう設定でいく感じ?」
素の口調になってしまっている暗珠を前にして、早梅も遅れて状況を理解した。
ここは話を合わせるのが、優しさというものだろう。
「まぁまぁ。小蓮は人見知りだけど、すぐ仲良くなれるよ~」
「ぐす……梅雪さぁん」
右腕で蓮虎を抱きながら、左手で暗珠の頭をなでる早梅に、「梅雪さまは器用なんですね」とどこかずれた感心をする爽。
にっこりと笑顔を浮かべながらも、どこか冷え冷えとした空気をただよわせる一心、六夜、五音ら猫族。
「いや、おまえだれだよ」
そして思わずツッコんだ晴風は、最後にどうしてもこれだけは言っておきたかった。
「どさくさにまぎれて、梅梅に抱きついてんじゃねーっ!」
「お嬢さま、おぼっちゃま、おやつの時間にしましょうか」
面倒な気配を察知した黒皇は、早梅と蓮虎を抱き直し、颯爽ときびすを返す。
こうして、早梅のこころの平穏は守られた。
安心と信頼の愛烏の、大勝利である。
「おそようございます」
「申し上げたいことはいろいろとあるのですが」
「は、はい」
「とりあえず、仕舞われてください」
「しま……へっ、ちょっ、へいふぁ……むぐっ!」
そういえば、昨晩おやすみを言ってから顔を合わせていないなぁと思いだした、昼下がりのこと。
庭で見つけた愛烏もとい黒皇に、一歩で距離を詰められ、その黒い袍の袖で囲われる。
かくして、黒皇の腕のなかに問答無用で仕舞われてしまった早梅である。
「私がなぜ怒っているのか、おわかりですよね」
「え、えぇっと……」
「青風真君と添い寝をなさった理由と、猫族のみなさまと『なに』があったのかは総じて把握済みですので、あしからず」
「ひぃっ……ごめんよぉっ……!」
どうしよう、心当たりがありすぎるぞと返答にまごついていたら、流暢な追及を食らってしまった。
詳細を知らされないまま子守りを任された一晩のうちに、早梅が陰湿糞下衆野郎と巷で話題の皇帝陛下に、陸でも海でもなく夢経路で殴り込みに行き、かと思えば猫三匹に朝っぱらから手篭めにされていたのだ。
それらすべてを事後報告されたのだから、さすがの黒皇も堪忍袋の緒が切れた次第である。
「ぷっははは! あのすまし顔黒皇が拗ねてやがる! あ~いい気分!」
「おやおや。私の花妻を、あまりいじめないでくださいね」
「お先に失礼してるよ、黒皇~」
「そこの猫さま方! ちょっと一発殴らせてください!」
ふてくされた黒皇を相手にしているだけでもたいへんなのに、さらに煽る六夜、五音、一心たち。
もしかしなくても、男女のアレソレを嬉々として言いふらしたであろう彼らのせいである。
「いけません。それでは一心さまたちの思うつぼになるのがおわかりになりませんか、お嬢さま」
「あうあうあう」
これは、早梅へ向かってにこやかに腕をひろげている猫たちを目にし、さらに眉間のしわを深くした黒皇の言葉だ。
抱く腕の力が強まり、絞め殺されるのかと、早梅はわりと本気で危機感をおぼえた。
「皇兄上がこんなに怒るなんて……すごいです」
「そこ感心するとこじゃないよ、爽」
一連の出来事を、夜色の瞳をまたたかせながら見守っていた爽に、早梅のツッコミが炸裂する。
爽としては、黒皇がここまで感情を乱すほど早梅をたいせつにしていることに、感動しただけなのだが。
早梅たちがわちゃわちゃとさわぐ一方で、庭の片隅に、神妙な面持ちをした暗珠がいた。
「……蓮虎」
強ばった声音で、のぞき込んだ赤ん坊の名を呼ぶ。
暗珠とおなじ緋色の瞳をぱちくりさせた蓮虎は、一変。
「うぅ……やぁああ!」
「なっ、なんだ、どうした!?」
「やぁ、やぁあああ~! まぁま~、ふぁんふぁ~ん!」
「あだぁっ!」
うりゅっと瞳を潤ませた蓮虎が、わんわんと泣きだす。
その拍子にバタつかせたちいさい手に顔面をはたかれ、二重の意味で暗珠はダメージを食らった。
「こいつぁ傑作だ! 弟に嫌われてやがる! ぎゃははははっ!」
「なっ、なんで! なにもしてないのに……!」
「やぁあ! うぁあああん!」
「おーよしよし蓮蓮、大じぃじがいいこいいこしてやろうな~」
蓮虎が暗珠を嫌がったことが、よほど愉快だったのだろう。
ゲラゲラと笑い飛ばしたかと思えば、晴風が抱っこした泣き虫坊主を猫なで声であやす。
これみよがしに祖先の立場を見せつける晴風に、「解せない……!」と暗珠は歯ぎしりをした。
「はっ、うちの子が泣いている! ただちに急行せねば!」
「かしこまりました。すぐに」
「って離してくれないんかーいっ!」
早梅をひょいと横抱きにした黒皇が、颯爽と泣き声のひびく庭の片隅へ駆けてゆく。
なにがあろうと早梅を手放さないさまは、もはや手遅れ……いや、筋金入りだ。なにがとは言わないが。
「小蓮、まぁまとふぁんふぁんが来たよ~」
とうとう早梅も開きなおり、すこしゆるめられた黒皇の腕から手を伸ばしながら、にっこりと蓮虎に笑いかける。やけくそと言ってはいけない。
「んぅ……まぁま、ふぁんふぁん!」
「はーい、おいでおいで~」
「きゃっ、きゃっ!」
さすがといったところか。晴風から早梅へうつった蓮虎は、母の胸のなかで無邪気に笑っていた。直前まで泣きわめいていたことなど、けろっと忘れている。
ちなみに現在、蓮虎を抱いた早梅を、黒皇が抱いているという構図である。
つくづくのこの烏、手放そうとしない。
「なんでだ、意味がわかりません。落ち込みました、慰めてください」
その瞬間、ニヤニヤとながめていた晴風に戦慄が走る。
涙目でむっとした表情の暗珠が、スタスタと早梅へ歩み寄り、すとんともたれかかったからである。
「あれ? クラ……じゃなかった殿下、どうしちゃったのかしら……?」
「殿下とか皇子とかもうどうでもいいです、俺すっごい悲しいので慰めてください、ハヤ……梅雪さん」
「あ、そういう設定でいく感じ?」
素の口調になってしまっている暗珠を前にして、早梅も遅れて状況を理解した。
ここは話を合わせるのが、優しさというものだろう。
「まぁまぁ。小蓮は人見知りだけど、すぐ仲良くなれるよ~」
「ぐす……梅雪さぁん」
右腕で蓮虎を抱きながら、左手で暗珠の頭をなでる早梅に、「梅雪さまは器用なんですね」とどこかずれた感心をする爽。
にっこりと笑顔を浮かべながらも、どこか冷え冷えとした空気をただよわせる一心、六夜、五音ら猫族。
「いや、おまえだれだよ」
そして思わずツッコんだ晴風は、最後にどうしてもこれだけは言っておきたかった。
「どさくさにまぎれて、梅梅に抱きついてんじゃねーっ!」
「お嬢さま、おぼっちゃま、おやつの時間にしましょうか」
面倒な気配を察知した黒皇は、早梅と蓮虎を抱き直し、颯爽ときびすを返す。
こうして、早梅のこころの平穏は守られた。
安心と信頼の愛烏の、大勝利である。
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